Date ２
本を置きにいったん椎名は家へ帰り、そうして二人で電車に乗る。
その頃には、夏の日もそろそろ傾きかけていた。
そういえば椎名は、午後の授業はどうしたんだろうか。
そう思ったが、わかり切ったことだったので、蒼龍は思考を停止した。
それよりも。
「ソーちゃん」
駅で会うなり、自分から蒼龍にまとわりついてきた椎名に、蒼龍は少し驚いた。
一体、どういう嫌がらせをする気だと身構えれば、蒼龍の胸のあたりから、椎名が面白そうに見上げてきた。
「・・・不審者ってんで、ケーサツ呼ばれたくないだろ。ソーちゃん」
「・・・・・」
なるほど。
この組み合わせだと、そういう危険がある訳か。
「まあ、あながち間違ってはいないんだけどね」
「どういう意味だい？」
「俺が言ってもいいの？」
「その口を閉じさせてやろうか？」
「いいよ。でもどうやって？」
確信犯的に見上げてくる、日本人にも珍しい、漆黒の瞳。
言い返そうとして、口を開き。
そうして蒼龍は、その口を閉じた。
そのまま、やってきた電車に乗る。
「アンタが大人しいと調子が狂う」
横並びのシートに座っても、椎名は蒼龍の横にぴったりとくっついたままだった。
「君も、たまには大人しくしてみないか」
「はっ、御免だね」
全くの他人にも関わらず、どことなく似ている二人は、叔父と甥か、下手をすれば兄弟にも見えるだろう。
その二人がこう親しげに遠慮のない会話をしていれば、確かに未成年者略取には見えないだろうが。
「電車乗る霊能力者って、なんかシュールだよな」
「君もそうだろ」
「俺はまだ子供だからね」
この距離感は、微妙に辛いな、と蒼龍は思った。
「どこ行くの？」
「そうだな」
乗ったのは、とりあえず東京へ向かう急行だ。
蒼龍はあえて質問をはぐらかした。
「デートなら、買い物して食事かな」
「いいねえ。何の工夫もなくて」
小馬鹿にしたように答えて、椎名は重ねて聞いた。
「買い物って、どこ行くのさ」
「どこがいい？」
「ノープランは嫌われるよ」
下手な女より面倒なんじゃないかこいつ。
今更な感想に我ながら呆れ、しかし蒼龍は日本でこなさなければならない用事のひとつを思い出す。
「なら、とりあえず銀座かな。欲しいものがあるんだ。付き合ってくれるかい？」
「いいよ」
そうすれば、思ったよりも、素直な反応が返ってきた。
「アンタのことだ、どうせ仕事なんだろ？先輩のお仕事拝見、ってね」
しかし、がっつりと見透かされていた。
「ああ、参考にはなると思うよ」
渡した本のラインナップを思いだし、蒼龍は頷く。
「へえ」
椎名の目の色が変わった。
こういうところは可愛いんだけれど。
「でも、普通の店だからね」
付け加えると、鼻先で笑われた。
「期待しないでおくよ」
ああ、やっぱりこいつは可愛くない。
地下鉄に乗り換えて、入り口を出てすぐの店に入る。
入ってすぐには可愛らしい小物が並んで賑わっていたが、階を上がると雰囲気が変わって静かになった。
そうして何より、匂いが変わった。
これは、いにしえの香りだ。
椎名は蒼龍の買い物が何なのか見当がついた。
てつしやリョーチンが来たならば、『墓場の匂いだ』とでも言いそうなそこは、香の専門店だった。
なるほど。『風を扱う』ならば、こういった知識も役に立つだろう。
店員と何事か話をしている蒼龍にぴったりとくっついて、椎名は耳をそばだてる。
今までこういったことにあまり興味のなかった椎名には、単語の半分ほどしかわからなかったけれど、丸暗記して後で調べればいいのだ。
「こういう市販の使うんだ」
店員が店の奥へ品を取りに行った隙に、椎名は小声で囁いた。
『使う』ものであることを前提で聞いてくる椎名の察しの良さに舌を巻きながら、蒼龍は答えた。
「理にかなった調合がされいて、質の良さも折り紙付きだ。使わない手はないよ。それに、専門業者から買うと高くつくんだよ」
「貧乏臭いな」
「フリーでやっていく知恵さ」
この場合、『専門業者』とは、香ではなく幽霊妖怪関係だろう。
ふうん、と頷いたところで、店員が戻ってきたので、椎名は黙って自分の頭をＲＥＣモードにした。
いくつかのやりとりの後に会計を済ませ、蒼龍はひとつ分けられた包みを椎名に渡す。
「これは、君に」
渡された包みの中には、小さな匂袋が入れられていたことを、ずっと観察していた椎名は知っていた。
「とりあえず、ベースは白檀だと思ってね」
ビャクダン、と、正確に言葉と香りを記憶してから、椎名は顔を上げた。
「そういう時はさ、これが君のイメージだとか言った方がモテるよ、ソーちゃん」
「香水店ならそうしたかも知れないけどね」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃあないさ」
図星をつかれて、しかしそれを認めない蒼龍は、そのやりとりに苦笑いをしている店員に軽く会釈をして売り場を出る。
すると、その後に付いた椎名が、不意に彼の袖を引っ張った。
「危ないよ、祐介君」
丁度階段を下りようとしていた蒼龍は、焦って少年を見下ろした。
本当に、こういうところばかり子供でこの子はもう。
そう思ったところで。
「ありがとう」
珍しく、他意のない瞳で素直な礼を言われて、正直面食らった。
「引っ張るなら、階段を降りきってからにして欲しかったな」
あまりに面食らったので、そう答えるのが精一杯で。
