ずっと ２
どうしてシンは、俺の面倒を見てくれるんだろう。
アスランはそれを、とても不思議に思っていた。
「あんた！何動いてんですか！」
水を飲もうとして起き上がりかけると、側にいたシンに怒鳴られた。
「いや、水を・・・」
「飲ませてあげますから大人しくしててくださいよ。絶対安静って言われてるのわかってるでしょう！」
「大丈夫だよ、このくらいの怪我」
「どのくらいの怪我してんだかわかってんですか！」
キレられて、首をすくめる。
すくめたところで、口元に、ぐい、と吸い口を突きつけられた。
躊躇いがちに口を開くと、初めの頃よりも、随分と上手くなった手つきで水を流し込まれて。
「・・・怒らないんですね、俺のこと」
細い先端にキャップをしながら、そう呟いたシンの紅い瞳を、アスランはシーツに頬を埋めながら見上げる。
「怒ってるだろういつも」
「そうじゃなくて。・・・・俺が、言うこと聞いてれば」
指先にわずかに触れた頬は、下がらない熱で熱かった。
ベッドに放り出された四肢の、あまりの力なさが、怖い。
「そう思うなら、次からちゃんと聞けよ」
「でもだって、あんたさ・・・」
何がでもだってだか、言った自分でわからなくて、シンはそのまま言いよどみ。
そうして、無理やりに顔を上げて、翠色の瞳を睨んだ。
「だいたい、なんであんな無茶したんですか」
ごまかしだ、わかっている。
しかしアスランは、その問いに真剣に答えてくれた。
「後ろに母艦があったんだ、避けるわけにはいかないだろう」
あんな状況を作ったのは自分自身。
ならば、当然その責は自分で負わなければ。
「だからって、あんなシールドひとつで・・・」
まだぶつぶつ言うシンに、アスランはひとつ、息をつく。
「前に・・・・」
そう遠くない、過去に。
「陽電子砲を、ああやって止めた人がいたんだ。しかも、空気逓減のない宇宙空間でな」
「はぁ？そんなこと出来るんですか？？」
少なくとも、シンの常識では、それは無理だ。どう考えてもシールドが持たない。
いや、シールドもそうだが。
機体が、持たない。
「ああ。・・・・機体は、粉々だったがな」
機体は、粉々。
その言葉に、シンは息を呑む。
思い出すのは、潰れて、ひしゃげて。
溶けて曲がった、セイバーのボディ。
その中に、なんとか守られていたアスラン。
「でも、艦は守られた」
翠の瞳が、遠い何かを映して瞬く。
その色に、シンは、何故だかもやもやとしたものを胸に抱え込んだ。
小さな嫉妬。
それどころじゃ、ないのに。
「それなら、従来型の高エネルギー収束火線砲なら十分止められると思ったんだ。しかも大気圏内。・・・実際、止め切っただろう」
「だからって！あんたなんでそんなことばっかり！」
落下するユニウスセブンに取り付いて、離れなかったことは記憶に新しい。
自殺行為。
そんなことばかりを繰り返す人が、シンは怖い。
好きだと、気付いてしまったから。
余計に、怖い。
大切なものを失う恐怖。
シンは、それを知っているから。
「機体を大事にしない奴だとよく言われるよ。でも、十分に使い切ってこその『兵器』だと、俺は思う」
しかしアスランは、シンの心中など知らず、ごくごく静かにそう言った。
「そんな話してないです！」
そんな話はしていない。
そんな、怖い話は。
してない。
「そういう話だよ、シン」
聞き分けない子供の頭を、アスランは点滴針の刺さった手を延ばして撫でた。
思ったよりも柔らかな髪に、自然と、笑みがこぼれた。
真っ赤な瞳がわずかに潤んでアスランを睨む。
そんな顔をすると、年相応よりも、幼く見えて、可愛い。
可愛くて、そうして、かなしい。
「同じ場面で、同じことをしろとは言わない。でもな、お前はもっと、自分が軍人だということを自覚するべきだ」
何故、こんな子供が軍人にならなければならなかったのかと、そう思うと、かなしい。
「じゃああんたは！もっと自分が心配されてるってことを自覚してください！」
そうか、俺、心配されてたのか。
「この艦、パイロット凄く少ないんだから！」
そう付け加えたのが、頬の赤さで照れ隠しだと、鈍いアスランにでもわかった。
「ああ、そうだな。気をつけるよ」
パイロット、なんて。
代えはいくらでもいるれど。
でも、それを。
アスランは今、言いたくなかった。
同じパイロットの彼に。
言いたくは、なかった。
「やっぱり、甘いのかな、俺は・・・」
「なんか言いましたか！？」
「いや。・・・シン」
「なんですか」
「水、もう一口欲しいんだが」
「・・・わかりました」
軽く頬を支えたシンの手のひらに、アスランは小さな安らぎを見つけ。
そうしてシンは、わずかに濡れた唇に生唾を飲んで、少しだけ、その白い頬に水をこぼしてしまった。
その水を、思わず唇で追ってしまい。
シンは、慌ててその柔らかな頬から唇を離した。
「えっ、あっ、あのっ」
翠の瞳が、キョトリとシンを映して瞬く。
それから、赤い唇がくすりと笑って。
「ああ、気にするな」
