闇の翼
真木が兵部の部屋を訪れたのは、皆本の記憶の事件が無事に解決した（してしまった）その夜のことだった。
「・・・少佐」
いつもの仏頂面とは違う、思い詰めたような表情に、しまったなぁと思いながら。
兵部は、わざとあけすけに真木を誘った。
「いいぜ。丁度シャワー浴びたとこだ」
「そのようですね」
バスローブ姿の兵部の頭を、彼の被っていたタオルで拭いてやりながら真木は答えた。
わしゃわしゃと、気持ちの良い手に好きにさせながら、ああでも、と兵部は首を傾げる。
「いつもお前の部屋だから、ローションとか置いてないや。やっぱりお前の部屋行こう」
真木からの誘いは、正直ひどく珍しい。
だいたいは、兵部の方から真木の部屋に押し掛けるのだ。
「・・・いえ。持ってきましたから」
しかし、真木は用意周到だった。
ポケットから取り出されたひと揃いに、兵部は肩をすくめた。
「さすが僕の部下」
「恐れ入ります」
真木の表情は変わらない。
ここで呆れのひとつでも見せてくれないとなると、この先ちょっとまずい展開になるのは目に見えていた。
「じゃあ、ご褒美だ」
それを避けるために、きちんと着込まれたスーツの襟を掴み寄せ、軽く伸びをして口付ける。
乾いた唇を割り、舌を絡め、たっぷりと愛撫するようなキスを仕掛けると、髪を拭いていた手のひらが、タオル越しに強く頭を引き寄せてきた。
そのままキスの主導権を明け渡し、好きなように口腔を味あわせてやりながら、兵部はほっと胸をなで下ろす。
このまま、さっさと夢中にさせてしまえば、最中に説教されるのは避けられるだろう。
兵部にも、怒られることをしたという自覚はある。
自分の命を勝手に使えば、彼らに怒られるのだと。そう自惚れていいということを、知っている。
「んっ・・・はぁ・・・・」
甘く舌を齧られて喉を鳴らし、ようやっと離れた唇で息を継ぐ。
口の端からこぼれ落ちた唾液をぺろりと舐められて、そこだけじゃないだろ、と顎を上げる。
滴り落ちたぬめる液体を追うように真木の肉厚の舌が這って行き、やがて追い越して、喉元をたっぷりと舐められた。
このままテレポートでベッドまで行くか、それとも真木に運ばせるか。
そんなことを考えていると、真木の唇がさらに下に降りて行き、申し訳程度に合わされていたバスローブの合わせを解いて、右胸の尖りを柔く吸った。
「・・・真木、ベッド」
タオルを持ったままの大きな手で背中を支えられてはいるものの、そんな愛撫を受けていると、腰に力が入らなくなってくる。
これは元凶の真木に運ばせるべきだと、勝手に思って胸元にある頭を軽く叩いた。
しかし。
「・・・・っ、真木」
真木の唇が横に滑り、胸の真ん中に穿たれた、二つの弾痕を舐め回したのだ。
兵部が、ここに触れられることがあまり好きではないことを、真木はよく知っているはずだった。
この頭を、殴ってやるか否か。
少しだけ考えて、兵部は炭素単結晶繊維でごわついた真木の頭を抱き寄せた。
「ベッド連れてけって言ってるだろ」
悪かったとは思っているから、このくらいは我慢してやる。
それだというのに、真木は更に敏感な腹部に舌を這わせ、更に下、重ねられた愛撫と快楽への期待で立ち上がりかけたものに、その熱い舌先を触れさせた。
「っ、こら！」
ごつ、と、今度は本気で頭を殴った。
さすがに、真木も唇を離した。
そうして見上げてきた、恨みがましいというよりも、いっそ悲壮といった方がいい黒い瞳と、自分の体を舐め回して濡れた唇。
それから思わす目を逸らし、兵部はもごもごと呟くように言った。
「だから、悪かったよ」
それでも、もうしない、とは決して言わない。
自分の命をどう使うかは、自分で決める。
良いも悪いも関係ない。
それは真木もわかっているはずなのに。
それが甘えであるという自覚もなく、兵部は重ねて命令した。
「ベッド、連れてけ」
もう、兵部の体のほとんどは、背中に添えられた手のひらに支えられている。
「・・・はい」
言葉少なに答えられ、そのまま無言で抱き上げられて。
お説教された方が、ずっとマシだと兵部は思った。
こんな、捨てられた仔犬みたいな目で見られるのは。
なんだかとても、とても堪えた。
もっと手荒にしてくるかと思ったが、真木はどうやっても真木だった。
骨ばった指で丁寧に割り開かれる快楽に身を任せながら、ぼんやりと兵部はそう思った。
「ん・・・ぁ・・・・・」
真木のポケットの入っていたローションは程良くあたたかく、ぬるりと兵部の体温に溶けていく。
長い指は奥まで届き、抜き差しされればそれだけで感じる。
それを何度も繰り返され、このままイってしまいそうな感覚に兵部は身を震わせた。
「・・・真木、弄り過ぎ」
やっぱり、まだ怒ってるのか。
「しつっこいぞ・・・」
言っているうちに、それが、まだ怒っていることに対してか、それとも指の動きに対してか、自分でも分からなくなってくる。
どちらにしろ、我慢することが嫌いな兵部は、ぞんざいに足を上げて真木の腹を蹴った。
「いいかげんにしろ」
「・・・わかりました」
そう言って見下ろす目が、最中にしては哀しげで、それに腹が立ってもう一度蹴る。
そうすれば、真木は余計に哀しそうになって、もっと腹が立って。
本気で暴れてやろうと脚を上げれば、さすがにそれは捕まえられた。
「いいですか？」
ずるりと引き抜かれた指が、入り口を探るようにしているのは、入ってしまえば後は楽な体だと知っているからだ。
