犬神余話　-君のいた春-　２

薬師の館の、幾人かの病人を預かっている部屋とは別に、咲良の病室はあった。
「これ、土産」
「なんだい、こりゃ・・・」
口ではそんなことを言いながら、彼女が剣司渡された櫛を喜んでいることは、長い付き合いで、みんなわかっている。
半年前、まがつ神の浄化中に同化されかけた咲良は、未だに床を離れられない。
「来年は行けるといいな」
「行くさ」
それでも、そう言い切る彼女の強さに。
みんなみんな、笑顔になる。
「すっげーの来てた！こーんなの！」
いーっぱいに手を広げて、じったじったと動かす子おおかみの、表現したいものが何なのか。
何となくわかって、一騎が頷く。
「ああ、南京玉すだれだろ。すごく上手い人がいたんだ」
「アさて　アさて　・・・・」
衛がおどけて真似をする。
みんなが笑う。
「ちょいと伸ばせば、ちょいと返せば、・・・・ゴー、バイン！」
「なんだそりゃー」
みんなが、笑う。
「来年も来るかな。一緒に見られるといいな」
「うん！」
体全部で頷く子おおかみに、咲良が少し、涙目だったのを、みんな見て見ぬふりをした。

隠れ里は祭りでも、犬神の里は通常業務だ。
むしろ、自分のところの祭りが近いので忙しい上に、隠れ里の祭りついでに寄る者も多いので、大忙しだ。
「というわけで、僕は長をどやしつけてきますから。さぼるなとは言いませんが危ないことはしないでくださいね」
「サボっていいんだ」
「いいわけないでしょ！」
うんうん、総士と女の子たちがいれば大丈夫、と、ニコルは長の館へ向かった。
春は旺気が強過ぎる。
気が大きく動きすぎて、禍津神の動きも活発になる。
祭りとなれば、なおさらだ。
「アスランが借りられれば、結界強化を頼めるんですけれど・・・」
昨日は長のところに泊まったようだし、今日は無理ですかね。
でもアスランだから、大丈夫かも。
大丈夫だと、いいなぁ。

正直なところ、ニコルだって辛いのだ。
薬師の仕事の延長で、『破不那』を扱う少年少女たちの統括を任されてはいても、ニコル自身には、それを扱う適性がない。
偉そうな口はきいていても、禍津神が現れれば、後は彼らに任せるしかないのだ。
他に、アレに対抗できる者といえば。
長と、一握りの精鋭のみ。
彼らだとて、禍津神を浄化できるわけではない。
力ずくだ。
しかも、彼らが力で禍津神を倒せば、何がどう伝わるのか、他の禍津神を呼び寄せることになる。
その上、取り込まれた者に対しては。
取り込まれた者ごと、『破壊』するだけなのだ。
取り込まれた者の、肉体も、魂も。
まるごと。
壊す、だけなのだ。



「昨日はヒヤヒヤしたぞ、総士」
ニコルがいなくなったとたん、剣司がぐいと総士を指さした。
「何がだ」
「うわー」
わかってないよ、なんでだよと総スカンを食らい、総士は唯一味方をしてくれそうな一騎を振り返った。
「ええと、ほら、シンは翔子のこと、覚えてないだろう？」
しかし、一騎も苦く苦く笑っていて。
「覚えてないなら、覚えてない方がいいと思って」
それでも、そうして話せるようになった。
それは、良いことなのか、悪いことなのか。
「しかし、アレは将来僕たちの長になる存在だ。そのくらい知らなくてどうする」
「総士、アレ扱いになってるよ」
クソ真面目に言った総士に、衛が突っ込む。
「・・・・」
「訓練しよ」
「そうしよ」

『破不那』とは、禍津神に対抗できる唯一の神具である。
普段は独鈷、もしくは三鈷等の形をしているが、適性の合った使い手が手にすれば、彼らと『同化』し、禍津神の攻撃を退け、また、彼らに取り込まれかけた者から引き剥がすことができるのだ。
その扱いは、細心の注意を要する。
だから彼らは、日中の時間の大部分を、その訓練についやする。
それが、自分たちを。
ひいては、里のみんなを守ることになるのだと、知っている。
幼く見えて、彼らは既に。
二人の仲間を、失っているのだ。



