怖いこと、なあに？ ３
「手、冷たくないな」
キスのために、頬に添えられた手を取られて、一騎はへこりと首を傾げた。
「手？」
食堂もこの部屋もよく暖房が効いているし、あたたかいコーヒーを飲んだばかりだから、確かに今、一騎の手は、冷たくはない。
「あのとき、手が冷たくてびっくりした」
総士の指が、一騎の手の甲を撫でる。
あのときとは、・・・あのとき、だろう。
「ああ・・・そうだったのか」
一騎はなんだかほっとした。
あの反応には、さすがにかなり傷ついていたのだ。
「冷たくなくても、きっと駄目だったと思うんだが」
「そうか・・・」
ちょっぴり落ち込んだが、落ち込んでばかりもいられない。
「もう少し、ゆっくりするよ」
「どのくらいだ？」
どのくらい？
想定外の問いに、一騎はむう、と考えて。
「・・・わからない」
そう、正直に答えた。
シンと早瀬と三人で、いろいろ勉強（？）してみたりはしたのだが、結局のところ、実地は初めてなのだ。
「でも、このあいだよりは急がない」
その答えに頷いてくれた総士に、もう一度、キス。
それから、手を取られて指先をくわえられ、舐められて、総士はひくりとその指を震わせた。
いきなり体を触らない、ということらしいけれど、これは、これで。
「・・・一騎」
「何だ？」
「っ、いや・・・」
くわえたまましゃべった弾みで、ざらりと歯の先が指の腹を擦った。
ひくひくと、指だけでなく肘まで震わせて、総士は必死に言葉を探した。
「手は、汚いだろう」
「本読んでただけだろ」
汚くない、と、言外に言って、一騎は指の又にまで、舌を這わせて嘗めてくる。
ぞくぞくと、何かが背筋まで這い上がる。
ああ、やっぱり怖い方が強いじゃないかと、総士は後悔しそうになる自分を戒めた。
今日、一騎を誘ったのは自分なのだから、ここでやっぱりやめようは言いたくない。
言いたくない、けど。
「そこばかり、は、頼むから」
制服のシャツの袖が、一騎の唾液で濡れていた。
つう、と、袖口から冷えたそれが一筋下りてきて、きゅう、と指が縮こまる。
「ああ・・・ごめん」
謝った一騎は少し首を傾げて、それから、総士のシャツのボタンを外しはじめた。
「脱がせて・・・いいよな？」
「・・・・ああ」
こく、と頷いた総士は、ちょっと考えてから、一騎のシャツへ手を伸ばした。
「僕もやる」
「えっと、や、やりづらい」
「・・・そうか」
確かに、手がぶつかってやりづらかった。
「俺、自分で脱ぐから」
「・・・・・そうか・・・・」
ああ、総士が不満げだ。
一騎は少し考えて、それから、ばさりと先に、自分のシャツを脱ぎ捨てた。
「これなら、いいか？」
自分だけ脱がされるのが嫌なのだろうと、そう思ったのだったが、総士はまだ不満げだった。
「僕も、脱がせたい」
ああ、そっちか。
うーん、と、一騎は考えた。
さっきから、定期テストの時よりよっぽど頭を使っている気がする。
「次にするときに、ってことじゃ、ダメかな」
何せ初めてなものだから、いろいろは処理し切れません。
「・・・わかった」
一騎の必死の妥協案が、なんとか認められたらしい。
しぶしぶと頷いた総士に、ありがとうのキスをすると、ぐいとベルトを掴まれた。
「下もだ」
「わかった」
とりあえずもう、全部脱いでしまおう。
一緒に風呂に入ったり、目の前で着替えをしたり。
そんなことも多いから、総士の前で裸になることは、べつに抵抗のあることじゃない。
ざっくり下着まで脱いでしまうと、一騎は改めて、総士に向き直った。
「次、総士な」
「・・・・ああ」
総士は思わず、その体から視線を逸らした。
運動能力を認められて、この学校に入った一騎は、まだ逞しいとは言えないものの、綺麗に筋肉がついている。
一騎の裸なんて、子供の頃からいくらだって見ている。
