void
「君さあ、僕がいない間、他で処理とかしないの？」
最愛の敬愛する上司かつ恩人かつ誰よりも大切な人にそう言われ、真木はなんだかどうしようもない絶望感にがっくりと肩を落とした。
「ああ、言っとくけど透視てないからね」
昏い瞳を瞬かせ、半分枕に埋もれた銀色の頭を小さく傾げる、見た目はともかく中身８０オーバーの男が可愛いとか本気で思ってしまうのは、恋に狂った感覚故だと、真木は早々に諦めている。
「でも、透視なくたってわかるんだぜ？」
裸の背中に毛布一枚掛けただけの姿で寝ころんだ、抱き合ったばかりの最愛の人に、こんなことを言われる男の絶望感を、どうやってこの人に伝えたらいいものだか・・・真木には全くわからない。
「調子良いんですか？少佐」
とりあえず、２回もした後だというのにそういう口をたたく元気があるということは、よっぽど調子がいいのだろうと、思考を余所へ逃がしてみる。
うん、ここのところ怪我もしていないし、薬の量も増えていない。それはとても良いことだ。
「良いよ。昨日は女王にも会えたしねえ」
それはどこに話がつながっているんだろう。
というよりも、昨日は免れたとはいえ、彼の言う『女王』に会えばたいてい、彼は大怪我をしているような気がするのだが。
「だから今日は付き合ってあげられるけど、いつもそうじゃないだろ？」
そう話を戻し、兵部は肘を突いて白い背を浮かせ、頬杖をついた。
そうすれば、胸と喉元につけた赤い跡がよく見えて、真木はうっかり見入りそうになった目を、必死にそこから引きはがした。
「それは、もう俺とはしたくないということでしょうか」
そうではないとわかっていて聞くと、その白い貌に何か表情を浮かばせる前に、彼は白い指で何かを弾く仕草をしてみせた。
ばちん、と、結構な衝撃が額に当たり、真木はその場でひっくり返った。
「怒るよ」
怒るというより呆れたように、白い指が幾度かひらめく。
ばち、ばち、ばち、と、念動でデコピンをかまされまくり、真木は速攻で降参した。
「・・・・すみません」
自分が先に酷いことを言ったのに、と、理不尽な主に苛立つが、彼に自覚がないこともわかっている。
ここで言い争っても無駄なだけだ。
「だいたい、今日は僕が誘ったんだろうが」
やっと指を弾くのをやめ、その指でくしゃくしゃになった髪を無造作に梳きながら、兵部はむくりと起きあがった。
ひっくり返ったままだったため、見上げる位置に来た、弾痕の残る白い体。
それがくい、と屈み込み、少しつめたい指が、真木の顎を捕らえて。
薄い唇が、間近で、にい、と笑んで。
再び、『誘う』ように、真木のそれに、たっぷりと重ねられた。
その小さな頭を引き寄せて、見た目よりも柔らかな髪に指を絡めながら、キスの主導権を返してもらい。
そうして一度体を離して起き上がり、少し不満げな彼を、今度は真正面から抱きしめて、口付ける。
先程も、こうやって誘われた。
兵部にこんなふうにされて、逆らえる真木ではない。
「そうでしたね」
しかし、真木には言葉でなく、態度で強請ってしまった自覚がある。
兵部が体調を崩していること、頻繁に怪我をして帰ってくること、それから、真木が仕事で離れていることが多いこと。
そんなことが積み重なって、こうして抱き合える機会は、実は、そう多くはないのだ。
しかし、この最愛の人は。
「で、どうなんだい。ほかにいい子とかいないの？」
そんな絶望的なことを、真木の唾液をたっぷりと纏った唇で平然と言うのだ。
「結構モテるんだろ、君」
「あなた以外にモテても嬉しくありません」
「なんだかなぁ」
少し困ったような、哀しむような、それでいて面白がるようなそんな目をして。
「あれだよ、早く猪首のじいさんになっちまえ。そしたら紅葉も相手にしてくれるかも知れないぜ」
「人の話を聞いてください」
