ずっと １
青い空、青い海、無数にも見える敵、味方は４機。
そろそろ、慣れてきたシュチュエーションだった。
スピーカーから聞こえる、腹の立つ声にも。
不本意ながら、シンは、慣れてきていた。
「シン！戻れシン！！」
そんな命令など、聞く気はなかった。
「レイ！右翼を頼む！・・・・艦の守りに戻れ、シン！！」
だって、目の前には、何度も撃ち洩らしているガイアがいて。
「シン！」
ザコだってたくさん落とした。だから、いいと思ってた。
きっとまた、みんな褒めてくれるって。
「――――っ！」
そうして、ガイアには逃げられて。
腹いせに周囲の敵を撃ちつくした時、ルナの、悲鳴のような声が聞こえた。
「隊長！！」
振り返った母艦。
その、すぐ側まで迫っていた敵艦。
放たれた、高エネルギー収束火線砲。
その、間にあったのは。
片足を失った、紅い機体が、ただ一騎。
無造作に、シールドを前に翳して。
光がシンの目を焼いた。
ついさっきまでオープンだった回線は、切られて何も聞こえなかった。
一拍遅れて、爆音。
その時になって、ようやくフルスロットルで飛び出したシンは、セイバーを撃ったスペングラー級を、一撃のもとに葬り去る。
簡単だ。
ちゃんと、隊長の命令どおりに艦に付いていたなら。
簡単に、やれた相手だ。
でも。
頭の中で何かが弾ける。
振り仰いだ敵を、どこからどうやれば、手っ取り早いかよくわかる。
そうして、敵を打ち尽くし。
ゼイゼイと肩で息をしながら、シンは今度は帰還命令を無視して、セイバーの落ちた海へと機体を投じた。
速い海流と、利かない視界。それに、ひどく腹を立てながら。
それでもシンは、ひしゃげた機体の胴体部分を、海流の中から回収することには成功した。
とにかく甲板に着艦し、そっと下ろした黒灰色と化したカタマリの上に飛び上がる。
コックピットハッチは、確かこの辺。
でも、熱に溶けたそれは、開かなくて。
がんがんとそれを殴っていると、いつの間にか登ってきたヨウランが、持っていたバーナーでシンの頭をがつんと殴った。
「どけ！」
焼き切られたハッチを、素手で掴んでこじ開ける。
パイロットスーツのグローブ越しにも手のひらが焼ける感覚がして、また、ヨウランに殴られた。
「何やってんだよ」
でも、シンはそれどころじゃなくて。
頭を突っ込んだコックピットは、中の方まで変形していた。
ありえない場所から、排気管が突き出している。
そうして、シートと、ひしゃげて、せり上がったコンソールの間に。
ぐったりと、力なく挟まれたままの、パイロットスーツ。
ヘルメットのバイザーには、内側から、血が付いて。
「アスランさん！」
呼ぶと、かすかなうめきが上がった。
生きてる。
でも、これじゃ・・・
「ヨウラン！バーナー貸してくれ」
「待てよ、隊長に怪我させる気かよ！」
「もうしてる！前のコンソール切ったら危ないけど、シートだったらいけると思う。俺なら、体入るから」
ヘルメットを脱ぎ捨てたシンの体格は、身長が同じヨウランよりも、幾分細い。
シンは初めて、自分の体がそう大きくないことに感謝した。
ヨウランから受け取ったバーナーを持ってシートの下に上半身をもぐりこませると、ほたり、と、頬の上に何かの液体が落ちてきた。
染み込んだ海水だと思って、気にせず作業を続けると、ほたり、ほたりと量を増して落ちてきたそれが、ついに目に入ってしまった。
痛い。
仕方がないのでそれを拭い、作業に戻ろうとした、その手。
白いグローブに付いた、赤。
その意味を知って。シンは慌ててシートの上を振り仰ぎ、ぼたぼたと落ちてきた血を、顔面にもろに浴びてしまった。
やばい。
コンソールに挟まれていて見えないけれど、腹か、胸からの出血だ。
シンは、震える手で、シートのシャフトを焼き切った。
がこん、とシートが落ちて、隙間に無理やり体を突っ込んでいたシンの上に、アスランの体ごと、それが落ちてくる。
「痛って…」
思わず顔を上げると、ヘルメット越しに、その人の顔が、見えた。
バイザーの半分は、血に覆われて、中が見えない。
そうして、残りの半分の中で。
閉じられたままの目蓋。
血の付いた頬。
青い、唇。
それでも、その唇は、シンの目の前で、わずかに息を吐いてみせて。
「……っ！」
シンは、その体を慎重に、コックピットの中から引き出した。
出血は、腹部。
