灯火の消えた部屋の中、水の貴人が、ひとり月のかけらを愛でている。

ちゅっ・・・くちゅ・・っ

昼は、いつも通り「法親王」を演じていられる。そうして生きてゆくことを、自分は選んだのだから。もう、逃げる場所などどこにもない。

しかし、夜は。

腕のなかには、泰明の忘れていった首飾りがある。

それは、彼のようにひんやりとしているのだけれど、じっくりとしゃぶっているとほんのりとあたたかくなってくる。それは、あの夜の泰明のぬくもり。それを感じたら、次の玉へ、それもぬくまれば、次へ。そうしているうちに、はじめのひとつは冷え切って・・・・・繰り返すうちに、朝がくる。

夢を見るいとまもなく。

 

 

きし・・・・と、わずかに床の軋んだ音は、首飾りに夢中の永泉には、聞こえてはいなかった。

 

そして、やっと気付いたとき、既に御簾は巻き上がり、そこには今、胸に描いていた男が立っていた。

「や・・・すあき、どの・・・」

驚愕に目を開いたまま、永泉はしばらく動けない。事態が上手く把握できない。

なぜ、かれがここにいる？

「それを、返してもらいにきた」

泰明の一言で、やっと頭が回り始める。そう、これは泰明が落としていっただけのもの。彼のものなのだから、返さなければ。

「も、申し訳ありません・・・」

唾液の光る首飾りを、衣の袖でこしこしと拭い、おぼつかない動きで差し出した。泰明の分身のように愛しんでいた首飾りを失うことが、麻痺しかけていた永泉の心に、新たな絶望の影を落とす。

でも、これは、かれのものだから。

かえさなければ。

差し出された首飾りを、泰明はじっと見つめた。自分は、これを取りにきたはずだ。

しかし

ふるふると震える永泉の腕を強く掴み、自分の胸へと引き寄せる。

とたんにひくんとすくみあがった体は、あの時よりもずいぶんと頼りなく感じられるが、安堵を誘う質感と暖かさは変わらない。

今夜の永泉は、また違った顔をしていた。泰明の胸にあるべき玉を、口に含んだその表情。

 

わかった

 

泰明は思った。

それは、とても心躍る発見だった。

「・・・やっ」

細い腕が、きゅうきゅうと抗うが、泰明は力を緩めない。

「永泉」

右手で首飾りを握り締め、左手で泰明の胸を押しながら、永泉はいやいやを繰り返す。

「なぜ、あのようなことをした？」

常と変わらぬ、ただ知識を求めるだけの声。永泉は、この声が大好きだった。

しかし今は、その声音に胸を塞がれる。　

・・・彼には、あれはその程度のことだったのだ。

自分の決死の行為は、そんな疑問しか残さないほどの・・・・

「泰明殿が、好きだからです」

だから、言ってしまえる。きっとこの告白も、彼の中には届かない。

「好きだと、あのようなことをするのか？」

ほら、届いていない。

「いいえ、私はおかしいのです。」

笑みさえ、こぼれる。

「そうか・・・ならば、私もおかしいのだな・・・」

え？

「私も、おまえにあのようなことが、したい」

永泉の体が、再び震えた。

あのような、こと。彼に強要した、汚れた行為。あれを快感とする者と、同じものに、彼をした。自分が。彼を、よごした・・・・

永泉の体から、完全に力が抜けた。そのまま横たえられ、衣を緩められる。むき出しの肌を、泰明の指が滑る・・・気持ちいい。夢にまで見た、彼の優しい愛撫。なのに、涙が、とまらない・・・・

泰明は自分の衝動に驚いていた。それは、なにかを知りたい、という気持ちに最も似ていたが、もっと熱い、感じたことのない思い。

永泉に触れる手のひらから、肩を通って背筋まで、ぞくぞくと快感が這い上がる。特に気に入った、右の二の腕、その内側に舌を這わせると、思い切って口をあけ、頬張ってみる。唇に感じる滑らかさ。口いっぱいの彼の香り。磨き上げられた玉髄もかなわぬ舌触り。不用意に歯が触れれば、ひくひくと、体全部が反応する。

なごり惜しく腕から離れ、胸へ、腹へ。腿の手触りと反応も、大変気に入った。最後に、立ち上がって震えているものに触れてやると、たちまちはじけて白い液を滴らせた。

ぺちゃぺちゃと音を立てて、それを舐めていると、細い体がいっそうふるえ・・・どこからか、金臭い匂いがした。

そこにきて、ようやく泰明は永泉の様子がおかしいことに気付いた。

「永、泉・・・」

顔を上げると、永泉はぽろぽろと涙をこぼしながら、血の滴る左手の指を噛み締めている。泰明は一瞬、白い肌に滴る赤に見とれてから、慌てて手を取り上げて、こぼれ落ちる雫を口に含んだ。甘い。

