それから時々、花月は調子を崩すことがあったけれど、たいてい十兵衛が行く前に、父が行って診ているから、十兵衛は診せてもらえなくて。

「大丈夫だよ」

そう笑って、首を傾げる花月にどきどきするのは、その仕草に「艶」を感じているのだと、やがて十兵衛も気がついた。

女性のような花月の所作は、親友が遠くに行ってしまうような寂しさの他に、何か、熱のあるものを十兵衛に残していた。

「ただいま帰りました」

野遊びに行って帰ってきましたと、そういう風情で玄関に駆け込んだ十兵衛は、そのまま自分の部屋へ戻ろうとして、父に呼び止められた。

「どこへ行っていた」

「・・・山、です。足腰鍛えろって言ったの、父上ですよ」

嘘は言っていない。風鳥院の屋敷は、山の上だ。

「そうか」

明らかに納得していない口調でそう言われ、十兵衛はどきりとした。

しかし彼は、持っていた古い冊子を、明日中に読むようにと十兵衛に渡しただけだった。

それから、明後日、風鳥院のお屋敷に行くからついて来いと言い置いて行ってしまう。

助かったような、そうでないような。

複雑な気分の十兵衛だったが、文献を渡されるということは、新しい技を教えてもらえるということだ。

十兵衛は気を引き締めなおし、手にした冊子を読むべく部屋へ向かった。

明後日には、堂々と花月に会いに行ける。

新しい技を覚えられれば、花月を守る力になるだろう。

それが十兵衛は嬉しかった。

月が、満ちる。

山の端より覗く大きな月を、音を立てて閉めた襖で隠し、花月は深くため息をついた。

いつもより少な目の夕食を取った後、いつもより丁寧に湯浴みをした。

今、花月は素肌に単。

無防備な様で寝具の側に座っている。

廊下を渡る足音がする。

襖を開けるのは、足音のない門下の女性だけれど。

その後に続く大きな体躯を迎え、更にその後ろから現れた影に、花月は身を固くして息を飲んだ。

十兵衛・・・

枕もとのほのかな明かりに照らされた十兵衛は、不思議なほど無表情だった。

まるで、筧の主のように。

「では」

ちいさく言い置いて門下の女性が去っていく。

十兵衛は襖を閉めて部屋の入り口に座り、筧の当主はいつも通り花月の側に跪いた。

「よろしく、お願いします」

声は、驚くほどあっさりと花月の喉を通った。

「はい・・・今回は、技を継ぐために愚息を控えさせておりますが、お気になさらないで下さい」

気に、ならないわけがない。

気配をすっかり消しきっているのに、痛いばかりの視線を花月に向けている十兵衛。

ああ君は、いつでも技の習得に熱心だったね・・・

「はい」

十兵衛は筧で。

花月は風鳥院だから。

一度だけ、愛おしむように花月の髪を撫で、それから筧の当主はそっと花月の帯を解き、単を払った。

現れた、いまだ幼い肢体を寝具に横たえ、定められた手順で正確に針を施してゆく。

風鳥院を継ぐ者が男子であった場合、必ず施される秘術。

「んっ・・・ぅ」

女体のもつしなやかさが不可欠な、風鳥院の技を究めるために。

どこまでも「女らしい」体を作るために。

体のそこここに針を置かれたまま、丁寧に胸をさすられるのは、肌の様子と鼓動を観察するためだという。

その手が下に降り、生気を確かめ、その奥の、密やかに息づく蕾へと伸ばされた。

「くンっ・・・」

香油を足され、ゆっくりと緩められる場所は、もう、男を受け入れる悦びを知っている。

女の体の悦び。

「あんっ」

十兵衛の視線が、貫かれた下肢へと突き刺さる。

猛った男は、しかしいつもと同じように、正確なリズムで花月を苛み、時折針の位置を変えるのを忘れない。

花月の体を整える作業。

「あっ・・・・はぁ」

風鳥院の宗主を作るための。

「やんっ・・・・」

身悶えた花月が、触れられてもいない幼い性器から白濁を吐き出したところで、この夜の施術は終わった。

十兵衛はそれを、じっと、見ていた。

日の光が、目に痛い。

施術を受けた翌日は、いつも辛いのだけれど。

今日は、殊更だった。

くるくるとよく動くはずの瞳でじっと花月を見つめ、一言も言葉を発さないまま父親について去っていった十兵衛。

もう、日も落ちる。

十兵衛が来るには、遅すぎる時刻だ。

彼の後ろ姿を思うと、頭の芯がじんと痛んで泣きたくなるのだけれど。

でも。

リィン

家の術者が張った仕掛けとは別に、花月の張った絃がかすかに鳴った。

いつも、十兵衛が通る道に掛けた絃。

「花月！」

いつもの躑躅の茂みががさがさといって、少しくしゃくしゃになった髪に小さな葉っぱをいくつも付けて。

筧十兵衛が、そこにいた。

「すまない。今日、少し遅くなって・・・えと、これ、見舞い」

謝るのもそこそこに、十兵衛は可憐な花をたくさんつけた、紫苑を掴んだ左手を突き出した。

「今日・・・具合、良くないだろう？」

なんだか少し、済まなそうな仕草と上目遣い。

それでも口元は、少し笑って。

「上がっていいか？」

十兵衛は、十兵衛だった。

「うん。待って、今花を生けるもの、持ってくるよ」

花月がそう言って笑うと、十兵衛もにっこり笑って頷いた。

「ああ。あ・・・ちょっと待て、もうひとつあるんだ」

来い来い、と、縁側まで花月を呼び寄せ、十兵衛は袖や懐をごそごそと漁る。

「・・・いた」

袖の中から出てきたのは、一匹のオオクワガタ。

「良かった、逃げたかと思った・・・これも、見舞いな」

これを探していて遅くなったのだと、十兵衛は言う。

「朝、早く起きられればすぐ見つかったんだが、夜が遅かったし・・・」

言ってからすぐ、しまったと唇を噛み。

「あの、ほら、やるよ」

しゃがみ込んだ花月の衿に、大きな昆虫を放した。

「わ、ぁ・・・」

振袖を着、琴を奏で。

月夜のたびに、男を迎え入れはしても、花月も男の子である。

「すごいや、ありがとう、十兵衛」

黒く艶々とした背を撫でて、恐る恐る、鋭そうな大鎌にも触れてみる。

「間に指突っ込むなよ。挟まれるぞ」

「うん。・・・あ、花・・・上がってて、十兵衛。お菓子も持ってくるよ」

嬉しそうに立ち上がった花月の背を見送り、十兵衛はひとり、頷く。

大丈夫。

俺たちは、いつもどおりだ。

花月は風鳥院で。

十兵衛は筧だけれど。

でも、二人は無二の親友だから。

衿にクワガタをつけたまま、花瓶に挿した紫苑と干菓子を持って戻ってきた花月と笑い合って。

大丈夫、いつもどおり。

クワガタムシがどんな木に棲むのかは、庭の手入れに来ている男をつかまえて聞いた。

花月がそれを捕まえたがっていると思ったらしいその男は、この庭ならば一番大きな椎の木だろうと教えてくれた。

欠けはじめた月の昇る頃、その木の肌にそっと、十兵衛にもらった宝物を放し。

花月は、少しだけ、泣いた。