フットペダルの一部がせり上がり、捻じ曲がり。パイロットスーツを突き破って刺さっていたのだ。
それが抜けたせいで、出血が激しくなる。
妙にぐんなりとしたそれは、不吉な重さを持っていて、シンの手には、べったりと赤い血が付いた。
その体を、両手に抱き上げて。シンは、医務室へと駆け出していた。
パイロットスーツに鋏が入れられていく光景は、何故だか、ひどくショッキングなものだった。
パイロットの誇り、オリジナルカラーのスーツが切り裂かれ、剥ぎ取られ。
現われた肌は、奇妙に艶かしい紅色。
しかし、その上から、すぐさま冷却スプレーが吹き付けられるのを見て、その色が、軽度の火傷に因るものだと気づく。
既に処置台を赤く染めていた血は、スーツが取り去られると、その紅色をした体を、覆うように広がっていた。
医務室の隅で、じっと立っているシンを、誰も見咎めず、誰も出て行けとは言わない。
それは、彼ら医療スタッフの気遣いかも知れなかったし、ただ、忙しすぎてそれどころではなかっただけかも知れなかった。
「ここで手術をする。設備はあるんだ、うろたえるな」
医者の声に、傷、酷いんだ、とわかって、シンは泣きたくなった。
なのに。
アスランの、紅色した肌の上を、白い手袋が行き来して。
無機質な指が、腿の、薄そうな皮膚に食い込んで、持ち上げられて。
普段、他人に見せないようなところまで晒されて。
それでもぐったりと、その手にされるがままの、シンの上司。
その光景に、シンの目は釘付けになってしまった。
俺が、あんなことしたら。
きっと、その場で張り飛ばされるだろうに。
ああでも、今、この人、それどころじゃ、なくて。
閉じられた瞼。
人工呼吸器の下の、薄い唇。
シンにはなんだかわからない、銀色の器具が。四方八方から伸びて。
この人に、触れ、て。
「―――――っ！」
堪えきれず、シンがその光景から目を引き剥がそうとした時、やっと、処置台の体の上に、手術用覆布が掛けられた。
見えなくなった体に、ほっとして。
それでも、その下からはみ出した、ブーツの熱遮断効果のせいか、白い色を持ったままの足先に、目が行ってしまって。
時折痙攣する、その足の色から、形から、震えから。
シンは、目を離すことができなかった。
こんな風に、思っちゃいけない。
いけない、のに。
そんなことを考えながら、ずっと。
医務室は、あんまり好きじゃない。
薬の匂いは嫌いだし、それになんだか落ち着かない。
それでもシンは、アスランが運び込まれてから、ずっと、ここを動かなかった。
青い髪が、白いシーツに散るさまが、とても、きれいだと思った。
閉じられた瞼を飾る睫毛が、長くて目が離せなくなった。
ちいさく息をつく唇に、触れたくて。
触れたくて、たまらなくなった。
こんな気持ちに付く名前を、シンは知っている。
知っていると、思う。
でも、この人、シンの上司で。
しかもただの上司じゃない。すごく、ムカつく上司で。
煩くて、偉そうで、訳わかんなくて、腹が、立って、しかも男で。
シンに命令を聞かせることもできないのに、一人であんな風に艦を守って。
こんな、怪我して。
ばっかみてぇ。
俺に、ちゃんと言うこと聞かせりゃ良かったんだ。
そうすれば、こんな怪我しないで済んだんだ。
・・・ばっか、みてぇ。
俺、ちゃんと、言うこと聞けば良かったんだ。
そうすれば。
こんな怪我、させないで済んだのに。
俺が、言うこと、聞いてれば。
良かったのに・・・
シンが唇を噛んだ時、視界の端で、動くものがあった。
薄いシーツから引き出され、点滴の針の刺さった腕の先、白い指。
それが、ひくんと動いて。
何かを掴もうとするかのように、握られて。
シンがその手を握り返すと、長い睫毛がかすかに震えて。
薄い瞼が、ゆっくりと開いて。
比類ない、翠の瞳が。
シンの姿を、映し出した。
目、覚めたんだ。
良かった。
良かった・・・・
「し、ん・・・」
かすれきった声が、シンの名を呼ぶ。
「おま、え、泣いて・・・・」
青い唇に言われてはじめて、シンは自分が泣いていることに気が付いた。
ああ、ダメだ。
そう、シンは思った。
やっぱり俺。
この人、好きなんだ。
好き、なんだ・・・・
その人の手を、ぎゅっと握り締めて。
シンは、そのまま泣き続けた。
意識回復に気付いた看護師が、医者を連れてくるまで、ずっと。
ずっと、泣き続けていた。