君の手のひら ２
兵部は、出された食事の１／３ほどを残した。
それでも、お粥の腕は綺麗にしたので、まともに食べた、の範疇には入るのだろう。
真木はまた、ため息をついて。
ほれほれ、と子供じみた仕草で空の椀を振って見せる兵部の、まだ少し米の味がする唇に、口付けた。
ねっとりと絡み付いてくる舌をいなしながら、食べてもほとんど重さの変わらない体を抱き上げ、布団の敷いてある方の部屋へ移動する。
風呂に入っている間、食事の用意と一緒に取り替えられていた布団からはあたたかな日の匂いがして、そこに横たえられた兵部は、ほう、と緩く息をついた。
こうして、たくさんの手に支えられていることくらい、兵部だって知っている。
だから、引きずり込みたくはないのだと。その理屈が傲慢であることも、薄々とは。
それでも、嫌なものは嫌なんだから仕方がないじゃないかと思いながら、真木の髭面をぐいと引き寄せる。
なんだかんだで兵部を一番支えてくれている男は、なんだかんだで、兵部の言うことを一番聞いてくれない。
虚数空間から戻ってきた時しかり、今しかりだ。
「片づけが終わってからですよ、少佐」
長いキスの後で、そんなことを言う男の顔面をべちんと叩いたところで、「失礼します」と声がかかった。
「ああ、頼むよ」
声をかけると同時に、また、真木の唇にかぶりつく。
襖の向こうで食器が片づけられる音が止むまで、真木は相当な我慢を強いられた。
体調が良くないこの人の相手をすることも、真木は、もう慣れてしまった。
しかも、こういう時にもただ優しくするだけの行為を望まないのが、この人の厄介なところだった。
それを可愛いと思ってしまうのが、一番厄介なのだが。
感じるとわかっている胸の先を、丁寧にていねいに嘗めていれば、頭を拳で殴られた。
たいして力が入っていなくても、曲げた第二関節を的確に当てられれば痛い。
「しつこい」
「では、こちらを」
しかし、腰に添えていた手で、膝裏を掴んでぐいと引き上げれば、ひく、と組み敷いた体がひきつった。
急に、こういうことをされるのも嫌なのだ、この人は。
それでも、この淫らな体は、この程度の嫌がらせならばちょっとした快楽のスパイスへと変換してしまう。
そのまま、親指を使って感じやすい腿を撫で下ろしてやりつつ、唇は胸の傷を柔らかく慰撫した後、唾液の後を付けて嘗め下ろし、わき腹に吸いつく。
浮いてきてしまった肋骨をひとつひとつたどれば、脚への刺激も相まって、兵部は腰を浮かせて甘い声を上げた。
「あ、ぁ・・・・」
快楽に弱い体は、真木が初めて触れる前からだ。
彼と自分の年齢差を考えれば仕方のないことだけれど、それでも、胸が焼け付くような心地がする。
それでも、真木はただ丁寧に、緩やかな快楽を与えていく手順を飛ばさない。
「だから、しつっこいって」
焦れた兵部が、脚をばたつかせて真木の手を振り払った。
そのまま、広い背中にしがみつき、濡れた瞳を上げてねだる。
「早く、寄越せ」
乱れた浴衣の合間から、白い肌を惜しげもなく晒し。
恥も外聞もなく男を誘うさまは、とてもとても魅力的だけれど。
「急に血圧が上がると、心臓に悪いです」
そう言った真木の額に、兵部は自分のそれを打ち付けた。
自爆技は、恐らく兵部の方にダメージが大きい。
「ば・・・っか、年寄り扱い・・・・」
しかし、そのままぐりぐりと額を押しつけてねだる声は、半泣きだった。
「どんだけ、してないと思ってんだよ・・・っ」
ずきり、と、下腹部に直に来る声だった。
真木だって、同じだけの時間していないのだ。早く欲しいに決まっている。
それでも、焦って病み上がりの大切な人を傷つける訳にはいかないから。
「欲しい、ですか？」
ぶつけたせいで、赤みの差した額の傷に口づけて、興奮のせいでやはり赤い耳朶を嘗めしゃぶる。
ひく、と背を浮かせた兵部は、しかしすぐに、またじたじたと暴れ出した。
「だから、さっさと寄越せって！」
このまま愛撫を続けると、焦れて乗って来かねないな、とさすがの真木も覚悟を決めて。
ちゅ、と喚く唇に口づけると、体を離した。
「わかりました」
「あ・・・・」
ローションを取るために離れたのだとわかっていても、心細そうな声が上がってしまうのを、可愛いと思わない男はいないだろう。
「脚を、開いてください」
「・・・ん」
自分で脚を開かせるのは、兵部の快楽を上乗せさせる手順のひとつだ。
震える膝を自ら開き、更にそこに手を添えて、真木に見せつける仕草は、兵部自身の性感をいや増させる。
そうして、真木のそれも、もちろん。
温感タイプのローションを、たっぷりとそこに流し落とせば、兵部の体がふるると震えた。