「う、あ、すいません」
思わず謝ったシンに、「ああ」と応えたアスランは、本当に、何も気にしていないようだった。
こんなにぐるぐるしてる自分が馬鹿みたいだ。
いや、たぶん、馬鹿なんだろうけど。
言うこと聞かなかったのに、後でこんなに後悔してることとか、いまだにこの人の言うこと良くわかんないこととか。
それから・・・こんなよくわかんない上司に惚れちゃったこととか！
「シン？」
急に黙ったシンを不審に思ったのか、アスランが軽く首を傾げてシンの瞳を覗き込んできた。
翠の色、きれいだ。
その色が、大好きな自分を確認して。
「シ、ン？」
もう一度、自分の名を呼んだ唇に。
シンは今度こそ、自分の意思でもって、自分のそれを押し付けていた。
「んっ・・・・」
アスランの喉が、わずかに鳴る。
苦しいのかな、と思うけれど、触れた唇の温かさと柔らかさ、その気持ちよさをもっと感じていたくて、離したくない。
抱きしめたくて、体に触れて。
その熱と、手に触れた包帯の硬さに、現実に引き戻されて。
名残惜しく思いながら、唇を、離した。
さすがに驚いたように、アスランはシンを見上げている。
「お前は・・・なんでいつもそう唐突なんだ」
「う、え、すいません。・・・じゃなくてあの！」
シンは勢い込んだ。
告白するなら、今だ。
「俺、あんたのこと好きなんです！」
よし、言った！
思わずつぶっていた目を開ける。
翠の瞳が見上げている。
キレイな色だ。
シンの、大好きな色だ。
その瞳が、２、３度瞬いて。
「それは、キスをするような意味でか？」
「わ、わかってんなら聞かないでくださいよ！」
今更恥ずかしくなったのか、真っ赤になったシンの頬。
可愛い。
そう思ったのが、顔に出たのだろう。
「・・・なんで、そんな落ち着いてんですか」
シンは憮然として、そうつぶやいた。
「いや、別に落ち着いてるわけじゃない。男の後輩に告白されて落ち着いていられるほど、俺は人生経験が豊富なわけじゃないからな」
そう言ってから、アスランは笑みを深くした。
「でも、ちょっとお前が可愛いから」
「可愛いって何ですか！」
大きな声を上げて、場所を考えて、慌てて閉じて。
それから、真っ赤な顔をして、真っ赤な目で、じっと、アスランを見つめるシン。
その、くるくる変わる表情が可愛い。
なんだかいつも一生懸命なのが可愛い。
可愛くて、そうして。
やっぱり、かなしい。
そう思って、アスラン瞳が、少し、陰る。
憂いを含んだその色に、シンはドキドキしてしまったのだけれど。
アスランは、そんなことには気がつかないまま。
「どうしてお前が俺の面倒を見てくれるのか、不思議だったんだ」
「だから、それは俺のせいだし、それに・・・・」
『さっき言った』と、言い訳のようにちいさくちいさく返された答えに、アスランは笑みをちいさくして。
それから、ひどく複雑そうな顔をした。
その顔だけで。
あ、フラれた、と、シンは思った。
思って、そうして、しゅんとする。
人の感情に疎いアスランにも、はっきりとわかる変化。
「シン」
「・・・はい」
耳と尻尾を垂らした仔犬。
そんな風情の後輩に。
アスランは、ずるずると思い通りにならない腕を延ばして。
うつむいたせいで随分と近づいた頬に触れて。
「俺は今、そういうことを考える余裕がない」
「・・・・・・・はい」
わかっていても、つらい言葉。
シンは、涙を堪えるためにぎゅっと目をつぶった。
しかし、アスランは、もう少し頑張って彼の柔らかな髪に指をさし込み。
引き寄せて。
その唇に、ちゅ、と、キスをした。
「あんた」
呆然とした少年の赤い瞳、それを、見上げながら、アスランは懸命に言葉を探していた。
今、自分は、この後輩を可愛いと思っているけれど。
この子の望むことなら、かなえてやりたいと、そう思うけれど。
そう言ってやることが、正しいことなのか、判断できない。
その、余裕が無い。
「だから、すべてが終わるまで、返事を待ってくれないか？」
真剣な、真剣なアスランの視線に、ああ、この人は馬鹿がつくくらいの堅物なのだと知って。
シンは、その人に、また惚れなおした。
「はい！」
元気良く答えたシンは、それから、少しはにかんで。
「じゃあ、あの」
「何だ？」
少し首を傾げて、真剣にシンの言葉を聞いてくれるアスランに。
「それまでずっと、俺と、いてくれますか？」
「ああ」
ほっとしたように笑ってくれたアスランに。
シンはまた、もうひとつ、キスをした。
その約束の儚さを、二人がかみ締めるのは、これより先になるのだけれど。
それでも。
ずっと、と、その約束を果たすためにアスランは戦場に舞い戻り。
そうして、シンは。
漆黒の宇宙へと飛び立っていく、赤い機体。
月面からそれを見上げたシンは。
ずっとずっと、憧れていた彼に撃ち落されて、泣きじゃくっていた。
やっぱり、ずっと。
俺、あんたのことが。
好き、です。
彼に、望んだ答えが与えられるのは、もうすぐ。
赤い機体が再び舞い降りた、その時に。