見ている、のに。
かあ、と、頬に血が上るのがわかる。
一騎がまともに見られない。
「総士？」
視界の外から伸ばされた手が頬を包んで、せっかく逸らした一騎の体を、真正面に見る位置で固定された。
「怖いか？」
「・・・怖いより、恥ずかしいな」
正直に言うと、すかさず一騎が言い返した。
「まだ脱いでないのに」
「うるさい」
くす、と、一騎が笑った。
「可愛いな、総士」
そうして、また、唇が下りてくる。
それを受け止めながら、総士はさらさらと、服を取られていく感覚に耐えた。
総士の体は、綺麗だ。
服を脱がせながら、一騎は思った。
白くて細くてで滑らかで、身じろぐと、しなやかな筋肉が浮いて見えるのが、なんていうかこう、たまらなく色っぽい。
はふ、と思わず息をつく。
ちょっと頭に血が上っている。
いいから落ち着け、俺。
逸りそうになる自分を押さえつつ、その綺麗な体に、また指先から順にキスをする。
先端から触るといいってどこかで聞いた。
確かに、いきなり体の中心を触るより、総士も怖くないだろう。
なんだかいい匂いのする胸元まで来たら、今度は左手を同じように。
総士は、ひくひくと体を震わせながら、一騎の好きなようにさせてくれている。
それから、足。
ちゅ、と指先にキスをすると・・・いきなり蹴られた。
「総士！？」
「そこは本当に汚いからやめろ！」
どうやら本気で怒っているらしいのだが、ものすごく涙目なので、怖くはない。
というより、片足を一騎に抱えられ、足の間まで全部見えた格好でそんなこと言われても、なんか、グッと来ちゃうだけなんだけど。
「やっぱりシャワー浴びれば良かったかな」
「そういう問題じゃない」
ぶつぶつと言い合って、とりあえず一騎は足先はやめることにした。
くるぶし、足首、ふくらはぎ。
膝小僧から、膝裏へ。
それから、その皮膚の滑らかさに驚きながら内腿に口付けていると、総士の手が、ぐい、と一騎の髪を掴んだ。
「・・・もういい、一騎」
「総士？」
顔を上げると、たっぷりと涙に濡れた鈍色の瞳と目が合った。
「どうした？」
そんなこと、さらりと聞かないでくれ。
いきなり触られるのは、正直本当に怖かった。
怖かった、けど。
一騎の指は、未だに総士の腿を軽く撫でるようにする愛撫を止めていない。
こんな風に、あんまり丁寧に触られても。
「なんだか、いたたまれない・・・」
「？」
何がなんだかわからない、とでもいう風に、小首を傾げる一騎が憎らしい。
しかし総士もこれ以上、重ねる言葉を持ち合わせていない。
何て言ってやったらいいのかわからない。
だから。
髪を掴んだ手を離し、ぐいと伸ばした両腕で、総士は一騎の首を抱き寄せた。
不思議そうにのぞき込んでくる薄茶の瞳。
それにかまわず、きゅう、とすがりつく。
かあ、と、一息に体温が上がるのが、一騎にはわかった。
わかったけれど、ぐっと堪えた。
総士の言いたいことは、だいたいわかった。
いきなりだと怖いけど、ゆっくり過ぎるといたたまれない。
ワガママだぞ、総士。
しかし、他人にワガママなど、言ったことのない総士なのだ。
それを自分にしてもらえるなんて、と、一騎は嬉しくなってしまう。
「わかったから、総士」
でもこの体勢じゃ、なんにもできないから。
「ちょっと離してくれ」
頼むと、しぶしぶといった様子でしがみついた腕が緩んだ。
実際、不満そうな唇にキスをして、一騎は自分のベッドに放り出された、通学カバンに手を伸ばした。
いくつかあるポケットのうちのひとつを開き、そこからラベルのない小さなボトルを引っ張り出す。
「そんなところに入れていたのか」
それが何だかわかった総士は、呆れたように呟いた。
「どこに仕舞ったらいいかわからなかったんだよ・・・」
ちょっぴり脱力しながらボトルを開けて、一騎は少し、つっかえながら聞いた。
