瞳の色 ３
連れて行かれたアスランの部屋は、相も変わらず備品しかなかった。
それでもロッカーを開ければ着替えが出てきて、パイロットスーツのままだったシンは、遠慮なくアスランの私服を借りた。
折り返すほどではないけれど、少し大きいのがなんだか癪で。
でも、どこか安心する。
「・・・・死んだと思いました、あんた」
ベッドに座ると手渡されたコーヒーは、シンが口を開くとちいさな波を作った。
「そうだな」
向かいの椅子に腰掛けたアスランは、自分のコーヒーを音もなくすする。
肯定されるとは思っていなかったので、シンは思わず相手を見上げた。
翠の瞳が、シンを見ていた。
さすがに笑ってはいなかったけれど。
穏やかな、色。
「でも、死ねなかった。・・・死ねないと、思った」
「そんなんで死ななかったら、誰も死にません」
「そうだな。でも、大事なことだ」
沈黙が降りる。
死なない。
死ねない。
そう、思うこと。
シンはいつだって思っている。
こんなところで死ぬために、あの、オーブの海岸で生き残ったわけじゃないはずだって。
こんなところで死ぬために、マユたちを、あんなところに置いてきたわけじゃないはずだって。
「でも俺はたぶん、ずっと死にたかったから。だから、死ねないと思った自分にびっくりしたんだ」
しかしアスランはそう言って、シンの方がびっくりした。
だってこの人、『死にたかった』って。
「メイリンを助けないといけなかったし、それに、お前にもう一度、会いたくて」
その言葉に、シンの心臓が跳ね上がる。
「会って、話をしなければと思ったんだ。そのままではいけないと、どうしても、伝えたかった」
なんだ、そんなことか。
がっかりした自分に腹が立つ。
その苛立ちを、シンは、そのままぶつけてしまう。
「あんた、いつもそんなことばっかりだ。わけわかんねぇ」
「・・・・そう、だな」
絶対怒鳴り返すと思ったアスランは、それでも怒りはしなかった。
ただ、いつもの景気の悪い顔をしていた。
「でも、シン」
『シン』、と。
自分の名を呼ぶ声。
反射で、背筋が震える。
「でも・・・・俺も、間違えていたんだ、たぶん」
アスランはそう言って、コーヒーを飲み干した。
空になった紙コップを、デスクに置く指が、白い。
「俺はただ、お前が傷つくのを見たくなかったんだ。・・・・俺の勝手な思いが、お前を余計に傷つけた。本当に、すまない」
何を、謝ってるんだろう、この人。
何を。
翠の瞳がシンを見据える。
シンの、大好きな翠だ。
シンの。
忘れていた、翠だ。
たぶん。
こんなきれいな色を忘れていて。
シンのためだった、この人の言葉を聞かなくて。
そんなシンの方こそが、謝らなくちゃ、いけないのに。
「なんであんたが・・・」
謝るんですか、と、呟いたシンに、アスランも呟くような声で応えを返した。
「ちゃんと説得したかったんだ。お前のやり方じゃ、何も守れないと。・・・でも、俺も、結局同じで」
アスランの声は、沈んで暗い。
その声に、言い返そうとして。
そうして。
シンは、ふと、あることに気が付いた。
あれ？
えっと、それってさ。
「それって、俺のこと、守りたかったってこと？」
言ってから、恥ずかしくなる。
そんなわけないだろ。
しかし、アスランは。
「・・・・・ああ、そういうことになるな。すまない」
そう言って、アスランはまた視線を床へと落とす。
「だからなんで謝んだって！」
「だって嫌だろう、お前。守られるなんて」
シンは、そのまま絶句した。
ああそうだ。守られるなんて嫌だ。
俺は、みんなを守りたいんだ。
大事なものを、今度こそ守りたいんだ。
でも。
でも、さ。
緩く組まれたアスランの指。
申し訳なさげに上げられた、上目遣いの翠の瞳。
苦い笑いの形に歪んだ、青い唇。
シンの機体を、手加減して落としたくせに。
そんなこと、おくびにも出さない、強い人。
「・・・・あんたにだったら、守られたっていいです」
「・・・・・・・・そうか、ありがとう」
そう言って笑った、アスランの瞳。
きれいなきれいな翠色。
ああほんとに。
どうして俺は、こんなきれいな色を忘れていたんだろう。
そう思っていると、アスランは、つ、と立ち上がって。
シンの見惚れた、翠に瞳が近づいて。
そうして、青い軍服をまとった腕が伸びてくる。
シンは、不思議な想いでそれを受け入れた。
その腕に、やさしく、抱かれて。
抱きしめ返して。
あたたかな腕に、安堵して。
そうして。
自然に。
シンは、その人に口付けていた。
アスランの唇は、青い色のわりにあたたかくて。
ちょっとかさついていたけれど、柔らかくて。
もっと、欲しいと思ったけれど。
でも、そうしたら、本当に止まらなくなりそうだったから。
だから、我慢して、ゆっくりと、離した。
「・・・・唐突な奴だな、お前は」
翠の瞳が大きく開く。
ああ、びっくりしてる。
シンだってびっくりしてる。
やばい、やっちまったって、思ってる。
しかしアスランは、見開いた瞳をふうっと和ませて。
そしてちいさく。
でも、はっきりと。
「もう一度、いいか？」
と。
「えっ、あ・・・・・」
少年は、返事をする前に、しっとりと唇をふさがれていた。
アスランからの、キス。
閉じそこなったシンの目に映ったのは、長い睫毛と薄そうな瞼。
あの下の瞳が、どんな色をしているのか。
シンはもう、知っている。
触れ合ったところから、伝わる体温。
鼻先をくすぐるのは、甘い匂い。
アスランの匂い。
シンの、記憶にはなかった、いい匂い。
そう思うと、止まらなかった。