わかるコト、ワカンナイこと
がっしゃーん！と、景気の良い音が、グラウンドと職員室に響きわたった。
「よりによってかよ」
「よりによってだね」
派手なファウルボールを打ったてつしは思わずつぶやき、リョーチンはうん、と頷いた。
「てっちゃんが打ったんだから、てっちゃんが取りに行けよ」
こういう時、椎名は冷たい。
「そーだそーだ」
級友たちにもそう言われ、てつしはヤケクソで声を上げた。
「あーわーったよ！行ってくらぁ！」
こういう時、てつしは無駄に男らしい。
本当に一人でボールを取りに行き、（決して謝りに行った訳ではない。だってボールってもんはどこに行くかわからないものなのだ）一人で割れたガラスを片づけることになった。
「てっちゃん、置いて来ちゃったね」
「カバンにメモを置いてきたから、ここだってことはわかるだろ」
学校から追い出される時間を過ぎてもてつしは解放されず、しかし学校前で待っていてもつまらない。
仕方がないので先に地獄堂に上がり込んだ二人は、めいめい読みかけだった本を広げた。
椎名は最近、人体のしくみがマイブームで、リョーチンなどはあんまり開きたくない、リアルな解剖学の図録を読んでいる。
リョーチンは、野生動物の生態シリーズを読破しようと頑張っている。
昨日は、ライオンに狩られる子鹿の写真に涙してしまったけれど、今日は泣かない。
子供たちが本さえ読んでいれば、地獄堂は静かだ。
時折、イラズの森が風に騒ぐ音さえ聞こえてくる。
「ねえ、椎名」
その中で、リョーチンがほつりと呟いた。
「椎名はさ、てっちゃんのことがスキなんだよね？」
「・・・ああ」
リョーチンはバカだけど、逆を言えば、考えることさえしなければ、とても聡い。
隠し通せていないかも知れないと思っていたので、椎名は大人しく肯定した。
「てっちゃんには言うなよ」
「どうして？」
ああだから。
リョーチンは、考えちゃうと、ダメなのだ。
「俺は、てっちゃんの重荷にはなりたくないからね」
言うと、リョーチンは訳がわからないというように首を傾げた。
だから椎名は、リョーチンでもわかるように、例を上げて説明した。
「小夜子を助けられなかった時さ、てっちゃん、『困る』って言ってただろ」
「でも、あれはさぁ」
言いさしたリョーチンだっただ、椎名の言わんとすることがなんとなくわかったので、むう、と口を閉ざした。
椎名はたぶん、小夜子が恋人を好きだったのと同じくらい、てつしのことがスキなんだ。
「俺は、てっちゃんの荷物を少しでも軽くしたいと思ってるんだ。なのに俺が、荷物になっちゃダメだろ」
てつしの負うものは、とても重い。
それはおそらく、椎名やリョーチンよりも、ずっと。
それでもリョーチンは首を傾げる。
何かが。
何かがおかしいのだ。
それが何か思い当たり、リョーチンはじいっと自分を見たままの、椎名の瞳を見返した。
「でもさあ、それを決めるのは椎名なの？」
重たいかどうか、決めるのはてっちゃんなんじゃないの？
椎名は思わず苦笑いした。
ああ、本当に。
リョーチンの、透明な瞳には、かなわない。
それでも。
「思い上がりなのは、わかってるさ。・・・それでも、俺が、嫌なんだ」
うーん、それじゃあしょうがないのかなぁ、とリョーチンは思った。
椎名は、自分が嫌なことは絶対にしない。
「だから、俺は言わないよ。少なくとも、てっちゃんにもう重くないと、俺が判断するまではね」
「ハンダンしたら、言うんだ」
「さあ、ね・・・」
本当にわからないので、椎名は言葉を濁した。
本当にわからないのがわかるので、リョーチンはこれ以上聞かなかった。
代わりに。
「なんでそんなこと聞くんだ、リョーチン」
椎名に聞かれて、今度はリョーチンが困った。
やっぱ俺ってバカだなぁと、思った。
「ええっと・・・」
ちょっと困って、それでもバカなリョーチンは、バカ正直に言うしかない。
「俺さ、ソーちゃんのコト、スキなんだ」
「うん」
それは、椎名もわかっているので、大人しく頷いて先を促す。
「ソーちゃん、たぶん、椎名こコト、スキだからさ」
