焼肉デート
デート、となれば、ヒノミヤだってそれなりに気取りたい年頃だ。
しかも、なかなか会えない恋人ならなおさらだ。
しかし、彼の恋人は神出鬼没の自由人（組織の長なのに！）。いい店予約して食事して、というようには、なかなかいかない。
そんな恋人が突然にホテルに現れて、「デートしようぜ」なんて誘いに来たのは、ヒノミヤの日本出張３日目。バベルとの協議の中日だった。
「お前、わざとだろ・・・」
今日渡された資料に埋もれ、ヒノミヤが唸る。
今日中にこれを読んで、明日の交渉に備えなければならないのだ。
しかし、誰よりも大事な恋人のおとないを、無碍に出来る訳もない。
「根回し済んでんだろ、それ」
バベルマーク入りの書類を一枚取り上げ、兵部が笑う。
「だからこそ、体裁は整えなきゃマズイんだって」
誰かさんたちが好き勝手やるから。
ほら、兵部とかパンドラとか兵部とかチルドレンとか兵部とかー
そう答えたヒノミヤを、嫌そうに見下ろして。
しかし、断られることなど微塵も思っていない声音で、兵部は言った。
「で、行くのかい？行かないのかい？」
「行きマス」
即答して散らばった書類をかき集め、兵部がさりげにゴミ箱に入れようとしていた一枚も取り戻す。
なんて子供っぽい奴なんだ。
まあ、そこも好きなんだけど。
アバタもエクボ全開で、ヒノミヤは立ち上がってジャケットを羽織った。
「とりあえず、メシ食い行くか？」
実は、賢木センセーにいい店を教わっている。
教わってきた自分を褒めてやりたい。
持つべきものは、女たらしの知り合いだ。
あのメガネだと、こうはいかない。
「ああ、そうだな」
そう頷いた恋人は、しかしフリーダムな男だった。
「焼き肉食い行こうぜ、焼き肉。美味い店知ってんだ」
「はあ・・・」
賢木先生に教えてもらった、夜景の綺麗なレストランを心の中でそっとボツにして。
ヒノミヤは、そのままテレポートで外へ連れ出された。
連れて行かれたのは、なんだか凄くアジアっぽい路地だった。
アジアっぽいが、日本っぽくはない。
でも、看板の大半は日本語だ。
どこだここ。
きょろきょろするヒノミヤの腕が、ぐいと後ろに引っ張られた。
そちらを見れば、兵部はさっさと間口の狭い店へと入っていく。
「おい兵部、引っ張んな」
「ならさっさと来い」
引っ張られた挙げ句に閉まる引き戸に挟まれて、頭と肩だけ突っ込んだ店の中は、何故だか煙が充満していた。
しかし、美味そうな匂いの煙だ。
「奥、空いてる？」
「いらっしゃい少佐、待ってください今空けますから」
パンドラなのかそれともただの知り合いなのか。
兵部の態度から、とりあえずなにがしかのエスパーなのだろう店員が片づけをしている間、ヒノミヤはざっと店内を見渡した。
充満した煙の上に、床も壁も脂で汚れている。壁に掛けられたメニューまで脂染みだらけで、換気扇が壊れそうな勢いで回っていても、もの凄く煙たいこの店は、たぶん、どー考えてもデート向きではない。
しかも。
足元にガムテープの巻かれたテーブル席から火柱が上がっているのを見て、ヒノミヤはぼんやりと呟いた。
「日本人は、家ん中でバーベキューすんのかよ」
火柱を上げる網の上に乗っているのは、たぶん細かく切られた臓物だ。
ヒノミヤは付いて来たことを、ほんのちょっとだけ後悔した。
「どっちかっていうと半島の食文化だけどね」
兵部が言ったところで、やはり脂ぎった狭い座敷へ通された。
床に直に座って低いテーブルで物を食べるのは、まだちょっと苦手なヒノミヤだが、それでも大人しく、兵部の向かいに胡座をかいた。
ちょっとケツが痛い。
「今日おすすめは？」
「いい脂乗ったホルモン入ってます。あとは、熟成カルビすかね。ちょうどいい具合です」
「じゃあそれ。それから、タン塩とトントロがいいかな。・・・あと、このコメリカ人に何か、赤身の堅い肉」
「赤身ならヒレがおすすめですが、堅い肉ってのは難しいすね。ロースでいいですか？」
「そうだね。じゃあそれ３人前と、あと野菜とごはん二人分」
「はい」
どうやら注文していたらしいが、ヒノミヤには最後の野菜とごはんしかわからなかった。
「何屋だここ」
「言っただろ、焼き肉屋だ」
「やきにく・・・」
肉を焼く、で、焼き肉か。
目の前のミニバーベキューセットのような物に火を入れられて、なんとなく納得したような気がしたヒノミヤは、しかし大皿で持って来られた肉に、うわーと呟いてしまった。
