罰 １
部屋は、真っ赤に染まっていた。
「痛みがないっていったって、よく、ここまで思い切れるもんだよねぇ」
手早く医療スタッフの呼び出しをかけてから、呆れたような声で言った相手を、少年は、見えているかどうか定かではない瞳で、ぼんやりと映している。
その喉は真一文字に裂かれ、少年の右手には、その喉を裂いたガラスの破片が、しっかりと指に食い込むかたちで握られていた。
この状況で、素人が手当をしても意味がない。
それが明確な状況であっても、この男の落ち着きは異常だった。
「でもさ、このくらいじゃ、君は死ねないよ？」
そう言われて。
少年は、乾きかけていた瞳を無理矢理閉じた。
確かに。
こんな状態でまだ体が言うことを聞くのなら、そうなのだろうと、思った。
「・・・ご迷惑を、おかけしました」
明るい社長室で、場違いなほど暗い空気をまとい、少年がぺこりと頭を下げる。
「ああ、声出るようになったんだね」
少年とは対照的に、明るく笑った石神は、やはり明るく言い放った。
「だからね、あのくらいじゃ死ねないから。そろそろ諦めてくれると嬉しいんだけどなぁ」
「そんなことは、わかってます」
外側の傷よりも、内側の傷の方が治りが遅いらしい。
森次の喉にはもう、何の痕も残っていないが、声はまだ、低くかすれていた。
「だから、謝って、います」
死ねないことがわかっていて、それでもなお自傷を繰り返して。
そうして迷惑をかけていることを謝っているのだと、彼はそう言っているのだ。
イヤなくらいに賢い子だな、と石神は思った。
この子は、どちらにいても機能する。
そういうカードだと、知っている。
なら、あっちにあげちゃっても、良かったんだけどね。
そう思いながら、石神は、少年のわずかに涙の痕の残る睫に目をやった。
伏せられたそれは、あの夜見たものと寸分違わず美しく。
欲しいって、思っちゃったんだもんなぁ。
内心ため息をつきつつ、それでも見とれた瞼が上がり。
漆黒の瞳が現れて、石神の目を更に奪う。
「痛みがあれば」
喉をさする細い指。
それがつうっと胸元へ下りる。
そういえば、喉の前は、心臓を全壊させていた。
それは、無痛症というものは、これほどにも自分の体を傷つけることができるのかと、感心するほどの酷いありさまだった。
「少しは、あれで気が晴れるかも知れないのに」
ああ、本当に。
イヤなくらいに、賢い子だ。
自分の自傷が、「気晴らし」程度だということも理解している。
初めに大暴れしていた印象とは大違いだ。
あの時彼が負った傷を思い、石神は真っ赤な血の似合う白い頬に手の平を添えた。
「痛い思いがしたい？」
黒い瞳が石神を映す。
痛々しく尖った黒曜石の輝きに、魅せられる。
「さすがに、痛い思いはさせてあげられらないけれど・・・そうだね」
まだ、たった１５才の少年の肌は滑らかで、それを血にしろ、もっと他のものにしろ、汚したいと思うのは、わりとありがちな欲求なのだと思う。
「酷いことを、してあげようか？」
彼は、罰を欲しがっている。
なら。
「いっぱい、泣かせてあげるよ？」
彼の欲しがる罰で飼い慣らしてあげるのが、悪い大人としての義務なんじゃないかな？
そんな言い訳じみた石神の思惑など知らず、少年は懐疑的な目をこちらに向けて。
それでも、こくりと頷いたのだった。
石神の部屋へ招かれるのは、初めてではない。
ことあるごとに、あれこれ作っては森次に食べさせようとするものだから、食器棚のどこに何が仕舞ってあるか程度なら、まだ、そう長い付き合いではない森次でも、もう覚えてしまった。
しかし。
その奥の寝室に踏み込んだのは、初めでだった。
ベッドは、森次にあてがわれたものよりも随分大きかったが、それでも同じ自社製品で、ベッドヘッドの棚にもサイドのテーブルにも、ＪＵＤＡ社のマークが入っている。
医療機器メーカーといっても、逆に言えば医療に関する物ならば、ベッドだろうと棚だろうと、何でも作る、大きな会社。