「なんだか、耳がこすこすするんだよなぁ」
「こすこすー」
「何だ、シンもするのか？」
「んー？」
ん、まあ、違うならいいんだけど。
昨日の土産の残りの菓子を、シンと分けて食べながら。
アスランはしきりと耳を掻いた。
「なんか前に、こんなことあった気がするんだけど・・・ああ、最後の一個、食べていいぞ」
「半分こしよ！」
「うん、そうだな」
「って、コラーー！」
そのとき、すぱーーん！と戸が開いて、イザーク、乱入。
「このクソ忙しい時に何やっとる！」
「お前のせいで立てないんだよ！」
「あのくらいで貴様が立てなくなるか！」
「なってるから言ってるんだろ！」
ぎゃあぎゃあぎゃあ
言い合いながらも、確かにいつもならば拳なり蹴りなり飛んでくるはずなのに、未だに何の攻撃も来ないということは。
「・・・本当なのか？」
「だからそう言ってるだろ！」
「そうか」
長、にんまり。
「腰が抜けているなら、仕方がないな」
「そういう言い方するなー！」
動けないアスランは、とりあえず、その場にあるものを手当たり次第投げておいた。

「・・・ったく」
ずりずりと床をはいずって、自分がぶん投げた卓を定位置に戻し。
アスランは、また、耳を掻く。
「どうした？」
とりあえず、一休みする事にしたのだろう。
イザークは、どっかと卓の向かいに座った。
「なんだか、耳がさ」
「祭りでノミでももらって来たか」
「もらうわけないだろ！」
ぎゃあっと、もう一回吠えて。
「・・・福の神にでも、噛んでもらおうかな・・・・」
「もらうな！」
「だって、なんだか効きそうじゃないか？」
「効かん！」
夫婦漫才の観客は、シンひとり。
いい子でお菓子を半分食べて、ケンカが終わるの待っていたのだが。
「ああ、いたいた」
そこにニコルがひょいと顔を出した。
「アスラン、立てます？」
そこでまず、立てるかどうか聞くのは付き合いの長さ。
イザークが憮然とした顔をした。
しかも。
「ええと、たぶん」
「さっきと言っとることが違うじゃないか！」
「いいだろ別に・・・ああシン、それ全部食べていいぞ」
「半分こだよ！」
「そうか。じゃあ、もらうよ」
「それでですね、アスラン。祭りに向けて、結界の強化を頼みたいんですけれど・・・」
「ああ、わかった」
長、すっかり無視されて。
「じゃあイザーク、俺、行・・・わわっ」
アスラン、立ち上がれずにひっくりこけて。
「結局立てんのだろうがーー！！」
長、もう思いっきり、キレた。
「だから、誰のせいだ！」
立てないながらも、アスラン、臨戦態勢。
「あー、じゃあ、アスラン」
しかしニコルも慣れたもの。
「立てるようになったら、来てくださいね」
「わかった」
イザークに襟首掴まれて、代わりに銀色の毛並みを鷲掴みにし、アスラン、こくりとうなずいて。
それから、また、耳をひくひくさせた。
「そうだ、ニコル」
イザークの耳を引っ張り、代わりに襟首締め上げられつつ。
「なんだか、耳がこすこすしないか？」
「こすこすって・・・」
「さっきから何わけわからんことを！」
イザーク、蒼狼の耳に、がぶり。
「てててっ、このっ！」
じったじったとつかみ合う二人を眺めつつ、ニコルは遠い記憶をたどっていた。
アスランは、前に似たようなことを言っていなかっただろうか？
力に敏感で。
しかし、どうしてかいつも把握の甘い・・・

ばっ、っと、ニコルがきびすを返した。
しかしすぐに駆け戻り、イザークの首根っこを捕まえる。
裏では最強と言われているニコルだが、普段ははちゃんと長であるイザークを立てている。
そのはずの、ニコルが、だ。
「禍津神です！僕は薬師の館に行きますから、後は！」
そう。
前に、アスランが同じことを言っていた。
そのとき、出たのは。
長が相手をしなければならないほど、力の強い、禍津神だったのだ。

