永泉は、泰明がいちばんだと言う。

いちばん、気持ちいいと。

泰明のいちばんは決まっている。

愛しいと、そう思う者は、たった一人なのだから。

 

ひとのこころ。

 

初めて抱える難問を前に、泰明は立ちすくむ。

愛しいというのは、ひとつではないと師匠は教えてくれた。

師匠のいちばんは、泰明の造られる前に死んだ彼の妻たった一人。しかし、自分の子供や泰明のことも、それぞれ違うように愛しいと、稀代の陰陽師は言った。

 

よくわからない。

 

永泉は永泉で師匠は師匠で、愛しいのは永泉だ。師匠は、もっと大きくて冷たくて、背筋の伸びるような感じのするものだと言ったら、この半人前と言われて放り出された。

 

「私は、永泉を放り出したいとは思わないが」

それは師匠が自分を愛しいと思うということが間違いなのか、それとも愛しいの種類の違うせいなのか。

いやしかしあの夜、他の男と泰明を比べた永泉に対して、「放り出す」という選択肢を自分が持っていたならどうしたろうか。

 

・・・よくわからない。

 

空を見上げる。

宵の明星が、地平の彼方に沈もうとしていた。

あの下には御室寺がある。

 

今宵、永泉は誰かと約束があるだろうか？

宿のない身なのだから、式でも飛ばして確認を取ったほうが良いだろう。

既に霜月は半ばを過ぎた。野宿に適する時期ではない。

そう思いつつも、泰明はそのまま一条通を西へ向かう。

とても、永泉に会いたかった。

 

 

幸い永泉に予定はなかったようで、泰明はすんなりと永泉の部屋へと通された。

「お越しいただけるとは、思っておりませんでしたから・・・ありがとうございます」

何に対するものなのか、泰明には判然としない礼だったが、丁寧に下げられた頭から、藍色の髪がさらさらと落ちる様と、ひと呼吸後に上げられた永泉の、本当に嬉しそうな笑顔が見られたので、あえて問い正すことはしなかった。

「今宵は、泊まっていかれるのでしょう？夕餉はもう召し上がられましたか？では、般若湯などは・・・」

「いらぬ」

珍しく弾むような永泉の声は耳に心地よいが、もっと心地よいものを知っている泰明は、問答無用で永泉を抱き寄せる。

「お前がいれば、何もいらぬ」

「ありがとう・・・ございます・・・・」

再びの礼は、泰明の言葉に対してのもの。

それくらいはわかる泰明は、今の言葉をきちんと記憶(インプット)しつつ、衣を一枚一枚剥いでいく。

「泰明・・・どの・・・・・」

何の準備もしていなかった永泉の、柔らかな汗の匂いに欲情する。

「お前は、良い匂いがするな」

「すみません・・・あの、今夜、いらっしゃるとは思わなくて・・・」

「良い」

小袖一枚を残し、その身をもう一度抱きしめる。

重い僧衣を除くと、とたんに細くなるその身が愛おしい。

「永泉・・・」

柔らかな肌に、溺れたい。

甘い吐息の、すべてが欲しい。

そんな自分を、愚かだと思う。

しかしそれさえ愛しくて。

緩んだ胸元から覗く鎖骨に甘く噛み付き、めくれ上がった裾から差し込んだ手のひらで、滑らかな腿を撫で回す。

その脚を曝せば、他の男の跡があることを知っているから、あえて一枚の衣を残したまま、そこに指を差し込んで、弄る。

「んふ・・・や・・・すあ・・・あっ・・・・」

既に潤いさえみせるそこは、男を喜ばせる方法を良く知っていて、泰明の指をきつく締め付け。

「あ・・・もう、やすあきどの・・・・・っ、あああああああん・・・」

貫けば、喜びの声を上げる。

「永泉・・・えいせん・・・・・・・」

他に呼ぶ声を持たない愚かな男は、ただその名だけを縁(よすが)に、自分を伝えようとする。

繋がって、混じり合って。溶け合って、ひとつになってしまえたらいいのに。

そうすれば・・・・

「あ・・・もう、もう・・・っ」

「永泉・・・・っ」

そうすれば、余計なことなど考えずに済むのに。

泰明は、造られてはじめて、思考を放棄したいと思った。

永泉だけで、いっぱいになってしまいたいと、思った。

 

 

 

 

永泉の指が、肩を滑る。

それは少しくすぐったいが、意外と心地良い感触で、泰明は思わず目を細めた。

お返しに、優しく髪を梳く。今度は永泉の瞳が細くなった。

「泰明殿・・・だいすき・・・・」

胸を震わせる言葉に、泰明は思わず答えていた。

「ああ・・・私も、おまえを、愛している」

それが、永泉にとって何を意味するかわからずに。

泰明は、そのとき本当に、幸福をかみしめながら言っていた。

しかし。

「そう・・・ですか・・・・・」

甘く、蕩けるようだった永泉の声が、一瞬にして硬く凍った。

肩を愛撫していた指が引かれ、固く結んだ口元に添えられる。

 

何が起こったのか、泰明にはわからなかった。

「永泉？」

「は、い・・・」

答えた声は震えていて、見上げた瞳には涙が溜まる。

「何故、泣く？」

「申し訳ありません・・・・・」

細い背中を抱きしめる。震えているその身を包み込み、どうして自分は人として生まれなかったのかと、せんもないことを悔いる。

人として歳を重ねたならば、永泉の涙の意味も、わかったかもしれないのに。

「何を謝っているのかわからぬ」

「はい・・・」

おずおずと、再び指が伸ばされて、泰明の背に添えられた。

それが、嬉しいのか、悲しいのか。

それさえもわからないまま、泰明はその暖かい体に再び問いかけた。

「何故、泣くのだ」

「申し訳・・・」

「謝るな、答えろ」

「・・・・・」

「黙るな」

立て続けの言葉に、とうとうこぼれた雫を舐め取る。それから促すために、閉じられた唇を舐めた。

それでも、永泉は答えずに。

諦めた泰明は、それでもその身を大切に抱いて眠る。

 

ひとのこころは、暖かくて。

いたい。