怖いこと、なあに？ ２
冬休み最終日の、寮の食堂。
一騎と早瀬は自販機のコーヒーをすすりつつ、お互いのクリスマスの報告をし合っていた。
ちなみに、シンは実家から帰るなり、ザラ先生にお呼ばれだと言って学校へ行った。
ジュール先生が何か作ってくれたのだそうだ。
もうどこから突っ込んでいいのかわからないから、もうあのあたりは放っておく。
たぶん、ただの高校生には手に負えない。
「・・・そこで、城崎さんか」
他人事ながら、一騎は思わずため息をついた。
「そこで、城崎なんだよ」
当の早瀬は、握り拳を作って繰り返した。
しかし、一騎はやっぱり一騎だった。
「出なきゃ良かったのに」
「出ないワケにはいかないだろ！」
がなった友人に、そうなのか、とよくわからないなりの返事を返した一騎に、早瀬は大きなため息と共に聞いた。
「で、お前は何に負けたワケ？」
「・・・・・・」
一騎は黙ってコーヒーをすすり、それからほつりと呟いた。
「やっぱり、されるのって怖いものなのかな」
その一言で、三人の中で一番聡い早瀬は、だいたいのことが想像できてしまった。
あちゃー、と、天を仰ぐ。
そっか、コイツの場合、そっからなのか。
「悪い、俺その辺わかんねえ」
だって俺の好きな人、すっげー年上ですっげー経験豊富なんだもん。
ああなんかそれもイヤかも、と落ち込みそうになった早瀬に、一騎がぼそ、と呟いた。
「わかっても嫌だな」
その言葉の意味を理解して、早瀬は思わず大声を上げる。
「そーじゃなくて！」
なんで俺をそっちに置く！？
「森次先生絶対経験豊富だぜってハナシだよ」
「ああ、そうか」
それには一騎もこっくりと頷いた。
「前に、総士が駅前で、森次先生が背の高い男の人に肩を抱かれて車に乗るとこ見たって言ってたっけ」
あれは恋人だろうか？なら早瀬が可愛そうだな、と、総士が言うまで、一騎には何の話だかわからなかったのだけれど。
「なんだよそれ！聞いてねえ！」
誰だよ、あの幼なじみか？まだ付き合ってんのかー！と悶える早瀬の様子を眺め、一騎はじいっと考える。
「じゃあ、森次先生に相談してみようかな」
それは、良い考えのように思われた。
経験者に聞けば、本当のところがわかるかも知れない。
しかし。
「あの人痛覚ないからなー、参考になるかな」
うん、ならなさそう。
早瀬の一言で、速攻却下に追い込まれた。
「じゃあ、ザラ先生に・・・」
言いさして、さすがの一騎も察して黙る。
あの人に聞いて、参考になる答えが返って来るワケないじゃん。
「レイも、やめた方がいいよな」
「怖いことゆーなよ・・・」
確かに。
手に負えなさではシンを越える。
はあ。
思わず、ため息が漏れた。
どうも、自分たちで解決するより他になさそうだった。
部屋に戻ると、同室の総士が早速予習をしていた。
授業の予習ではなくて、ジュール先生から特別授業を受けている、基礎心理学総論のテキストを読んでいた。
「早瀬か？」
本からちらりと顔を上げての言葉足らずの問いに、しかし付き合いの長い一騎は的確に答える。
「ああ、クリスマスに・・・・」
そこで、少し気まずくなって。
「デート失敗したって、言ってた」
最後は少し小声になった。
「・・・そうか」
総士は、ぱたんと本を閉じた。
栞挟まなくていいんだろうか、と、一騎は思ったが、総士はかまわず本を机に置き、すとんと自分のベッドに座った。
「一騎、そこに座れ」
「？、ああ」
言われるままに、向かいの自分のベッドに座る。
基本、一騎は総士に従順だ。
だから、たまにケンカになるとえらいことになる。
えらいことになるから、話すときはちゃんと話そうと、付き合い出した頃に決めていた。
話さなければ、わからないから。
そう、決めていた。
「僕なりに、クリスマスの時のことを考えてみたんだが」
「・・・うん」
こういうことを、堂々と言えるのが総士の凄いところだ。
一騎だったら、絶対途中で恥ずかしくなって声が小さくなる。
「あれは、僕が怖がったことが失敗原因だと、そういうことでいいんだな？」
「失敗・・・って言うのとは違うと思うんだけど」
しかし、他に言葉も見あたらず、言葉に窮した一騎に、総士はきっぱりと言い切った。
「確かに怖い」
・・・ああ、やっぱりそうなんだ。
一騎は言葉もなく落ち込んだ。
でも、それは仕方のないことだ。
「何が起こるかわからないというのは、怖い」
重ねられた総士の言葉に、うんと頷く。
うん、それは仕方がない。
「でも、いいんだ」
しかし総士はそう言って、しっかりと一騎を見据えた。
「一騎だから、いいんだ」
そう言って、見据えた。
総士の、どこまでも透明な瞳が綺麗だと、胸に迫って一騎は思った。
「・・・総士」
何と答えていいかわからずに、なんだかとっても途方に暮れた一騎に、総士はそれから、少しだけ視線を外して言った。
「それに、その、何だ」
白い頬が、少し、いや、だいぶ、赤い。
「怖いのと一緒に・・・楽しみでも、あるんだ」
そう言われて、一騎の心臓は跳ね上がった。
一騎の心臓を跳ねさせて、そうして総士は更に続けた。
「初めてのことは、いつだって怖くて、でも、やはり楽しみなものだろう？」
初めて島を出た日。
波の向こうに見えた本土の影に、ものすごくわくわくしたことを覚えている。
初めて自転車に乗ったとき。
初めて子供だけでひとり山に登ったとき。
初めて、本土の街に出たとき。
この学校に、初めて登校したとき。
少し怖くて、でも、それ以上に何が起こるか楽しみで。
とてもとても、どきどき、した。
それを思い出して、一騎はちょっと感動した。
やっぱり、総士は凄い。
本当に、凄い。
こんな凄い総士を手に入れられた幸福を、ぎゅうっと噛みしめて。
それから、一騎も口を開いた。
「えっと、さ」
ええと。
何て言ったらいいのかな。
「俺も、実はちょっと怖かったんだ」
総士が驚いたような顔をしている。
それがなんだか、凄く可愛い。
「ちゃんとできるかなって・・・」
照れたように笑う一騎に、総士は「そうか」と頷き返した。
怖かったのは、自分だけじゃない。
それにちょっと、勇気が出た。
「でも、そうだな」
一騎がそっと手を伸ばす。
頬を撫でながらから立ち上がると、総士は一騎を見上げてきて。
それから、ふうっと目を伏せた。
キスをするタイミングを、こんなに綺麗に図れたのは初めてだ。
唇が離れると、自然に。
本当に自然に、総士をベッドに横たえていた。
「痛かったりしたら、ごめんな」
左目の目元に唇を落とした一騎に、総士は少しだけ考えて、提案した。
「痛かった分だけ、後で殴るというのはどうだ」
「そうしてくれ」
まじめな顔で頷いた一騎に、やっぱり、彼が好きだなと。
総士は、改めて思った。