俺の、家族 ５
シンが何を思っていようと、家がどうなろうと。
明日は来るし、そうすれば学校に行って、そうして授業を受けて帰る。
家族がいなくなった時と同じだ。
そこには、何の感傷も差し挟まれない。
それが、生きるということ。
そんなこと、シンはとっくに知っている。
「なんか最近元気ないな。お前どしたの？」
覗き込んでくるヴィーノにちょっと笑って見せて。シンは仕方なさそうに口を開いた。
「たいしたことじゃないんだ」
言えるかよ、あんなこと。
「たいしたことないって顔じゃないぜ」
ヨウランも寄ってきて、シンは居心地が悪くなって席を立とうとした。
授業は全部終わった。
後は帰るだけだ。
すぐに帰ると、あの人に会ってしまうかもしれないから、またどこかで時間を潰さなくちゃ・・・・
「何？失恋でもした？」
思わず見上げたヴィーノが冗談めかして笑う。
「あ、そうだ。そんな顔だ」
ヨウランも、尻馬に乗るように笑って言った。
その二人の間で。
暫し固まっていたシンは。
「そんなんじゃ、ないよ」
「またまたー」
「そーゆー時は、パーッと遊ぶに限るぜ。ゲーセンでも行くか」
既に、一緒に帰る気満々の二人。
いつもなら、時間も潰せるのだから嬉々として一緒に行くのだけれど。
「・・・・・・・違うって言ってんだろ！」
思っていたよりも大きな声が出て、自分で驚いた。
それからシンは、「ごめん」と小さく謝って、足早に教室を出て行った。
「・・・・やっべ。マジだった？」
「みたいだな」
残された二人は、気まずそうに顔を見合わせて。
謝ろうと追いかけたけれど、全速力で走っていったシンに、追いつくことはできなかった。
失恋って。
失恋って。
ようやく通いなれてきた道を走りながら、シンの思考は、そこから先へは進まない。
失恋って！
ヴィーノは言った。
『何？失恋でもした？』
ヨウランが言った。
『あ、そうだ。そんな顔だ』
そんな顔って。
「どんな、顔だよ・・・・」
走り疲れて、トボトボ歩いて。
たどり着いた玄関先、鍵が閉まっていることに、安堵して。
でもそれが、悲しくて。
洗面所で手を洗って、ついでに顔も洗って、そうしてふと見上げた鏡に。
確かに、失恋したかのような、情けない顔が映っていた。
「・・・でも、失恋じゃ、ないし」
ぼやくようにそう言って。
シンは、アスランと鉢合わせしないよういと急いで階段を上っていく。
そこでふと、今日はパンを買ってこなかったことに気が付いた。
でも、そろそろアスランが帰ってきてもおかしくない時間だ。
あの人に会ってしまうかも知れないと思うと、怖くて買い物には行けない。
いいや。
だって、もしかしたら、今日も何か、作ってくれるかも知れないから・・・
そう思って。
思った自分に、気が付いて。
部屋のドアを開けたところで、シンはへたりと座り込んでしまった。
やばい。俺、なんかすげえ情けない。
しかしすぐに、玄関のノブをひねる音がして、シンはすぐに部屋の中に駆け込んで、バタンとドアを閉めた。
階下でも、ドアを閉める音。
アスラン、帰って来たんだ。
でも、階段を上がってくる音はなくて、そのまま、キッチンか居間のあたりで、何かをしている気配がする。
アスランは、シンのようにドアの開け閉めを乱暴にしたりしないし、バタバタ音を立てて歩かない。
それでも、なんとなく、何をしているかは、わかった。
きっと、ごはん作ってるんだろうな。
ボイラーの回る音がする。
小刻みに止まるそれは、風呂を入れてる時のじゃない。
キッチンで何かしてる時、独特の、もの。
そんなこと知ったの、つい、一昨日のことだけど。
シンは、ぺたりとドアに張り付いて、階段の下の、更にドア向こう、キッチンの気配を必死にさぐった。
アスランの気配を、さぐった。
ぱたん、と、ドアの閉まる音がした。
とんとんとん、と、階段を登る音。
慌ててドアを離れると、アスランの声。
「夕メシ、できてる。俺はこれから出かけるから、安心して食べてくれ」