片方には、明らかに内臓が乗っていたのだ。
「なんだこりゃ」
「ホルモンとタンとトントロ。こっちはカルビと、多いのがロース。いい色だね、美味しそうだ」
「ありがとうございます」
兵部が、テーブルの上にあった紙ナプキンを取ると、店員がそれに手を伸ばす。
「ああ、お付けしますよ」
「ありがとう」
紙ナプキンだと思っていたそれは紙エプロンで、どうやら壁も床も浸食している脂から、学生服を守ろうという算段らしい。
が。
近いだろ。
おい近いだろ！
店員の手が兵部の首に回り、銀色の髪を軽く除けて紙製のリボンの端を結ぶ。
それ、首に触ってんじゃねえのか。
おい兵部どうなんだ！？
じたじたするヒノミヤをちらりと見て、ニヤリと兵部が笑った。
わざとかよ！
店員が下がっても、がっくりとうなだれたヒノミヤを放置して、兵部は「いただきます」と手を合わせた。
そうして、ヒノミヤがそれに倣うなり、兵部は早速、大皿の肉を網に乗せる。
とりあえず、ちゃんと肉に見えるやつだ。
ジュージューと肉の焼ける匂いは、コメリカンの食欲中枢を問答無用で刺激する。
「言っとくけど、お前の焼いてやらないからな」
「おう、期待してねーわ」
いやうん、ちょっとは期待したけどさ。
恋人に目の前で焼いてもらったもん食うとか、ちょっとデートっぽいじゃないか。
まあ、相手が兵部じゃしょうがない。
自分で焼いて自分で食う。合理的だ。
兵部はやたらと脂の乗った肉を焼いているが、ヒノミヤは比較的脂の少ない肉を乗せた。
これでも、ヒノミヤからみたら脂が多すぎるのだが、たぶん、これがヒノミヤ用だろう。
いじめっ子だけれど気遣いもしてくれる。
そんな兵部が、ヒノミヤは大好きだ。
「おい、あんまり焼くと堅くなるぞ」
自分の分を、さっさと網から引き上げて、小皿のタレに付けて兵部が言う。
「放っとけ」
しかも、それを即座にごはんに乗せて、大量のそれと一緒に頬張った。・・・お前肉食いに来たんじゃねえのかよ。
そう思ったヒノミヤだが、それを咀嚼する様子に、思わず釘付けになった。
右手に箸、左手に茶碗を持って、もむもむと、口いっぱいに頬張っている兵部は、小動物っぽくてとても可愛い。
やろうと思えばとても上品に振る舞えるのに、こういう面を見せてくれるのは、とても嬉しい。
しかも、口の端にご飯粒が付いている。
可愛いからずっと見ていたいけれど、あれを取ってやるとか凄いしたい。
取って食べたい。
うわー、やったら殴られっかな。
そんなことを、相当本気で考えていると。
「おい、炭になる前に食えよそれ」
ご飯粒を自分の指でちょこりと取って、兵部は自分でぺろりと食べてしまった。
「ああ」
ちょっとがっかりしながら、焼けた肉を兵部に倣ってタレに付け、ヒノミヤは口に放り込む。
あ。
「美味いだろ？」
「ん、タレ辛くて美味い」
「お前なんかクズ肉で十分だ」
この味音痴のコメリカンめ。
そう毒づかれて慌てて首を振る。
「いや、肉美味いって。すげえ脂だけど」
「脂が美味いんじゃないか」
「うん美味い。脂ってこんな美味かったっけ」
合衆国やモナークで食う肉は、こんなに脂は付いてない。
ていうか、脂はこんなに美味くない。
「美味い脂が入るように育ててるんだよ」
ニイ、と笑った唇が、脂でてらてらと光っている。
「・・・怖ぇー」
ちょっと本気でそう思う。
思うのは、自分が『育てられている』自覚があるからだ。
「手間暇かけずに、美味いものは食えないさ」
「ソウデスネ」
棒読みしつつ、肉を焼く。
手間暇かけてんのかこいつ、かけられてんのか俺。
とりあえず、餌付けはされてっけどさあ。
そんなことを思いながら、とにかく肉を焼いて食う。
美味いタレに何か赤いものを入れられて、それが辛くてひとしきり騒ぐ。
焼いた芋やかぼちゃが思いの外美味く、「美味い」を連発して笑われる。
そのうち兵部が皿に乗っていた肉うち、どう考えても内臓な内臓を、焼き網の上にぶちまけた。
とたんに上がったのは、意外にも美味そうな匂いだった。
と、思ったとたんに網から火が上がり。
しかし、まるで何でもないことのように兵部が水のグラスに入っていた氷を放ると、それは治まった。
「ファンタスティック・・・」
「それ言うコメリカ人初めて見たな」
