ゆらゆらと １
なみなみと湛えられた湯に、橙色の明かりが、ゆらゆらと映って綺麗だった。
シンは、その中で大きく手足を伸ばして、ちらりと側にいる人を盗み見る。
でも、もっと綺麗なものが、ここにあると思って。
「綺麗だなぁ、シン。ほら、光が当たってるところ、あの湯気も」
そう言って上げられた、アスランの腕。
ほのかに上気した肌が、あたりと同じくオレンジに光って。
長い睫毛と濡れた髪が、絶妙な陰影をつくって。
でも、あんたの方が綺麗だなんて、シンにはとても言えないセリフだったから。
「そう・・・ですね」
そんなことをもごもごと呟いて、シンはたぷんと顎を湯に浸けた。
気を逸らさないと、やばいことになりそうだ。
だから、無意味に湯をかき混ぜて。
そうして出来た光の波に、アスランはまた、嬉しそうに目を細めていた。
「贅沢だなぁ」
そう、プラントはあまり水が豊富でないから、湯船に浸かる習慣があまりない。
それも、こんな大きな露天風呂、地球でしか味わえない。
しかも部屋付きの貸切。
・・・・・あ、なんかムカついてきた。
シンはますます湯船に顎を沈める。
湯が口まできて、まだ沈めて。
ぶくぶくと、泡がまた、光る湯の面を揺らめかせた。
「行儀が悪いぞ、小僧」
とたん、頭を強い力で小突かれて、シンは思い切り、湯の中でひっくり返った。
「ぶ・・・・げほっ！」
湯船の中だから怪我はしなかったけれど、危うく気管に湯が入るところだった。
「何すんですかっ！？」
シンはがばりと立ち上がると、自分を小突いた・・・いや、位置からして、明らかに蹴った男を睨み上げた。
「部屋風呂とはいえ、湯船に口を浸けるな、馬鹿者」
先に上がったイザークは、既に浴衣姿だった。
ヨーロッパ系の人種がこの手の服装をすると、なんだか情けないことになるというのが相場なのに、イザークの浴衣姿は、堂に入っていて、正直よく似合っている。
すっげえムカつく。
「俺の勝手でしょう！」
騒ぐシンを見下ろして、イザークはフンと鼻を鳴らす。
「上がるなら何か着ろ。情けないぞ」
「誰のせいで立ったんですかー！」
慌てて前を隠してしゃがんだシンは、その波紋でまた、アスランを喜ばせた。
「シン、もう一回立って座れ。さっきの凄く綺麗だった」
「アンタ自分でかき回せばいいじゃないですか！」
しかも、イザークもニヤリと笑う。
「ほう、勃ったのか」
「勃ってませんよ！！」
「自分でやっても、あんまり・・・」
「ちょ！わぷ！やめろよアンタ！！」
更に、唐突に湯をかき混ぜだしたアスランの作った波で、シンはまた湯を飲む羽目になった。
「髪を浸けるのもルール違反だぞ」
「好きでやってんじゃねえ！」
がなったシンは、そのままイザークの裾を掴み締めた。
このまま引きずり込んでやる！
そこに。
「ほら、シン見てみろ」
ばっしゃん。
アスランがお湯をぶっかけて。
「濡らすなアスラン！」
「アンタって人はーーー！！」
二人に揃って怒られて、アスランはむうっと、湯に染まった頬を膨らませた。
「だってほら、綺麗だろ」
ぱしゃ、ぱしゃと。
アスランが作る飛沫は確かに、灯火を模した明かりを弾いて綺麗だったけれど。
やっぱり、アンタのが綺麗だと、シンは思って。
「貴様の肌には劣るがな。・・・・さっさと上がって来い、のぼせたら見捨てるぞ」
そう言い捨てて背を向けたイザークの、アスランが濡らした裾が遠のくのを眺めながら、シンはまた、思った。
やっぱあいつ、すげームカつく！！
地球に行く。仕事じゃなくて、温泉だと言われて、シンは素直に喜んだのだ。
だって、プラントでは広い風呂にはお目にかかれなかったし、火山列島のオーブで育ったシンにとって、温泉は身近で懐かしいものだったし。
何よりも、アスランさんと温泉入れる！と、それはそれは楽しみにしていたのだ。
しかし、そうして連れて行かれたところは、シンの予想を遙かに裏切るものだった。
「あんたさぁ・・・ここ、一泊いくら？」
「聞かん方がいいぞ。貴様には払えんからな」
そうでしょうとも。
シンが聞いていたのは、「和風の旅館」ということだけだった。
イザークが好きそうな感じだな、と、シンはそれくらいにしか思わなかったけれど、よくよく考えてみれば、イザークが好むような「純和風の高級旅館」が、シンが家族旅行で行ったことがあるような旅館とは違うのだと、何故思わなかったのだろう。
広い、半分屋根の差し掛けられた露天の風呂から上がると、そこは、すぐに部屋のデッキに繋がっている。
そこで軽く体を拭い、浴衣を引っ掛けて、シンは部屋を見渡した。
部屋、というよりも、それは心地良く小さな建物だった。
大きな露天風呂付きの離れの宿。
一泊いくらだ。
しかも連泊だ。
シンには絶対できない真似だ。
ああムカつくこんちくしょーーー！！
「イザークのおごりだろ、別にいくらだっていいじゃないか」
しかしシンの思い人は、なんのわだかまりもなくそう言うと、実に下手くそに浴衣を着込みだした。
首どころか肩まで見えるわ、脚は太腿までまる見えだわで、こちらは似あう似合わないの話ですらない。
「貴様は払え！特許のひとつもザフトに寄越せば十分だ」
そんなアスランの浴衣を直すイザークを、シンはムカつきながら、しかし羨ましく思いながら見ていた。
だって、シンではあんまり綺麗に直してやれないもの。
「ひとつでいいのか？」
「本気にするな！」
不毛な言い争いの間に、アスランは完璧な浴衣美人になっていた。
白地に青い蝶の舞う浴衣は、どう見ても女物だったけれど、もちろんシンは口にしない。
イザークの趣味の良さに、更にムカつきが増したけれど。
てゆか俺、一番甲斐性ないのかな・・・
ムカつきを越えて、落ち込みそうになったシンの頭を、アスランの、ほんのりと湯のぬくもりの残る手がぽふんと叩く。
「ほら、行こう。あっちの部屋に、夕食の準備が出来てるってさ」
くしゃくしゃと、そのまま撫でてくるアスランの袖の蝶を、シンはしっかと握り締めた。
「その後、自分が食われるってわかって言ってます？」
温泉旅行で、この面子で。
夜、することといったら決まっている。
「食われる？馬鹿だなぁ、お前」
しかしアスランは、ふわりと笑って。
「俺がお前らを食うんだろ？」
「食われてたまるか！」
部屋の向こうで、イザークがひとつ、吠えた。