俺の、家族 ４
カタリ、と、玄関の方で音がして、シンは慌てて立ち上がった。
時間は、もう深夜に近くなっていた。
やっと帰ってきた。
アスランを出迎えようと、ドアを勢い良く開けたシンは、開けきったところで、そのまま、手も足も止めてしまった。
玄関には、その上を覆う小さな屋根を支える柱がある。
アスランはそれに背を付けて・・・押し付けられて、いた。
そうして、その前には。
夜目にも明るい銀色の髪をした男がいて。
アスランを、そこに押し付けて。
キスを、して。
「っの！」
呆然と突っ立っているシンの前で、アスランはそいつを硬く握った拳で殴り、そいつは人を馬鹿にしたように笑って。
アスランから、体を離して。
そうして、ちらり、とシンを見た。
ゾッとするように冷たい、薄青の瞳。
「おい、小僧」
知らない人間に、唐突に小僧呼ばわりされて、シンは盛大にブチ切れた。
「なんなんだよあんた！！」
「ちゃんとこいつを繋いでおけ」
「もう帰れよお前！」
アスランが、シンの聞いたこともないような乱暴な口調でそう言い放ち。
そいつは、アスランに何かを言いかけ、しかし無造作に腕を上げて、アスランを殴りつけた。
「てめ！何すんだよ！！」
「シン、いい」
飛び掛ろうとするシンを制し、ふいと背を向けて去っていく男を見送って、アスランはふうっとため息をついた。
「うわ、あんた血！」
口の中が切れたのか、アスランの口の端からは赤いものが滴っていた。
その、赤さと。
唇の赤さ。
それに、先ほど見た光景が重なって。
シンを、ドキリとさせた。
「たいしたことない。手加減されたしな」
そう言って、植え込みに血を吐き出すさまは、喧嘩慣れしていることが明白だった。
シンは、見たことのないアスランの一面に呆然として、思わず口元を拭っていた袖を掴んで、しまった。
縋るように見上げると、翠の瞳が優しい色で、ふうっと微笑む。
それは、シンの知っているアスランの笑顔だった。
シンが知っている、アスランだった。
「驚かせてすまない。・・・悪い奴じゃないんだが、ちょっと・・・喧嘩して、な」
「喧嘩して、キスとかするの？」
「嫌がらせだ。手段を選ばない奴だから」
「アスランさん」
いけない、と、シンは思った。
いけない、と、思うのに。
「ウリやってるって、ほんと？」
アスランは、何かを言いかけて。
それから、口をつぐんで。
視線を暗い空へと彷徨わせて。
それから、酷く揺れる瞳をシンに向けた。
「今は、やっていない」
「今はって！」
「・・・・」
困ったように口を閉ざしたアスランは、玄関の、妙な影を作る明かりの下で見ても、やっぱりとっても綺麗だった。
綺麗で。
でも。
こんな綺麗なのに。
なのに。
汚い。
「・・・シン」
困り果てたアスランの声。
伸ばされた長い指。ずっと、綺麗だと思っていた。
でも、この手で、この人。
「っ！」
その手を力いっぱい叩き落し、シンは家の中へと駆け込んだ。
階段を駆け上り、自分の部屋へと飛び込み、ばたんと大きな音を立ててドアを閉めて、鍵を掛ける。
この部屋に、内鍵が付いていることは知っていても、掛けたのは初めてだった。
何か、怖いものが追いかけてくるような気がして、掛けずにはいられなかった。
しかし、何も・・・アスランも、追っては来ずに。
ドアの前で座り込みながら、シンは、ぼんやりと。
ああ、宿題を置いて来てしまったと、そんなことを思っていた。
あれから3日、シンはアスランと話をしていない。
同じ家に住んでいても、避けようと思えば避けられるのだと、シンは初めて知った。
広い、家だから。
朝は、アスランよりも早く起きて、冷たいパンを咥えて飛び出す。
夜は、食事だと呼ばれても応えずに、購買で余計に買ったパンを抱えて部屋に籠もった。
風呂は、アスランが部屋に戻ったのを、確認してから使えばいい。
だって。
だってさ。
机の上に宿題を広げ、まったく進まないそれにイライラしながら、シンは理由を考える。
だって、とってもいい人だと思ったんだ。
本当の兄貴みたいに思ってた。
本当に家族みたいに思ってたんだ。
たぶん。
とっても。
大好き、だったんだ。
そんな人が。
そんな、こと。
ぐっとシャープペンを握り締め、シンは教科書を睨みつける。
そんな、こと・・・・
アスランの、白くて長い指。
撫でられると、とっても気持ちいい。
あの手、が。
シンは、ふるふると首を振る。
それでも、あの指のイメージは消えない。
それどころか、あの赤い唇までが思い浮かんで。
なんだか泣きそうになりながら、シンは自分の脚の間に手を持っていった。
そこはもう、熱くなっていて。
ベルトを外し、ジッパーを開けただけで、下着を弾き飛ばす勢いで、すっかり大きくなってしまっていて。
あの長い指が、コレに触れる。
あの気持ちの良い指が、触れて。
そうして。
『シン』
シンの名を、呼ぶ。
「・・・っ！」
そんな妄想だけで、手の中のものはあっという間に弾けてしまっていた。
シンは、酷く情けない思いで手の中の白い粘液を眺める。
俺、何やってるんだろう。
あの人なんかを思い出して。
あの人、なんかを・・・・
あの白い指。
やさしい声。
笑ったときの、唇のかたちと。
その、赤さ。
シンはまた、ふるふると首を振って、ティッシュを探して後始末をした。
こんなんじゃ、もう宿題どころじゃない。
だからもう寝てしまおうかと、片付け始めた時だった。
とんとんとん、と、階段を登る音がした。
アスランの、足音だ。
しかも、すぐにドアをノックする音がした。
ドアの向こうに、アスラン。
シンは動けない。
「・・・・シン」
呼ばれても、答えられない。
「食事を、作ってあるんだ。何か食べているようだけど、ちゃんとしたものを食べないと、体に良くない」
今日の夕食は、購買のパンが４つ。
確かに、野菜とか足りないけど。
「俺は部屋にいる。大丈夫だから」
何が、大丈夫なんだろう。
それも聞けずに、シンは黙ったまま。
アスランも、答えは期待していないのだろう。そのまま、ドアを開閉する音がして、隣の部屋で何かかたかたと音がして、止んだ。
音は止んでも。
隣の部屋に、アスランの気配。
それに耐えられなくなって、シンは階下へ下りていった。
ダイニングのテーブルには、一人分の食事が用意してあった。
豚肉のグリルと、スープとサラダ。
軽く焼きなおしたパンと、オマケのようなポテトフライには、ケチャップが添えてあって。
どれも、まだあたたかくて。
既にパンを４つ平らげていたシンは、それでもそれを全部食べた。
スープをすすった時に涙が出たのは、何故だかわからない。
アスランの作ったものは変わらず美味しかった。
でも、一人で食べる食事は味気なくて。
事故の後、入院した病院で食べた、不味い食事を思い出した。
明かりをすべてつけたのに、広いリビングには、何か、怖いものが潜んでいるようだった。