その社長の寝室としては、酷く簡素な部屋だった。
「じゃ、服を脱いで」
入り口で立ち止まった少年の背中を柔らかく押してベッドに向かい、石神が言った。
「言っただろう、酷いことをしてあげるって」
ああ、こういうことかと森次は思った。
まだ、女性との経験もない子供にこんなことをする。
確かにそれは、「酷いこと」になるのだろう。
その「酷いこと」が自分に機能するのかどうか、かすかな期待と疑惑を抱きながら、少年はベッドの前で、服を脱いでいく。
指が震えてシャツのボタンが巧く外せないことで、初めて、自分が緊張していることを知る。
その様子を眺めた石神が、くすりと笑ったことで、頬に血が上るのがわかった。
先に上半身の肌を晒してしまうと、下を脱ぐのは意外と抵抗がなかった。
それでも、石神の瞳がじいっと自分の体を見ていることが知れると、恥ずかしさに肌が火照ってくる。
随分いろいろやらかした覚えのある体は、それでも体の中心を走る、大きな傷跡以外は何も残っていない。
掻き切った喉も、滅多刺しにした胸も、骨ごと砕いた手足も。
脱色していた髪も、ぐしゃりと眼球の潰れた感触の残った右目も。
すべて、元通りだった。
その、忌々しい体をベッドに上げて、石神はひとつ、首を傾げて聞いた。
「ひとつ聞くけど、経験はあるのかな？」
「ありません」
即座に返された返事に、石神は苦笑いをして。
「そう。じゃ、ちょっと可哀想なことになっちゃうね」
わかっていて聞いたのだろう。そう森次の不安を煽ってから、その手を引いて、まるで小さな子供のように、膝の上に上げてしまう。
「自分で触ったことはあるよね」
ぴったりと背中に当たる、スーツの感触。
真上からかかる、低い声。
「・・・はい」
そう答えると、まるで当たり前のように、石神は明るく言った。
「じゃあ、やってみようか」
ひく、と少年の肩が目に見えて震えた。
他人の目の前で、自慰をする。
それは、思春期の少年にとっては、酷く抵抗のあることで。
それでも森次はおずおずと自分のものに手を伸ばした。
いつもするように根本から指を滑らせ、先のほうをいじる。
「やっぱり、見られてると緊張する？」
しかし、いまいち反応の鈍い少年を見下ろし、笑いを含んだ声がそう囁く。
こく、と頷くと、石神の手のひらが、するりと胸元を撫でた。
「じゃあ、こうしてあげようか」
その手は、するすると皮膚の薄い脇腹を撫で、わざわざ臍に指を引っかけるようにして胸へ戻り、そうして左胸の先の、色づいている部分をきゅうっと摘んだ。
「・・・っ！」
生まれて初めて、性的な意味で他人に触れられた少年の肌は、初めての感覚を逃がし切れず、ふるると震える。
胸からは、何かぞわぞわしたような、じっとしていられない何かが背筋に向かって走るようで、少年は思わず身をよじった。
「ほら、続けて」
そうして、大人の大きな手のひらが、止まってしまっていた森次の手の上に重ねられた。
「きっと、気持ちがいいよ」
震えた指をそろりと撫でると、それはびくんと跳ね上がり。
そうして、先ほどよりも積極的に、自分のものをいじり始めた。
脇腹や喉元、かなり反応の良かった胸の先など、彼の性感の良いところ探し出してはいじってやりながら、石神は少年がイくのを待った。
程なくして、体全部を硬直させて、自分の手のひらを汚した森次は、うっすらと快楽の涙の乗った瞳で、自慰を強いた男を見上げ。
そうして、恥ずかしそうにうつむいた。
「触られるのは気持ちいいかい？」
「そ、れは、社長が」
言いさしてから、それでも感じたのは自分だと悟ったのだろう。
賢い少年はまたうつむき、唇を震わせる。
その様子を愉しく眺めた石神は、膝の上の少年の肩をやんわりと掴んで、そのままとさりとベッドに倒した。
背中に感じていた体温を失った少年は、すぐさまシーツに肌を擦られ、その刺激に身もだえた。