もの凄く脂が飛んだのが、兵部の付けたエプロンでわかるのだが、それ以上気にするつもりはないらしい。
兵部は、網の上の内臓を箸で片端からひっくり返すと、そのうちひとつをヒノミヤの皿に放り込んだ。
「自分で焼いたのは、自分が食べるルールじゃなかったっけか」
呆然と呟くと、兵部は自分の分を飯に乗せ、それを頬張りかかった口で言った。
「べつにルールじゃない。それとも何か？僕が焼いた肉が食べられないとでも？」
「イタダキマース」
即答で口に放り込む。
他に選択肢はない。
丸飲みしようとして失敗したそれは、匂いと食感が独特だったが、別にまずくはなかった。
タレが美味いからだろうか。
「不思議な味」
正直な感想に、兵部は鷹揚に頷く。
「内臓肉は体にいいんだ」
「若さの秘訣ってか？」
「その通り」
ニヤ、と笑って、兵部はまた、もくもくと口に肉と飯を運んでいる。
美味そうだ。
いろんな意味で。
実際、物を食べるというのは、見ようによってはもの凄く性的な行為なのだ。
飯を詰め込んだ頬の膨らんだ様子に、違う物を頬張って頂いたことを思いだし、ヒノミヤは思わず箸を止めた。
肉を放り込むために開けられた咥内の赤さ。
むぐむぐと咀嚼する、唇の動き。
「ヒノミヤ」
呼ばれて、ふと我に返る。
心底呆れた、といった様子を装って、実はとてもとても楽しそうな兵部は手を伸ばし。
箸の先に摘んだ、美味い脂を垂らす肉を、ヒノミヤに向かって差し出した。
「これやるから、ステイだ、駄犬」
そう、ご主人様に言われては仕方がない。
「ばう」
一声吠えて、忠犬よろしく口を開けると、兵部はそのまま、箸の先をヒノミヤの口に突っ込んだ。
口いっぱいに広がる肉とタレの匂い。
ぱくんと口を閉じると、ヒノミヤは口の中の箸に舌を絡め。
兵部は満足そうにそれを引き抜いて、その箸で網の上の肉を拾い、タレと飯と共に、口の中へ放り込む。
どうやら、無自覚の行動だったらしい。
口の中の肉を飲み込むのがもったいなかったが、ヒノミヤ十分に咀嚼したそれを飲み込んで、兵部に倣って飯をかき込む。
この食い方確かに美味いんだけど、兵部お前メシ食い過ぎだぜ、と、ちょっと思った。
更に何皿も肉を追加して、兵部は、最後にはヒノミヤがどれだけ食べられるかを楽しんでいたようだった。
あんまり食うと、夜に響く。それに気付いたヒノミヤがスストップをかけた頃にはほぼ満腹で、会計の時には、ちょっと驚くような金額になった。
もちろん、兵部はなんともない顔をしてカードで払っていたが・・・今度は奢ろう。そうしよう。
心に決めたヒノミヤをひょいと元の部屋にテレポートさせた兵部はすぐにヒノミヤにしなだれかかってきた。
もちろん抱き留めようとしたヒノミヤだったが、彼はするりと離れてしまう。
そうして、ニヤニヤ笑いながら言うことには。
「お前、すげえ焼き肉臭いぞ」
ヒノミヤはがっくりとうなだれた。
「お前もだろ」
あの空間にいて、焼き肉臭くならない訳がない。
しかし、兵部はそこで胸を張った。
「僕は臭くない」
「嘘ばっか・・・おい嘘だろ」
銀色の頭に手をやって、再び抱き寄せてみれば、その頭はいつものように、どこか甘い兵部の匂いだった。
「うーん、こんなに臭い奴とはシたくないなぁ」
丁度鼻先に来たヒノミヤの首筋をくん、と嗅いで、ゆるゆると兵部は首を振る。
甘い匂いがふわりと舞って、はたりとヒノミヤは気がついた。
「ずりーぞお前」
言われても、ただくすくすと笑っているところを見ると、超能力で某かの臭い対策をしていたのは間違いないだろう。
「匂いを気にするのは、デートのエチケットだと思うけどね」
「誰が連れてったんだよ、誰が」
そこまで見越しての店のチョイスだったのか、それともただ単に焼き肉が食いたかったのか。
わからないながらもヒノミヤは、ため息をついて抱き心地のいい体をいったん離した。
「とりあえず、シャワー浴びて歯、磨いて来る」
でないと、この先もさせてもらえないだろうから。
「うん。・・・まあ、合格かな」
ひらひらと手を振って笑う、兵部の機嫌は良さそうだ。
これなら、ちょっと目を離した隙に逃げられることもないだろう。
「どれだけ美味くなったか、確かめなくちゃな」
そう言って、ばふりとベッドに転がった兵部が寝てしまわないうちにと、ヒノミヤは急いで、しかし、しっかりとシャワーを浴びた。
美味しいものを食べるには、手間暇をかける必要があるらしいから。