その日、花月がHONKY　TONKに立ち寄ったのは、ほんの気まぐれだった。

もう、聞き慣れたベルの音と、「いらっしゃい」の声。

それから。

「カヅっちゃ〜ん」

「銀次さん」

ここに入り浸っているようで意外と会えない、この世で一番崇拝する人の顔を見て、花月は思わず破顔する。

「ひとりなんて、珍しいですね」

「そう？蛮ちゃん割と、ひとり好きだよ」

どこか的の外れた答えに苦笑し、コーヒーとサンドイッチを頼む。ひとつだけ取ったサンドイッチの皿を銀次の前に置くと、それはたちまち空になった。

「わーっ、カヅっちゃんゴメン！」

「いいえ。でも、美堂クンには内緒ですよ」

「うん！」

やっぱりどこか的外れな会話の後、銀次は突然大声を上げた。

「あ―――――っ、蛮ちゃ―――ん！」

たれて、弾んで。

長い脚に蹴られて、転がって。

「痛いよ蛮ちゃん・・・・」

「うるせぇっ！」

「大丈夫ですか？銀次さ・・・」

足元まで転がってきた銀次を拾い上げようとして伸ばされた花月の手は、しかし銀次がもう一度弾んで立ち上がったため、金色の後ろ髪を掠めただけだった。

「行くぞ、銀次ィ」

「うん！じゃあね、カヅっちゃん！！」

蛮の後をついて、とことことドアをくぐる銀次の背中を見送り、「はい」とだけ答えた花月は、しばらくぼんやりとドアの向こうを眺めていたが、やがて冷めたコーヒーを飲み干して立ち上がった。

まだコーヒーを入れさせてもらえない、年少のアルバイトに幾枚かの札を渡しながら、もう一度、ドアの向こうを仰ぎ見る。

遠いような、近いような。遠近の狂ったビル群の向こうに、そびえたつのは無限城。

十兵衛と俊樹のいる場所だった。

無限城を訪れて、花月がまず立ち寄るのは、いつもマクベスのところだった。

無造作に見えて、排熱や振動を計算されて配置されたコンピュータ部品の埋もれた少年は、刻々と変わる数値を映すバイザー越しに、訪問者を見上げる。

「ごめん、マクベス。十兵衛と俊樹が、今何をやっているかわかるかい？」

自分で調べても良いのだけれど、花月はこの少年王に敬意を払うため、必ずここを訪れる。

そのまめさに、マクベスも敬意を払う。

けれど、どこか卑屈だな、とも思う。

ただ単に、ボクが子供なだけかもしれないけど。

「十兵衛はもうすぐあがるよ。俊樹は見回りに出てるから、いつ戻るかわからないな・・・終わったら連絡入れようか？」

「ありがとう、マクベス」

にこりと笑って立ち去る花月を視線だけで見送り、マクベスはすぐにカリキュレーションに戻った。

花月との約束は、俊樹が戻ってから、思い出せば良い。

ベルトラインからの襲撃で壊された地区の後片付けという、非常に地味な仕事を終えた十兵衛は、心地よい疲れに身を任せながら自室のドアを開ける。彼は、この時間が案外好きだった。

今日一日を、無事に過ごせた証だから。

しかし。

「十兵衛！」

今日はそれどころではなく、ぴょん、と跳ねた親友のボディアタックを、とっさの判断で抱きとめる。

横にまとめられた髪の一房が頬を叩き、一緒に揺れた鈴が、りぃん、と鳴った。

「来ていたのか、花月」

「うん」

ぐりぐりと十兵衛の肩に額を押し付け、まるで猫のように懐く花月を抱いたまま運んだ十兵衛は、その身をとさりとベッドに下ろした。

「クス・・・する？」

この部屋には、他に座る場所もなどないから、ここに下ろした。そんなことは、言い訳にしかならない。

「お前がかまわないのならな」

愛しげに背を撫でる手のひらにゆるく息をつくと、その吐息ごと奪われるようなキスを受ける。

相手を知り尽くした舌の動きに、体はたちまち熱を持ち、唇が離れる頃には、花月の体は欲情の甘い香りを放っていた。

「ん・・・じゅうべえ・・・・」

愛しい男の名を呼び、先を促そうとしたとき、それを止めたのは、メールの着信を告げる、そっけない携帯の振動音だった。

「あ、俊樹仕事終わったんだ」

マクベスからの短いメールを映した画面を恋人に突きつけ、花月はにこやかに笑う。

「十兵衛、俊樹も呼んでいいかい？」

「貴様な・・・」

言った十兵衛の声は、内容に反してひどく優しく、嬉しくなった花月はぎゅうっとその首にしがみついた。

「だから、キミが大好きだよ」

「お前には勝てないからな」

マナーモードの携帯を、十兵衛の首に回したままの手でかたかたと操作する花月の背中に、首筋に。いたずらを始めた十兵衛の手のひらにくすくすと笑いながら、花月は三回ほどのコールを待った。

俊樹に会うのも久しぶりだったから、その声が少し不機嫌でも、やはり嬉しかった。

三人で、たくさんたくさん愛し合った。

十兵衛のものを体の奥深くで感じながら、俊樹の愛撫に応えていると、幸福で涙が出た。

このまま三人、ひとつに溶けあってしまいたいと、馬鹿なことを本気で願う。

そうすれば。

そうすればきっと、おいていかれることはないから。

命を賭して、花月を守ろうとする二人に、守られる苦痛を語るつもりはない。

でも。

おいていかれるのは嫌。

ひとりにされるのは嫌。

淋しいのは嫌。

おいて、逝かないで。

でもそれは言えないから。

甘い声を出して、ねだる。

「ねえ、一緒にイこうよ」

　

ねえ、おいて、逝かないで・・・・