ニコルが長の襟首を離し、彼が立ち上がったとたん、二人にもはっきりとわかる、衝撃がおそった。
里の結界が、破られたのだ。




アナタハ　ソコニイマスカ？

頭の奥へと響く声に、敏感に反応したのは、『破不那』使いの子供たち。
耳も尻尾も逆立てて。
それでも彼らは、与えられた神具を掴んで立ち上がる。

薬師の館は、薬草園を維持管理する関係上、また、『破不那』を使うものの集う場であることもあり、山側の少し高い場所。
すなわち、禍津神が現れやすい場所にある。
「一騎と衛、剣司は前へ出ろ。少しでも進入を食い止める。カノンは長の館へ伝令を。遠見は病室の者を回収していったん下がれ。・・・取り込まれた者は！？」
「総士ィ！」
剣司の声に、意識をそちらへ向ければ、彼は『破不那』の力で半ば結晶と化した右腕で、金色に光る禍津神に、取り込まれかけている男に飛びついたところだった。
美しい緑柱石の群が、禍津神と男を包む。
「わぁぁぁぁぁぁ！」
そこに群がろうとした小型のモノを、一騎がすべてたたき落とした。
「入ってきたのは俺がやる。衛はなんとか食い止めてくれ！」
「うおおおおお！」
『破不那』の力は、それ自体が持つもともとの性質、それを使用する者の適性、さらには神具を維持するために注がれた、五行の力のバランスによっても異なる。
もともと、禍津神を同化し、引き剥がすための神具だが、一騎のそれは禍津神を攻撃することにも長け、剣司のそれは、他者の支援に。そうして衛のそれは、禍津神の侵入を遮ることに長けていた。
しかしそれでも、取り込まれる者は、出る。
「咲良たちは相談役に預けたわ。すぐ戻るから」
「いや、遠見はそのままそこの防衛を頼む」
「私も戻る。ニコルはこちらに向かっている。長は避難指示を出した後に来るはずだ」
「了解した」
隠れ里の祭りのせいで、犬神の里の外から来た者が多かったことが災いした。
まがつかみの来襲に、ある程度慣れている犬神ならば、総士の遠吠えひとつで事態を察し、少なくとも禍津神の呼び声に答える者はない。
しかし。