「ええっと・・・いいか？」
こく、と、総士は言葉にできずに頷いた。
それにこくりとうなずき返して。
一騎は総士の、緊張して少し硬い膝を押し開き、あらわれたそこへ、ボトルの中身をこぼした指で、触れた。
「・・・っ！」
総士の体がひくりと跳ねる。
それでも、拒絶する様子は見られないから、一騎はゆるゆると、初めて触れたそこを撫で回した。
そこは固く口を閉じて、本当にこんなところに入るのかと、一騎は少し、心配になった。
「・・・一騎？」
一騎の手が止まったのがわかったのだろう。
総士も心配そうに声を上げる。
その、常にない舌っ足らずな声に、ゾクリとした。
ああ、やっぱり総士が欲しいと、思った。
「いや、ごめん」
そう返すと、一騎はボトルの中身を足して、少し力も足して、総士のそこを慣らしていった。
「っ、ふ・・・」
そんなところを、一騎に触られている。
その羞恥に、総士は必死に耐えていた。
それだけでも大変だというのに、他人に体の奥に触れられるのは、やっぱり、怖くて。
体が勝手に逃げそうになって、それを押し止めようと力を込めると、そこに触れる一騎の指を、いっそう敏感に感じてしまって。
「総士」
それでも今度は、一騎の手は止まらなかった。
「怖いか？」
のぞき込んでくる薄茶の瞳。
つき合いの長い総士でも初めて見るような、獰猛な何かがそこにあった。
その視線が自分に向けられている。
そう思うと、ふわりと肌が粟だった。
総士は、必死で首を振った。
はあ、と息を吐いて、なんとか力を抜こうと頑張った。
「怖くない」
声に出すと、それが本当になる気がした。
「一騎だから、怖くない」
そう答えると、一騎は笑った。
なんだかちょっと泣き笑いみたいに、笑った。
「ありがとう、総士」
言葉とともに、ぬる、と、指先が少し、中に入ったのがわかった。
もう、怖くはなかったけれどもびっくりして、総士はびくりと身を震わせた。
「痛いか？」
「ぅうん・・・」
総士が首を振ると、それはいったん引き抜かれて。
たぶんローションを足したのだろう、冷たい感触とともに、さっきよりも深く、一騎の指が入って来た。
「ん・・・・っ」
のぞき込む一騎の瞳が、『痛いか？』と聞いている。
だから総士は首を振り、そのたびに指が深くなった。
「二本に、するよ」
「・・・・ん」
ずるりと指を増やされる。
ひく、と震えたそこは、まだ緊張しているけれど、それでも一騎を迎え入れた。
一騎の長い指が、中で、総士をなだめるために動き回る。
「ん、んっ・・・・」
どうしたらいいかわからない感覚を逃がすために、総士は一騎の肩に指を食い込ませた。
確かに返る手応えが、少し、総士を安心させた。
「・・・・もう少し」
総士の不安をなだめるように、一騎がそっと囁いてくる。
目元に触れた唇に、縋るような声が勝手に漏れた。
「・・・あ、もう・・・・・・」
もう、どうにかなりそうだった。
早く、どうにかして欲しかった。
「ごめん、まだ、駄目だ」
初めて聞くような甘い声にぐらぐらしながら、一騎はそれでも踏ん張った。
総士のそこは、まだ硬い。
このまましてしまったら、きっと、総士を傷つけてしまう。
それでも。
一騎には、総士の体が、目に見えて柔らかくなっていくのがわかった。
一騎を、受け入れる体になっていくのが、わかった。
時折涙をこぼしながら、耐えるように吐息を震わせ、自分のために変わってくれる総士に、一騎は胸が熱くなった。
もうそろそろ、大丈夫だろうか。
一騎は総士の様子をうかがった。
そうすれば、寝起きでだって見ることができない、とろんとした目が一騎を見上げて。
そうして、肩を掴んでいた手が、たどたどしい動きで一騎の首に絡んできた。
心が通じる瞬間が嬉しい。
わかってくれる総士が、愛しい。