だから、椎名とてっちゃんが上手くいったら、ソーちゃんどうするのかなって思ってさ。
そう言いたかったのだけれど、言い終わる前に、椎名がめったにない素っ頓狂な声を上げた。
「はぁ？何だそれ！？」
ありえなさに目眩がしそうだった。
遮られたリョーチンは、まあ椎名なら言わなくってもわかったかと思って、もそもそと答えた。
「だってさ、椎名の時だけ、ソーちゃんなんでも言うっていうか、わかるっていうか・・・」
椎名は、とりあえずびっくりを引っ込めて、解説を入れた。
「それは、蒼龍が俺のこと、時々うっかり対等に見てるってだけだ」
その程度の自覚は、椎名にもあった。
「俺はある程度見えちまうしわかっちまうから、しょーがないだろ」
自分が子供なのはわかっているが、人よりたくさんのものを見たり聞いたりしていれば、少しは考え方だって、大人に近づけることはできる。
それが椎名の生き方だし、残りの二人がバカだから、それが自分の役目だと、知っているからなおさらだ。
しかし、言い返したせいで、リョーチンがしょんぼりしてしまった。
なんだかいじめてしまったようで、もの凄く後味が悪い。
「大丈夫だよ」
だから、少し声を軟化させて（それは、ごく親しい人間にしかわからない程度に）付け加えた。
「蒼龍は、リョーチンのこと、特に可愛がっ・・・」
失言だ、と椎名は思った。
リョーチンは、蒼龍に可愛がって欲しいんじゃない。
「・・・・」
リョーチンは、大きな瞳をうるうるさせた。
椎名は、頭をフル回転させた。
「大事に、してるだろ」
「・・・・・・」
しまった、『大事』よりも『信用』の方が良かったか。
でも信用してるっていうよりは、大事にしてるって方がより近いし・・・
要は、可愛がっているのだから当たり前だ。
俺もまだまだだ、と、椎名はこっそりため息をつく。
「椎名ってさ」
リョーチンが、ぐす、と鼻をすすってつぶやいた。
「時々、スゴくバカだよね」
「・・・リョーチンにバカ言われた・・・・・」
あまりのありえなさに、腹が立つより脱力した。
図録の上（よりによって脳味噌の詳細ページだった）に突っ伏した椎名を眺めながら、鼻をかんで涙を引っ込めて、リョーチンは思った。
椎名はスゴく頭いいのに。
誰よりもよく見える目を持ってるのに。
なんで、どうしてワカンナイのかな。
椎名と一緒の時だけ、ソーちゃんはちょっと違うんだ。
何がどう違うのか、リョーチンはよく知っている。
それは、椎名が、てっちゃんと一緒の時だけ違うのと、同じなんだ。
てっちゃんと一緒の時の椎名が、本当の椎名なのと同じように。
椎名と一緒の時の蒼龍が、本当の蒼龍なのだと。
椎名も、蒼龍も、よぅく見ているリョーチンだからわかる。
わかっちゃうんだ。
子供たちの恋愛相談を背中に聞きながら、妖怪おやじがひひひと笑う。
うわ、今の聞かれてたよと、少年二人が思わず黙る。
そのとき、大将が大声を上げながら、地獄堂の戸を開けた。
「だーっ！ひっでえ目に遭ったー！」
そのまま、どやどやと四畳に上がり込み、ランドセルを放り出したてつしを、いつものように二人は迎えた。
「たかがガラス掃除だろ」
「たかがじゃねえよ、なんかコーヒー入れる奴吹っ飛ばしちまって大惨事だったんだぜ！」
「どんだけ運悪いの」
「ああもう最悪だ！」
一声上げて、てつしはいも飴を一掴み、口の中に放り込んだ。
それから、「ん？」とリョーチンの顔を見て。
「何だ、リョーチン、泣いたのか」
「ああうん・・・」
リョーチンが、目をごしごし擦った。
「俺が泣かした」
「はぁ！？」
椎名の告白に、てつしは思わず目をむいた。
「だってリョーチン、俺のことバカって言うんだぜ」
「スゲエなリョーチン、俺だって言えねえぞ」
「言いたくって言ったんじゃないよぅ」
もごもごと言い合いながら、くっつき合っていも飴を頬張りだした子供たちを見て、おやじはまた、ひひひと笑った。
棚の上でガラコが同じ声で笑い、てつしはおやじを振り返った。
「おやじ、渋茶くれ」
それは、いつもの地獄堂の風景だった。