アナタハ　ソコニイマスカ？

「その声に応えるな！」
応えて、しまうのだ。
彼らを知らぬ者たちは。



イライラしているな、と。森次は傍らで時々地面を蹴っている少年を見下ろして思った。
もともと、正義感の強い少年なのだ。この状況を黙って見ているのは、わかっていても耐え難いものがあるのだろう。
「・・・えと、応えちゃいけないんだよな？」
「試してみろ」
犬神の里の結界の外、里と外とを隔てる森の陰から、混乱する犬神の里を観察する。
すぐ側を、跳ねねずみの一団が逃げていくが、二人に気づく様子はなかった。
「嫌ですよ！」
吠えた早瀬を横目に見、森次はすぐに視線を里へと戻した。
「試してみろ。何も起こらないはずだ。・・・アレも、我々を取り込めないことは本能でわかっているようだからな」
「あ・・・そうか」
呆然と呟いた早瀬の横から、森次はすっと足を踏み出した。
「え、あ、入ったらバレるんじゃないのかよ！」
早瀬たちの長が、ひいてはその一族そのものが、犬神の長にひどく嫌われているのだ。その上、前回のこともある。自分たちは本当に出入りできない状態なのだと、その情報は確実なはずだった。
「・・・やるようになったかと思えば、それは偶然か？」
しかし森次は、長い腕を伸ばして、早瀬の隠しを外から叩くと。
自分は帯に掛けた飾り玉の表面を軽く撫で、その指先にちいさな力をともしてから、無造作に結界の中へと踏み込んだ。
「え、コレ？」
何事もなく里に侵入した森次は、黙って結界の向こうで待っている。
早瀬は隠しから小さな首飾りの包みを取り出した。
えっと。
森次さんのアレって、山下君が・・・ああ、そうか。
あの四つ葉は、犬神の里の者から直接受け取った、ささやかな護符だと聞く。
それなら条件は、コレも同じ。
「俺、細かいこと苦手なんスけど」
「つべこべ言うな」
「まったく・・・」
ぶつぶつと言いながら、早瀬は包みを開いて首飾りを取り出した。
ちょっと可愛い、女の子の好みそうな細工物。
ごめん、城崎。
これを渡すはずだった少女にちいさく謝ってから、早瀬は見よう見まねで力を注ぐ。
これを売ってくれた犬神を思い出し、細工にかすかに残った力に同調させる。
それから、おそるおそる足を踏み出した。
・・・何も、起こらない。成功だ。
「手を出すなよ。お前の仕事は、まだ先だ」
一連の出来事がなかったかのように、森次はさっさと先を行く。
「わかってます」
「本当だろうな？」
わざわざ立ち止まって振り向かれ、眼鏡の向こうの漆黒に、ひたりとばかりに射抜かれて。
答えられない早瀬は、ぐっと歯を食いしばった。
長身の向こうに、金色に光る、禍津神の姿が、見えた。
森次はひとつ、ため息をつく。
「ああなっては、我々にはもうどうしようもない」
背後で、禍津神に取り込まれかけた誰かの悲鳴が上がった。
そちらに駆けて行きそうな足を止めているのは、早瀬の意志の力ではなく、森次の眼光に他ならない。
「行って死ぬのは勝手だが、次にラインバレルのファクターが現れるまでの間、一体どれだけの命がああなるのかを考えろ」
「死ぬかよ。俺たちは取り込めないんだろ」
「力で壊せば次が来る。それこそ無限にだ。お前のソレは、どれくらい持つ？」
「・・・・・」
自分の力配分の下手さを知っている早瀬は、黙るしかない。
そこで森次が、ふと、口調を緩めた。
「耐えろとは言わん。時機を見ろと言っているんだ。禍津神の相手ができるのは、彼らであってお前じゃない」
ひときわ大きな禍津神が、一瞬黒くなって、消えた。
なんであんなことができるのか、早瀬にはわからない。
「お前にしかできないことがある。これから起こる。それを、しろ」
これから起こる。
でも、それって。
「・・・ああ、アンタも我慢できないクチでしたっけ」
ムカつき半分で言い返せば、返事が返って来なかった。
誰かの叫び声がする。誰かの名前を呼んでいる。
早瀬はなんだか、やるせなくなった。
「アンタって、もしかしていつもこんな気分？」
「知らん」
その、憮然とした声に、少しだけ、親近感を持って。
それから早瀬は、ずっと聞きたかったことを、聞いてみた。
「運命って、変えられないんですか？」
「知らん」
綺麗に感情の消え失せた声に。
早瀬はやっぱり、と思った。
やっぱりコイツ、嫌いだ。




「怪我人は相談役の館へ、話はつけてありますから。・・・総士、状況は」
駆け戻ったニコルに、総士は手早く状況を報告した。
「今のところ、完全に取り込まれた者はいません。禍津神の７割はこちらに同化、無害化を確認。残りも既に取りかかっています」
その答えに、ほっと息をついて。しかしすぐに気を引き締めて、ニコルは総士に耳打ちした。
「気を抜かないでください。アスランが、気になることを言っていましたから」
「気になること？」
一騎がまた一体、禍津神を無力化した。
それを、確認しながら。
「・・・耳がね、こすこすするんだそうです。昔、『破不那』の適性者を根こそぎ失った時、同じようなことを言っていました」
総士の顔が引き締まる。
「・・・警戒するよう、皆に伝えます」
「お願いします」
それでも、状況の鎮静化は気の緩みをもたらした。
最後の一体を、剣司が引き剥がしきり、逃げ出したそれを討とうと、一騎が後を追って駆けだした、と。
そう思った、一瞬だった。

ぶわ、と、剣司の足元の大地が盛り上がった。
春の緑が割れ、現れた黒土の隙間に。
金色に、輝いて見える・・・
大きな大きな禍津神！

剣司が、何事かをわめきながら、最後の一体だったまがつかみを引き剥がした、山童の少年を抱えて駆けだした。
『破不那』と一体となった時、気が弱くなる彼にしては上出来だ。
しかし。
「衛！？」
その剣司をかばい、衛が禍津神の前に立ちはだかる。

それは、どこかで見た光景。


あのとき、炎を放ち続ける黒い子おおかみを、捕まえ、抱えた一騎をかばい。
立ちはだかったのは、長い髪の少女だった。


どっ、と。
禍津神の金色の巨体が、衛の体を押しつぶす。
きん、と、彼の結晶が、砕ける音が、した。

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