怖いこと、なあに？ １
あわよくばクリスマスイブに、と、そう思っていたのは確かだった。
「その思考は、早瀬やアスカたちに毒されている」と言い切った総士も、しかしそれ自体は否定しなかった。
自分たちには、そういった『きっかけ』が必要なのだと、お互い、なんとなくわかってはいたのだった。
冬休みだからと帰された故郷。
遠見家で催されたクリスマスパーティーで、まず、真矢が潰れ、次に史彦が潰れた。
それでいいのか父さん、と、同じ男としてちょっと情けなくなった一騎も、寂しい独り身をアピールして参加させてもらった溝口に、無理矢理飲まされたシャンパンのせいでちょっとぼうっとしている。
どうやら、アルコールに弱くその自覚もあるらしい総士は必死に溝口に対抗しているので、なんとか無事らしい。
ていうか、子供にアルコールを飲ませないで欲しい。
でもこの様子だと、次に潰れそうなのは千鶴先生かな、と、げらげら笑う弓子に意味不明に背中を叩かれながら、一騎は思った。
帰るタイミングを見計らおうとするも、アルコールのせいでぼうっとするし理性もお留守なカンジになって、このまま総士と黙ってフケようか、と、うっかり一騎らしくない結論を出しそうになる。
いかんいかん。
ふるる、と首を振ると、背中を叩く弓子の手が止まった。
「あれ、一騎クンもう眠たい？」
「はあ」
酔っぱらいなのによく見ている。
さすが先生。
なら、（元）生徒をあんまり叩かないで欲しいと思ったところで、総士と飲め飲まないでじゃれ合っていた溝口が、どすんと隣に座った。
「なーんだ、もうおネムかよ」
からかう溝口に、やっと解放された総士が不機嫌そうな声を出す。
「貴方が無理矢理飲ませるからでしょう」
それにああそうかと笑って、溝口は弓子に叩かれ続けていた背中を、またひとつ、大きく叩いた。
「しょうがねーや、帰って寝ろよ。酔っぱらいどもは俺に任せてな。・・・おい総士、送ってやれ」
「酔っぱらいってなんらー！」
「らー！」
「らぁ・・・」
泥酔寸前の遠見母娘と、潰れていたはずの真矢にまで唱和されて、『ごめんごめん』と謝る溝口に、ちょっとぼうっとしていた一騎は、一拍遅れて礼を言った。
「あ・・・ありがとうございます」
「飲ませたのは貴方でしょう」
そう言いさした総士は、もう立ち上がっている。
「おじゃましました。・・・じゃあな、遠見」
ジャケットを取って挨拶をすると、復活したとはいえへにゃへにゃの真矢が、唐突に両手を振り上げた。
「がんばれ騎君ー！」
「・・・・・」
遠見はなんだか凄いなぁと、ちょっと酔った頭で、一騎は思った。
外に出ると、風が異様に冷たかった。
おかげで、一騎の酔いはいっぺんに醒めた。
ああ、父さん置いて来ちゃった、と思うと同時に、総士と二人きりなことを自覚する。
手を繋ぎたいな、と思ったけれど、お互いの手は、もうそれぞれのポケットの中だった。
「溝口さんには、気を使わせてしまったな」
「え？」
坂を下りきったあたりで、総士がほつりと呟いた。
一騎は一度首を傾げた後、二人で帰してくれたことだと気がついて、頷いた。
「ああ。あの人には一生かなわない気がする」
「それでいいんだろう、お前は」
「そういうもんかな」
「そういうものだ」
そんなことをほつほつと話しているうちに、一騎の家に着いた。
「泊まって行くだろ、総士」
少し、緊張しながら一騎が言うと、総士も言葉少なに頷いた。
「・・・ああ」
一騎の家に泊めてもらうことは、総士にとってそう希なことではない。
乙姫がいれば話が別だが、彼女は芹の家で同年代の子たちとパーティーだと言って出かけてしまっている。
泊めてもらうから総士も帰らなくて大丈夫だよ、と、友人はちゃん付けでも兄は呼び捨てにする妹は、
「頑張るんだよ、総士」
と、まるで母親のような一言を付け加えていた。