感情を消した声がそれだけを伝えて、ふ、と、ドアの前から気配が消えた。
ぱたん、と、すぐ隣、アスランの部屋の、ドアの閉まる音。
しかし、すぐにまた、キイ、と開いて。
とんとんとん、と、階段を降りる音。
玄関のドアが開くと、気圧でガタンとシンの部屋のドアも鳴った。
ドアが閉まる。
たぶん、鍵を掛けたのだろう、がちゃりとかすかな音がして。
この家の中には、また、シンだけになった。
「…・・安心、してって」
シンは、勢い良くドアを開けて、バタンと大きな音を立てて閉めた。
そうして、バタバタと階段を下りていく。
テーブルの上には、ひとり分の食事が用意してあった。
ハンバーグとシチュー、香ばしい匂いのするパン。
誰もいない食卓に、湯気を立てた美味しそうな食事。
それはなんだか、ぞっとするような光景で。
安心して食べてくれ、って、アスランは言った。
でも。
アスランの分の食事がない。
ここに、アスランが、いない。
それだけで俺。
なんだか怖い。
病院で食べた、ひとりきりの食事を思い出す。
すべてを失った、あの、恐怖を思い出す。
安心なんか、できない。
なのに、シンの腹は、くう、と鳴った。
空腹の少年は、へたり込むように、ひとりきりの食卓に腰を下ろした。
「・・・・イタダキマス」
声は、シチューの湯気を軽く揺らして、虚しく消える。
スプーンを取って、シチューの皿に突っ込んで、口へ運び。
じゃがいもを飲み込んだところで、ふと思う。
ああ、これ、俺が始めてこの家に来たときと同じメニューだ。
でも、ハンバーグはレトルトじゃなくて手作りだ。食べてみると、少し大きめに切られたたまねぎがしゃくしゃくとして。さっぱりとしたソースがじんわり染みて、美味しかった。
シチューはもう水っぽくない。とろとろしてて、・・・・母さんが作ってくれてたのより、美味しい。
シンだって、もう気が付いていた。
アスラン、すごく料理が上手になった。
会ってすぐの頃は、いつも指に傷や火傷の跡があったのに、最近はもう、そんなの見ない。
あれは、シンの食事を作るためについた傷。
たぶん、シンのために、料理を覚えてくれたアスラン。
美味しい、な。
アスランの作ってくれたごはん、おいしい。
おいしいよ、アスラン。
あんまりおいしくて、涙が出た。
でも俺、もう知ってるんだ。
これ。
アスランと食べたら、きっと、もっとおいしいんだ。
安心して、食べられるんだ。
皿のシチューを食べ尽くして鍋を見に行くと、それは、大きな鍋にたっぷりと作ってあった。
だから、シンが３杯も食べても、まだ、残っていた。
冷蔵庫の中には、ハンバーグがもうひと皿焼いてあった。
アスランさん、戻ってきてからごはん食べるのかな。
でもあの人、あまりたくさん食べないから。
シチューはきっと、残るだろうな。
俺、まだ食べられる。
だから。
シンは、食器を片付けると、部屋に戻って宿題を取ってきた。
白木のテーブルに、問題集を広げる。
歴史って、俺、よくわかんないんだ。
それなのにアスランさんは、魔法みたいに教科書の中から答えを見つけ出して。
たぶん、見つけ方を教えようとしてくれるみたいなんだけど、俺、よくわかんなくって。
とりあえず、見つけてもらった答えだけ書いて、怒られて。
それで・・・
それで、アスランに謝ろう。
ひとりで、なんとか解答欄を埋めながら、シンは思った。
なんて謝っていいかわからないけれど、それでもアスランに謝って。
それで、一緒にごはんを食べよう。
ごはん作ってくれて、ありがとうって言おう。
綺麗な長い指に巻かれた、絆創膏を思う。
その手で頭を撫でられて、絆創膏に髪が引っかかって痛くて、ぎゃーぎゃー言ったことを思い出す。
ごめんごめんと笑う、赤い唇。
その、唇が・・・
いや待て。
それは・・・うん、いったん忘れよう。
てゆか忘れろ俺！
ぐっ、とシャープペンを握って、シンは一生懸命問題を解いた。
全部合ってたら、褒めてもらえるかな。
そんなことを思いながら、解いた。