「そう、言ってるだろ・・・」
答えれば、掴まれた脚を広げられ、押し上げられて腰が浮く。
ほとんど着衣を乱していなかった真木の腰のあたりから、かちゃかちゃとベルトを外す音がして、期待感に兵部の体が震えた。
そうして、期待通りに与えられる快楽。
入り口を割られる、痛みと紙一重の心地よさ。
ぐうっと内臓を押し上げられ、どこまでも深く満たされる充足感。
そうして、慣らされた襞を、熱く固いもので擦られる悦楽。
「っあ・・・・・っ」
真木とのセックスはいつだって悦いばかりで、今だって既に、十分に高められていた襞が震えている。
自分を犯す熱いものを食い締めて、瞼裏にちらちらと絶頂の影が見え隠れする。
でも、まだ。
まだ、達ってしまうにはもったいない。
シーツに落ちかかっていた、髪の毛だか炭素繊維だか定かではない束を掴み寄せ、まだ酷く哀しそうな、でかい図体した仔犬の瞳をあえて無視してその唇にむしゃぶりつく。
たっぷりとしたキスで下肢の快楽を散らしながら、ぎゅうとその背中にしがみつき。
兵部は真木に与えられる快楽に酔いしれた。
その前の諸々は、もう関係がない。
セックスは、気持ちよくなければ意味がないのだ。
行為の後に、すっぽりと抱きしめられてぼんやりするのが、兵部はことのほか好きだった。
今日はなんだかいろいろあった気がするけれど、なんだかどうでも良くなった、と。
ひどく勝手なことを言っている唇にキスを落とし、柔らかな銀色の髪を梳いてから、薄い背中をそっと抱く。
出会った時に、あんなにも大きく見えた背中は、今はこんなに薄くて儚い。
この背中を。
このかけがえのない存在を、失うかも知れないと。
自分たちをその恐怖に陥れたことも、今、この人にとっては『なんだかどうでもいい』ことに成り下がってしまっているらしいのだけれど。
「あんなことは、もうやめてください」
真木は、そう言わずにはいられない。
「・・・・・」
そうして、その言葉の真摯さ故に、兵部はそれに答えられない。
自分の命をどう使うかは、自分で決める。
良いも悪いも、関係ない。
嘘でいいならいくらでもついてやれるけれど、さすがにここで嘘をつくほど人でなしではないつもりだ。
いや、うんまあ。
僕は化け物らしいから、人で無しでは、あるんだけどね。
そんなことを思いながら、兵部は腕を伸ばして、真木の炭素繊維でごわついた頭を撫でた。
「お前たちのことは、もう女王の翼が守ってくれる」
エスパーを、敵味方関係なく守ろうとするあの翼。
それを想うと、自然に口元が緩む。
「お前も見ただろう？あの輝きを」
思い出すだけで、胸があたたかくなるような。
涙がこぼれてきそうになるような、あの光。
あの真価を知ればきっと、君も僕のいなくなった後、彼女を支えてくれると思うんだ。
「だから僕は、もう思い残すことなんかないんだけど」
唯一あるとすれば、女王の未来だ。
あの予知を変えるためなら、なんだってする。
まだ生きているのはそのためだと、兵部は信じて疑っていない。
「それは、思う存分好き放題するということですか」
兵部の思いを正確に理解した真木の固い声に、兵部は喉を鳴らして笑った。
「もちろん」
「あなたはいつもそうしてきたように思うんですが」
「あながちそうでもないんだぜ？」
大事なものが増えれば、それだけ好きなことばかりしている訳にもいかなくなる。
これでも結構苦労しているのになあと、ぼやく彼の『苦労』の大半を引き受けてきた真木は、抱き寄せた銀色の髪の中に鼻先を埋めて、ため息をかみ殺した。
詳しいことは聞かされていない。
兵部の『子供』でしかない自分には、その資格がないらしい。
それでも、真木にはわかるのだ。
彼の夢見るその未来には、彼自身は存在していないのだ、と。
薄い背中をゆるゆると撫でる。
行為のせいで、いつもより少し高い体温。
汗が引いたばかりの、まだ少ししっとりとした手触り。
息をするたびに、緩く押し上げられる感触は、この人が、生きている証。
ずっと触れていたい、いとしい背中。
この背中には、闇色に染まり、ぼろぼろに折れてなお美しい異形の翼があることを、真木は、いや、パンドラ仲間たちは皆、知っている。
この翼に守られたから。
この翼を支えたいと。
そうして集まったのがパンドラなのだと、その翼の持ち主だけが、わかっていない。
苛立たしさと哀しみと、それからたぶん、悔しさのようなもの。
苦いそれらを打ち消すように、甘い肌へと唇を落とす。
汗を含んだ髪から首筋へ。
そうして、骨の浮いた肩から、白い背中へ。
「ん・・・何だい、もっかいするか？」
とろりと濁った黒い瞳が上がり、緩慢に瞬いた。
「よろしいのですか？」
問われて、兵部はほんの少しだけ考えた。
今日はずっと他のことを気にしていたようで、十分に愉しめなかったような気がする。
「うん、僕も欲しくなった」
その答えに、真木は口付けで感謝の意を示し。
シーツにその白い体を伏せさせて、薄い背中に唇を落とすと、甘い吐息がこぼれて落ちた。
そのまま、いとしいひとに存分に触れながら、真木は思う。
俺たちはみんな、あなたにいのちをもらった、あなたのこども。
光の翼の庇護などいらない。
この、闇の翼を守りたい。
それが、真木の命の使い方。
自分の命をどう使うかは、自分で決める。
そこに、良いも悪いも、関係はないのだ。