口を塞ぐものを取り上げられ、永泉は嗚咽を隠せなくなった。丹念に愛された右腕は、ふるえるばかりで動かない。ひく、ひく、としゃくりあげながら、床に頬を擦り付けるようにして顔をそむけようとする。

それは、はじめて見た永泉の泣き顔。

泰明は、ぴくぴくうごめく指をくわえたまま、またもやその様に見とれてしまった。あの朝に見た、うつくしい光景。こんな嘆きを曝しているというのに、泰明にはそのときの彼と同じに見えた。あの夜の艶も、恐怖を呼んだ、あの顔も、きっと、同じ。

「法親王」の仮面を失った、ただの子供の、顔。

自分が欲していたのはこれなのだ。

自分の発見の確かさを確信した泰明は、涙に濡れた頬に手のひらを当て、うつむく顔をこちらへ向かせた。少し赤くなっている頬に口付けて、こぼれ落ちる涙を味わう。それは、血よりも、精液よりも苦かった。

「永泉・・・」

やわらかい、いい匂いのする体を、腕の中に閉じ込める。あの朝のように、ぴたりと寄り添うかたちで。そうして手のひらで、ゆっくりと、背中を撫でてやる。永泉はまだいやいやしているが、彼がはじめにやりたがったことだ。本当は嫌がっていないと・・・やがて、あんな顔を見せてくれると、泰明は信じて疑っていない。

そしてそれは間違ってはいなかったのだ。

度重なる衝撃と混乱、そして遂情に、永泉は疲れきってしまっていた。それではいけないとわかっていても、体は愛しい人の抱擁に喜んでしまう。繰り返し、夢想し続けたぬくもりに、思考はとろけて消えていく。

ずっと、このままでいたい。

この腕の中、儚くなってしまえたら、それは、どんなに幸福だろう・・・。

ぼんやりとした望みを最後に、永泉の意識は溶け落ちた。

 

 

 

 

 

なにか、とても幸せな夢を見たような気がした。その余韻を味わっていたくて、永泉はかたわらのぬくもりに額をすり寄せる。朝の光がさえぎられて、小さく安堵の息をついた。肩や背中を、優しい手が撫でている。人の手は、こんなに気持ちの良いものだったろうか・・・？

「永泉？」

一息に覚醒した。

「や・・・やすあきどの・・・っ」

泰明は、あの朝の再現を得られて大満足だった。腕の中のかわいい生き物が、きゅうっと小さくなるのが楽しい。

しかし永泉はそれどころではない。思考が、前夜の泰明を汚してしまった、のところまでさかのぼり、青くなってふるえている。

「どうした？」

泰明はそれをどう取ったのか、いっそう深く抱き込まれた。

色違いの瞳が、のぞき込む。その瞳が、見たこともない優しい色をしていることに気付き、はっとした。

「あのようなことをするのもいいが、おまえは寝顔もいい」

きれいな、そして楽しそうな泰明の顔。そういえば、昨夜泰明は自分に触れて・・・そして、どうした？

「泰明殿、あの、昨夜は・・・」

震える声を、なんとか絞り出す。

「・・・ああ、いきなり押しかけてすまなかった」

何でもないことのように言い放ち、体を離して衣を纏いはじめる。また、永泉はついていけなくなったが、どうやら泰明は、昨晩最後まではしなかったらしい。

何故？

混乱で回らない頭は、答えを出してはくれない。ならばきちんと聞いてしまおう。馬鹿な期待をしてしまう前に。

「そうではないのです。あの、昨夜は・・・・・何故、その、ええと・・・最後まで・・・・」

「最後、とは？」

すっかり衣を整え、艶めいたさまなど微塵もない泰明に、このようなことを問う自分が、酷く淫らに思える。

「その、中に、入れては・・・」

真っ赤になって口ごもる永泉に泰明は首を傾げたが、その意味するところを理解して、何でもないことのように言った。

「おまえは、あの時血を流していた」

昨夜もそうなることを危惧して、しなかったのだ、と。

では、この人は自分を気遣ってくれたのだ・・・

昨夜の泰明の言動が、まったく別の意味を持って胸に迫る。優しく触れた指や唇。熱い、肌。

信じられない思いで泰明を見上げた。彼はすっかり衣を整えて、床に落ちたままだった月光色の首飾りを拾い上げていた。　

そう、自分ごときがこのきれいな人を汚すなど、ありえなかったということだ。おろかな自分に笑いがこみ上げた。

自分がなんとか着せ掛けた、皺だらけの衣に包まって笑う人に、泰明はまた見とれてしまう。こんな、きれいなものは、見たことがないと思った。

もっと近くで見たくなり、彼の前に跪く。

やすあき、どの・・・

かすかに動く、やわらかそうな唇。

それを確かめるために、泰明はそうっと、自分のそれを重ねた。

 

 

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