僕は、どうしたらいいんだろう。

俯いた答えは、雷帝の失踪により示された。

ベルトラインにさえ届かない自分が、このまま、ただ上を目指しつづけることに持った疑問も、花月の背中を押した。

十兵衛と離れて外に出る。

あの、優しい手を放すのは、怖かったけれど。

風鳥院が消えることは、筧の解放にも繋がると信じて。

復讐に囚われるのは、一人で十分だから。

それが終わるまでは、筧が側にいなくても、風鳥院でいられるだろうから。

花月は、ずっと握っていた、幼馴染の手を放した。

花屋の店先で､紫色の花を見た。

懐かしい色。

記憶を辿り､それが十兵衛にもらった紫苑に似ていることに気付く。

似ているけれど、違う花。

花月はその名も知らぬ花を買い求め､そしてそれから途方にくれた。

仕事で部屋を空けることの多い花月が、この花が枯れるまで面倒を見ることは不可能だ。

結局、馴染みの喫茶店に贈った、その花が枯れる前に。

何も始まらず、何も終わる前に。

花月は、彼の手を取り戻してしまった。

それでも２年の日々はただ過ぎたわけでもなく。

花月は、少しだけ狡くなったと自嘲する。

十兵衛に体を見てもらうのは、本当に久しぶりで。

少し赤くなりながら、花月は包帯の上からシャツを被った。

「・・・・・すまなかった」

土下座せんばかりの十兵衛の態度に軽く笑い、「おあいこだよ」とガーゼの張り付いた肩を叩く。

「・・・・・ああ、そうだ、十兵衛」

ふと、思いついたように、しかし、まるで用意していたように。

花月は、十兵衛の見えない瞳を覗き込んだ。

「二年も放ってしまったけど、僕の体、大丈夫かな？」

十兵衛が作ってくれた、女らしい体、大丈夫？

「ああ。さすがは花月だな。しかし次に満月にはした方がいい。二十を過ぎると、打つ孔が変わる」

「へえ、それは知らなかったよ」

どうしよう、どう言ったらいいんだろう。

「ねえ、十兵衛」

「なんだ」

名を呼ばれ、律儀に答えた幼馴染を見上げ、花月は懸命に言葉を探す。

「次に月が満ちるのは、一週間くらい後だよね」

「ああ。貴様は空いているか？」

「うん、でもね、十兵衛」

心臓が飛び出しそうだ。

「今日じゃだめかな」

「・・・・満月は一週間後だろう」

案の定、困惑した様子に十兵衛の袖をつかむ。

手を取る勇気が、今はない。

「満月じゃなくてもいいだろう？」

「いや、あれは潮汐の・・・・」

「いいんだよ」

筧流針術の講釈を始めてしまいそうな十兵衛に、花月は少し声を大きくした。

「十兵衛、頼みがあるんだ」

困りきった十兵衛の顔。

でも、花月は知っている。

そんな顔しても、十兵衛は花月の我侭には勝てない。絶対に。

「恋人みたいにしてよ。満月じゃないから、かまわないだろう？」

誘惑のし方なんか、知らない。

いろいろなものに縛られた僕たちに、他に方法があるのか、わからない。

だからできることは下手な屁理屈を並べることだけ。

「いや、しかし・・・」

君だって、僕のこと抱きたいくせに。

よぎった言葉を噛み殺す。

そんなこと言っちゃいけない。悲しくなる。

浮かんだ涙を瞬いて隠す。

とにかく逃げられないように、袖をつかんだ指に力を込めて。

でも他に、何を言えばいいんだろう。

歪んでしまった僕たちは。

「・・・・・・・・しかし俺は、恋人などいたことがないからどうしたらいいのかわからんぞ」

花月は驚いて顔を上げた｡

十兵衛は、相変わらずくそ真面目な顔をしていた。

「僕だってないよ」

喉をついた言葉は、思いがけなくそっけなく。慌てて首を振って、言うべきことを探す。

「そうだな・・・まず、キスして」

そう、僕は十兵衛とキスしたい。

「抱きしめて。針は、使わないで・・・・」

抱きしめられたいし、抱きしめたい。

普通に、セックスがしたい。

「針を使わなければ、貴様が辛いぞ」

「かまわないよ。ええと、それから・・・・」

もっといろいろ考えていた気がするのに、いざとなると思いつかない。

「それだけで、いいからさ」

きっと、それだけでも全然違うから。

「それだけでいいのか？」

「うん」

強く頷いた花月は、じっと十兵衛の顔を見た｡

会わないうちに、とてもかっこよくなったと思った｡

「いい？」

改めて、聞く。

「・・・・・ああ」

大好きな十兵衛の手のひらが、花月の頬に触れて、随分男らしくなった顔が近づいてきた。

目を閉じると、唇に、感触。

初めてのキスは、少し、薬の匂いがした。