さっきの真矢といい、女子は怖い、と、総士はつくづくと思う。
怖い、か。
一騎が押入から出した布団を受け取って敷きながら、総士は、やはり緊張の面もちで布団を敷いている一騎を見やった。
キスは、何度かした。
触れる唇の柔らかさ。
感じる吐息と粘膜。
相手の、深いところまで触れる感覚。
それは、とてもとても気持ちがよくて、ただ、幸福な思いだけを残すものだったのだけれど。
これからすることは、どうなのだろう。
布団を敷き終わった一騎が、手の止まった総士を振り返る。
「手伝うか？」
「いや」
首を振った総士が布団を敷いてしまうと、一騎は所在なさげに呟いた。
「・・・ええっと」
それから、思い切ったように顔を上げて。
「そっちで、いいか？」
「・・・ああ」
総士は頷くと、とさり、と、自分の敷いた布団の上に座り込んだ。
初めは、キス。
気持ちのいいキス。
そっと舌先を舐め合うと、とっても気持ちがいいことは、つい最近覚えたことだ。
唇を離して、そっと胸を押されるままに、布団の上に倒れ込む。
見上げると、一騎の顔が陰になって、表情がよく伺えない。
正直なところ、怖くないと言えば、嘘になる。
痛いとも聞くし、辛いとも聞く。
何よりも、『未知』というものが、正直、総士は恐ろしい。
それでも。
それでも、一騎だから。
もう一度キス。
さっきよりも、もっと深く。
一騎の手のひらが頬を覆い、その気持ちのよい手がすうっと下りて、総士の体の線を確かめていく。
ぞく、と肌が粟立って、唇を離した一騎が、心配そうにのぞき込む。
「総士？」
「・・・なんでもない」
答えれば、また、唇が降りてくる。
それでも、体の強ばりは解けなくて。
焦る総士のシャツの中に、冷えたままの一騎の手のひらが滑り込んだ。
「・・・っ！」
声を上げるのはなんとか堪えたが、思わず自分をかばうように、身をよじってしまっていた。
する、と、シャツの下から、一騎の冷たい手が出て行く。
弾みで指先が少しだけ脇腹に触れて、総士の体は、また、びくんとすくみ上がった。
「・・・総士」
人の気持ちが読めてない、と、よく言われる一騎でもわかった。
総士のことだから、わかった。
怯えを湛えた鈍色の瞳。
左のそれが、実はちゃんと一騎を映していないのは、一騎のせいだ。
それは、ただの事故だったのだと、誰も一騎を責めないけれど。
それでも、一騎はもう、総士を傷つけたくはない。
「・・・やめよう、総士」
一騎のやさしい唇が、左の目元に落とされる。
それで、すべてを理解してしまった総士は、何かを言おうと口を開き。
そうして何も言えずに、それを閉じた。
あのとき自分の不注意で、一騎の心を決定的に傷つけてしまった自覚は総士にもあった。
だから、一騎にこれ以上を望むことができなかった。
「・・・すまない」
「いや」
自分の上から一騎が退いて、とさり、と隣の布団に寝転がる音に、ひどく安堵した自分を、総士は恥じた。
とてもとても、恥じた。
朝、目が覚めると、一騎の携帯に、早瀬からのメールが入っていた。
島にはアンテナ塔が一つしかなくて、一騎の部屋はしょっちゅう圏外になるので、一発で入ったらしいそれは割とラッキーだった。
件名：首尾はどうだ？
本文：俺はあとちょっとで敗北。シンはうぐうぐ泣いてたよ。
シンに何があったのかはなんとなくわかるが、早瀬の『敗北』は、意味が深すぎてよくわからない。
それでもできなかったことだけはわかるので、具体的に書かないのはプライドか、単に面倒くさかったのか。
後で聞けばいいか、と思い、とりあえず返信をする。
件名：Re:首尾はどうだ？
本文：俺も負けた
送信しようとしたら、一本立っていたはずのアンテナ表示が圏外になって、それでもしばらく頑張っていた携帯の画面には、数分後に送信できませんでしたのメッセージが表示された。
ちょっと悲しい、クリスマスだった。