「子供の行動が突然なのは当たり前だろ」
「だからこういう時だけ子供になるんじゃない」
「俺らのこと子供子供って言ってんのアンタだろ」
いつもの調子の椎名に、なんとなく安堵して。
そんな自分と、口の減らない椎名にため息を付いた。
それから適当な百貨店へ入り、夕飯の時間までを潰す。
今度は見学はなしなのか、蒼龍は紅茶専門店で本気で品物を物色していた。
「ヨーロッパの紅茶の方が飲み慣れているけれど、日本に来たらやっぱりニットーだな」
「その理屈わかんないよソーちゃん」
まあ、気持ちはわかるけどね。
それは絶対口には出さず、椎名はきょときょととあたりを見回した。
「欲しいのがあるなら、買ってあげるけど」
香とは違い、この辺は椎名も詳しいだろうから、勝手に買い与えるのは得策でないことくらい、蒼龍だってわかる。
「じゃあ、あれ」
案の定、椎名は自分で取るには少し高い棚の上を指さした。
「フォションの夏のお茶。あれ、てっちゃんが好きだから、地獄堂に置いておきたい」
ああ、そうか。
そこで、蒼龍はなんとなくわかってしまった。
駅向こうのコーヒー専門店なら、神出鬼没と言われるてつしにも、かち合う可能性はほぼゼロに近い。
だから、彼はあそこを待ち合わせ場所に選んだのだ、と。
西洋魔術の知識にしても、風の符術の補強にしても、椎名の行動原理には、いつもてつしが関わっている。
「そんなに好きなら、言ってしまえばいいのに」
ほろり、と。
そう口にしてしまったのは何故だったろう。
しまった、と思う間もなく、とても小学生とは思えない、呆れ含んだ苦みのある笑みをかすかに浮かべ、椎名は斜めに蒼龍を見上げた。
「アンタだって、そんな単純じゃあないだろうに」
何を、どこまで見透かしているのか。
この子は時々、本当に怖い。
「君は、欲しいものは手に入れるタイプだと思ってたよ」
彼の希望の金色の缶を、ひとつ取って蒼龍は言った。
「アンタは、欲しいものもいらないって言うタイプだよね」
一体何を見ているのか、それよりも隣の缶がいいと椎名は付け加えた。
「まあ、大人だからね」
「違うね、アンタだからだ」
そう言い切って、椎名は蒼龍の手から紅茶の缶を奪い取った。
「それに、てっちゃんはモノじゃないよ」
「ものじゃないなら、なおさら言わなければわからないだろう」
そんな、『大人の意見』を、椎名は鼻で笑い飛ばした。
「知らないのか？」
金色の缶は、小さな手のひらに、完全に余っていた。
「一人でも、恋はできるんだ」
好きな人の好物を手に、ほんのかすかな笑みを浮かべた少年は、蒼龍の贔屓目でなくとも、どうしようもなく、綺麗だった。
それはもう、恋ではなくて愛だろう、と。
そう思ったが、蒼龍はそれを言わなかった。
「・・・それは、知らなかった」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃないさ」
言いながら、彼の小さな手から、大きな缶を浚い取る。
そのまま会計へ向かえば、椎名はその横をついて来た。
結局のところ。
自分たちは、似た者同士なのだろうと蒼龍は思った。
相手を想えば、動けない。
そんなところが、そっくりだった。
そのまま、蒼龍が商談に使う日本料理店で食事をし、上院の街へ帰る。
駅からタクシーを使おうとした蒼龍だったが、夜の風があまりにも心地よかったので、そのまま歩いて椎名を送ることにした。
「ていうかさあ、送り届けちゃっていいの？」
「悪いけどね、犯罪者になる気はないよ」
いたずらっぽく聞いてくる椎名に、蒼龍は重々しく答えた。
否定するとこ間違ってるよ。
その甘さが蒼龍らしいけど。
そう思いながら、椎名は夜空を見上げた。
夏の空は、椎名の目には結構にぎやかだった。
「なっちゃえばいいのに。マーカスなら迷わずそうすると思うけどね」
「アレと一緒にしないでくれたまえ」
まさに、『欲しいものは手に入れる』大人げない大人の名前を挙げられて、蒼龍は本気でげんなりした。
「そこがアンタの可愛いトコだよな」
「可愛いのは君だろう」
珍しくはっきりと笑った椎名に、何気なく答えた蒼龍だったが。
「・・・うわぁ、気持ち悪ぃ」
「すまない、今、私もそう思った」
二人してダメージを負って、ぐったりしたところで椎名のマンションに着いた。
「ていうか君、お家にはちゃんと言ってきたんだろうね？」
「ああ。怪しいオッサンとデートしてきますってね」
不意に不安になって聞くと、しれっと答えられて脱力する。
「君ね・・・」
「じゃあ、いろいろありがとな」
コトの真偽を正される前に、椎名は匂袋と紅茶の袋を軽く上げて言った。
「ていうか、結局礼になってなかったよな？」
どうしようか？と首を傾げる彼に、蒼龍は笑って答えた。
「そうでもないさ」
好きな子とデートできたんだから。
しかしそれを、言わないのが蒼龍だった。
ギブアンドテイクをはっきりさせるのは、人外と付き合うには重要な素養だ。
彼は、いい術者になるだろう。
彼の愛するあの子の隣で。
それは辛くないのだろうかと、聞くのもばかばかしい話だった。
そんなことは、わかりきっているのだから。
じゃあねと言って手を振って別れる。
次に会うのは、どんな事件が起きた時か。
それとも、ただ単に本を返却される時か。
もしも後者だったら、またデートをしようか。
あの子を愛している君と。
終