同じくそれを纏わせた指で、勃ちかけたものの根本をくすぐると、たちまちそれはかたちを完全なものにして。
しかし、兵部はくふんと鼻を鳴らし、不満そうな声を上げた。
「そっちじゃ、ない」
「・・・・はい」
ちゅ、ちゅっ、と宥めるために内腿に唇を落とし、それから、膝裏を支える兵部の手に、自分のそれを重ねるようにして。
いやらしいそこを、もっとよく見えるようにぐいと開けば、それだけでも感じてしまったのだろう、甘くかすれた声が上がった。
「あ・・・・」
「あなたのここが、よく、見えます」
そう囁いてやりながら、たっぷりと粘液を纏わせた指で、まずはその周辺をゆっくりとなぞる。
いつ侵入って来るのだと、兵部の期待と不安をいっぱいに煽ったところで、ゆっくりと。
中へ、指を沈める。
「ん・・・・・っ」
兵部の中は、熱くてきつい。
しかし、そこは真木の指を、男の大きさを、そしてその快楽を、よぅく知っている場所なのだ。
ちゅぷちゅぷと、音を立てて抜き差しすれば、たちまちのうちに綻んで。
真木の指の２、３本くらい、楽に飲み込んでもっととねだる。
「少佐、あまり締めつけないでください」
「じゃあ、焦らすな・・・っ」
ぬる、と膝裏で重ねた手が、汗で滑った。
風呂ですっかり流したはずの汗が、兵部の全身を薄く覆い、柔らかな間接照明をその上に映して、とてもとても綺麗だった。
その手ごと、脚を強く掴み直し。
真木は、３本に増やした指を、ぐいと奥まで飲み込ませる。
「ば・・・っ、か、イ・・・っ」
危うくイきそうになったのをなんとか堪え、必死に真木を睨み上げるも、その表情は、彼の欲情を更に誘っただけだった。
「もう、大丈夫ですね」
そう言った声の熱量に、全身を炙られるような気がして、兵部は身を震わせる。
無意識に締め付けてしまったそこから、ずるりと指を引き抜かれ。
浮いた腰を、大きな手のひらに、しっかりと捕まえられる。
ぬち、と、押し当てられたものは、しかしいったん離れて。
どうして、と腰をよじろうとしたとたんに、ぐいとばかりに押し入られた。
「あ、あーーーーっ」
ああ、ああ、と意味のない声が喉から勝手にほとばしる。
満たされた体が気持ち良すぎて、どうにかなってしまいそうだった。
あまりの快楽に怖くなって、無意識に上げた腕で縋る先を探せば、大きく熱い手のひらに、それを捕まえられた。
ぎゅうと握られたそれにほっとしたとたん、腰の奥を深く突かれて、目の前で何かが弾ける。
「やぁ・・・っ、ひ・・・・・ぃっ」
そう思えば、襞を巻き込むようにして出て行かれ、残された空虚さに身悶えて。
すぐさまそこを満たされて、過ぎる充足に悲鳴を上げる。
丁寧にていねいに準備され、焦れ切った体に徹底的に快楽を流し込む。
兵部の好きな。
兵部の愛する。
真木の、セックスだ。
「や・・・ぁっ、真木、まぎ・・・・ぃ」
必死になって名前を呼べば、きゅうと手を握り返される。
その安心感があればこそ、下肢に打ち付けられる快楽を、兵部は存分に味わうことができるのだ。
意味のない喘ぎと、相手を呼ぶ声の間に、「もっと」と本音を挟み込めば、与えられる快楽は、いっそう深いものになる。
兵部はただ、それをいっぱいに味わった。
この男の寄越すものは。
いつだって、兵部に心地良いものばかりなのだ。
さわさわと、木々の擦れる音がする。
山の中特有の、この夜の音が、兵部は案外気に入っていた。
潮騒よりも幽かな、しかしそれと変わらない深さのそれは、この世のものではないような。
兵部が本来いるべき・・・彼らの逝った場所にふさわしいような気がしたから。
それでも、その音に混じり、緩く聞こえる呼吸音。
抱き込まれた胸に耳を付ければ、どくどくと、胸の鼓動も聞こえてくる。
しっかりと繋がれた指から透視んでみれば、幾度目かの遂情の後、真木は失神してしまった兵部を風呂に入れて浴衣を着せ、シーツまで換えたらしい。
だいたいいつも、風呂入ったくらいで目が覚めるんだけどなぁ、と、己の不調を自覚して、兵部はにぎにぎと、養い子の手のひらの感触を味わった。
大きな、気持ちのいい、君の手のひら。
また、あの夢を見た。
誰かと手を繋いで歩く夢だった。
あの夢の中で、僕は誰と手を繋いでいたのだったのだろうか。
もう、その感覚も、この手の記憶に上書きされて、思い出せないのだけれど。
この手でいいや、と兵部は思った。
もう、この手でいい。
いや、ダメなんだけど。
これは、持ってったらダメなものなんだけれど。
でも、今は。
きゅう、と握った手のひらには。
不思議と、懐かしいぬくもりがあった。
終