育ての親に似て、少し行き当たりばったり過ぎる妹として認識している仲間の名前を出され、真木がげんなりとしたところで。
「嫌だね。僕は君のことが凄く好きなんだ」
柔らかな笑みを作った唇が、さらりと、そう言った。
「・・・・」
わかっている。
これは、額面通りにとれる、真木の本当に欲しい言葉ではない。
たくさんのものが欠落している彼の中には、恐らく、恋愛感情というものも存在しない。
真木の気持ちは、伝わらない。
「だから、君には、幸せになって欲しいんだよ」
そう言う彼の、緩く細められた瞳に映る未来には、彼自身が、存在しない。
自分のいない未来を語る姿が、どれほど真木を絶望させるのかがわかっていない。
「・・・私だけでは、ないでしょう」
真木がやっとそれだけを絞り出すと。
「うん、まあね」
どろりと濁った昏い瞳に、慈愛に似た何かを深く湛えて。
「だから、なんで今そういうこと言うかな」
そう唇を尖らせて、彼はまた、指を弾いた。
ばちん。
密着した体勢のせいか、先程よりも若干威力の増したそれは、しかし不意打ちではなかったので、ひっくり返らずに済む程度のもので。
真木は機嫌を取るように、もう一度その人に口付けてから、口を開いた。
「・・・少佐」
もともと、意地悪がしたかっただけで機嫌など損ねていなかったのだろう。
何だ？と見上げてくる目元にも口付けて、そのまま耳朶に唇を滑らせて。
「まだ、大丈夫ですか？」
そう聞くと、クスクスと楽しげに笑いながら、彼はあっさりとＯＫをくれた。
「いいけど、あと一回が限界かな。あんまり年寄りを酷使するもんじゃないぜ」
こんな時ばかり年寄りになる彼の、あえて密着を避けていた腰を膝の上に抱き上げると、呆れというにも間延びし過ぎた声が上がった。
「うわ、このまんま？」
「お嫌ですか？」
「いや、べつに」
それでも一応、ローションで濡らした指で、中の様子を確かめる。
そこは、先程真木を飲んだときと変わらず、すんなりとそれを受け入れて、緩く包み込んだ。
これならば、大丈夫だろう。
そう判断して指を引き抜くと、引き留めるように熱を持った襞がさざめいて。
そんな体を持つ人は、真木の首に腕を絡め、促すように髭面の頬にキスなどしてくるものだから。
その唇に応えながら、真木は慎重に、抱き上げた体を自分の上に下ろしていく。
そのまま、熱い肉を割り開くと、腕の中の体がびくりと跳ねた。
「っ、あ・・・・」
上がる声は、快楽に染まった甘い色。
耳に心地よいこの声を上げ続けさせるために、真木は慎重にその白い体を扱った。
快楽を共にする相手だと、そんな認識でもかまわないと。
そう割り切るには、まだ、何もかもが足りないのだけれど。
「ん・・・真木」
「何ですか？」
喘ぎの合間に名を呼ばれていらえると、つん、熱を持った指でもって、ひりひりする額をつつかれた。
「おでこ、赤いぜ？」
「誰のせいですか」
ほんのイタズラ程度の力でとはいえ、彼の念動で幾度も小突かれたのだ。
赤くなるどころか、青あざや瘤になっていても不思議はない。
それとも、そんなことに気を取られないくらい、もっと夢中にさせろという催促だろうか。
きっとそうだと考え直し、抱き上げていた体を、ゆっくりと倒してその背をシーツへと押しつける。
「僕のせいだよ」
大人しく真木のするに任せ、その余裕のない顔を見上げながら、クツクツと嗤って兵部は答えた。
「ぜんぶ、僕のせいだ」
白い体にただふたつ。見上げた瞳の昏い黒。
ぞっ、と。
真木の背筋を、駆け上がった何か。
「こら、さっさとしろ」
しかしそれは、自分を挟み込んだ脚に、器用に蹴られた衝撃で、切迫した男の欲求とない交ぜになってしまい。
「・・・すみません」
無理をかけないよう気を配りつつ、真木は兵部に、快楽だけを与えるために動き出す。
それを味わい、とろけた瞳に、先程の色は、もうなかった。