すっかり熱を持った脚ごと抱き抱えるようにして、一騎は総士の上にのしかかった。
ぎゅうぎゅうとしがみついてこようとする総士に、宥めるようにキスをして。
一騎は、総士の中に、入っていく。
「・・・・っ！」
やはり、痛いのだろう。
総士の体が強ばった。
そのたびに動きを止めて、落ち着くのを待つのは、正直とっても辛かった。
今すぐ、この熱くてきつくて気持ちのいい体の中で、好きなように快楽を得てしまいたかった。
それでも、それじゃ、ダメだから。
「・・・はぁ・・・・・っ」
自分の下で、一騎を受け入れてくれながら、辛そうに息をついている総士を、大事にしたいから。
だから一騎はゆっくりと、ゆっくりと総士の中を、攻め落としていく。
やがて、すっかり総士の中に収まって、自分全部を総士の中で刺激されながら、それでも奥歯をきゅうっと噛んで、馴染むのを待っている一騎に。
やはり、痛みと異物感に耐えながら、それでも必死に力を抜こうとしながら総士が言った。
「・・・一騎」
小さく甘く、少しかすれた。
うっかりすると、聞き逃しそうな、声。
それでも何だ？と見返してきた薄茶の瞳に、深い安堵を覚えながら、総士はさっきよりも大きな声をと口を開いた。
「愛してる」
何もここで言わなくても、と自分でも思ったのだが、何故だかここで言わないと、胸がつかえて死にそうだった。
「・・・・」
何も言わずに見返した一騎に、しまったかと思ったその瞬間。
「うん、俺もだ」
ふうわりと破顔した、その男らしさの増した貌を、総士はとても、とても好きだと思った。
そのまきゅう、と抱き合って、それから一騎が小さな声で、ばつが悪そうに囁いた。
「ええっと・・・動いても、大丈夫、か？」
総士は思わず笑ってしまった。
笑うと中が勝手に動いて、ほんの少し、辛かったのだけれど。
その瞬間、一騎が息を飲んだのも、わかったから。
「・・・ああ」
頷くと、後は、嵐のようだった。
一騎の中に、こんな嵐があることを、総士はずっと、忘れていた。
それでも総士は怖くなかった。
一騎だから、怖くはなかった。
「ごめん、やっぱり傷付けた・・・」
がっくりとうなだれた一騎に、もごもごとシーツに潜りながら、総士はふるふると首を振った。
「このくらい、どうということはない」
実際、初めて他人を受け入れた場所は、結局裂けて出血してしまったし、それ以外にもあちこち痛い。
それでも、初めに怖がったのが何だったのかと思うほど・・・何と言うか、すっきりとした気分だった。
「本当に？」
「ああ、本当だ」
それでも、こっくりと頷いた総士が潜りこんだシーツには少なからず血の跡がついていて、一騎はどきどきしてしまう。
「えっと、痛かった分だけ、殴るって話だったよな？」
思い出してがばりと上げられた顔を、総士はじいっと見返して。
「そういえば、そうだったな」
そう言って、ふわりと片手を上げた。
一騎は、ぎゅっと目をつぶった。
がつ、と、頬に強い衝撃があった。
一騎は、ベッドの下まで吹っ飛んだ。
腕力自体はたいしたことがないものの、総士はどこをどうやって殴ったらいいのかを、良く知っている。
たぶん、入学当初にあった、ザラ先生の護身術講座（受講は学校からの指名制）のせいだった。
「・・・ちょっと、強くやり過ぎたな」
ベッドの上で、総士が呟く。
「・・・そうか？」
立ち上がりながら、一騎が呟く。
「うん、だから」
総士は、ちょっと腫れだした一騎の顔を見て、淡々と言った。
「次に、少しくらい痛くてもイーブンだ」
「・・・・ええっと」
一騎は、殴られた頬を撫でながら言った。
「また殴られないように、努力する」
「そうしてくれ」
そうして、顔を見合わせて、思わず、というように笑いあう。
二人なら、怖いことなんて、なんにもない。
そんなことは、もう、ずうっと前から知っていた。
終