清涼殿の夜は、寒い。

男の下で、永泉はぼんやりと思った。

男の体温と、自分の体温と。ここは随分と暑くなっているはずなのに、凍えるように寒い。

母親に教えられた「手段」を自分で使うことを覚えた自分を、兄に知られることを恐れているからか、それとも、とうとう自分は壊れてしまったのか・・・・

八葉の務めが終わり、また価値のなくなった自分が、嫌われようと壊れようと、そんなことはどうでもいいことだろうけれど。

男の重みに息ができなくなり、永泉は仮初めの死に落ちていった。

目が醒めると、男はもういなかった。

心配しなくても羨ましいほどに明快な男だから、今までどおりに友雅を通さない帝の様子をまた伝えてくれるだろう。

起き上がると、左目から刃を突き込まれたように頭が痛んだ。

痛みで思考がまとまらず、身づくろいする気も起きない。永泉は冷えた肩に単を掛けただけの姿で、格子のほうを向いて座り込んでいた。

もし、誰かがここへきて、今の私を見つけたら。それを兄上に奏上したら、兄上はまた、私を助けてくれるのだろうか。・・・・たとえば、今度はあの明快な男を犠牲にして。

左目が、痛い。

そのままどれほどそうしていただろう。

格子に人影が映り、永泉ははっとした。

「何をしている。」

現れたのはよりによって安倍泰明。

「え、あの、・・・その・・・・・」

脚の間から他の男のものをこぼし、抱き合った後、そのままの自分の姿が、永泉は急に恥ずかしくなった。泰明の真っ直ぐな瞳の前に身を縮こませる。頭痛が酷くなる。左目から頭頂まで、何度も何度も突かれる痛み。

「気が乱れている。」

泰明はずかずかと閨に踏み込み、永泉の前に膝をつく。

翡翠と琥珀、澱みない宝玉の瞳に見つめられ、永泉は伸ばされた手に断罪されるのを待った。

ひたり

泰明の冷たい手のひらが無造作に左目にあてられた。そこから冷たい・・・氷の塊をねじ込まれるような痛みが襲う。

永泉は小さく喘いだ。

痛みに泣き叫ぶこともできない体の中に、冷たい何かは頭蓋を穿つように押し込まれ・・・溶けた。

「うふ・・・・」

暖かく溶けた雫が、耐えがたい苦痛を溶かして癒す。

頭だけでなく、体の隅々までそれは行き渡り、心地よい痺れを呼び起こした。

永泉は思わず目の前の体にしがみついた。背中にすがった指から、首に触れる肩から、合せられた胸から・・・・

甘い陶酔のかけらを感じる。

気持ちよくてもっと欲しくて、しがみつく腕に力を込めた、とき。

「何を、している。」

抑揚のない声が、夢を破った。

「・・・ぁ、申し訳、ありません・・・・」

肩の単は滑り落ち、何も隠すもののない体を曝していることに気付き、慌てて単を胸へと引き寄せる。

恥ずかしくて恥ずかしくて、今すぐに消えてしまいたい。

「何故、私に触れる」

「もうしわけ・・・・ありません・・・・心地よくて、つい・・・・」

「心地よい？お前は私に触れて気持ち悪くないのか？」

「き、気持ち悪いなど・・・あの、とても、気持ちよかったのです。それで、ついあのようにはしたないことを・・・・その、もうしわけ、ありませんでした・・・・」

泰明は単を抱きしめたまま小さくなってしまった永泉の、白い腕を見つめた。あの腕が自分の背中や首に回り、心地よい力で締め付けた。さらさらとした髪の甘い匂い。直に触れた滑らかな肌・・・・

気持ちがよかったのはこちらのほうだ。

しかし、悲しいかな泰明は、それを言葉にする必要性を感じることができなかった。瞬時に、泰明にとってわかりやすい答えを探し出し、それだけを口にする。

「八葉の務めが終わっても、お前と私が玄武の気を持っていることに変わりはない。お前に気を分けてやったとき、それを感じて心地よいと思ったのだろう。」

「気を、分けてくださった・・・・？」

「お前の気は乱れて萎縮しすぎている。いくら強い霊力を持っていてもそれでは何の役にも立たない。」

「はい・・・・あ、あのっ、泰明殿」

「何だ」

「私は、八葉のお勤めを終えた今でも、やはりどうしても、心乱れてしまったり萎縮してしまったりするのです。ですから、あの、そのような時、その、泰明殿に・・・お力をお借りしても、よろしいでしょうか・・・・」

言ってしまってから、永泉はしまったと思った。もう自分は、天の玄武ではないのだ。このように彼には何の利点もない、ただすがるだけの願い事をするなど、呆れられてしまったに違いない・・・・

「わかった」

しかし泰明は淀みなくそう答え、しゅるりと裾を捌いて立ち上がると、何事もなかったかのように立ち去ってしまった。

「泰明、殿・・・」

簀子を踏む静かな足音を、永泉は呆然と見送った。

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