生まれるはずのない子供
「なあ真木、お前子供作んねえの？」
ほんの数十秒前まで、自分を受け入れてくれていた人にそう言われて。
いわゆる賢者タイム真っ最中だった、真木の頭は一気に冷えた。
見下ろせば、自分の注いだものをそこからこぼす白い体に、それをすくい上げる白い指。
それを、自分の白い腹にすりつけて。
底なしの淵のような瞳を細め、薄赤い唇で嗤う。
ひどく、劣情を煽られる。
真木の、親であり上司であり、想い人だ。
「・・・一体、何を言い出すんですか」
やっとのことで口を開いた真木の、その震える声にも頓着せず。
「だってさあ」
彼自身が子供のような無邪気さで。
「お前の子供見たいんだよ」
齢８０を超える男はそう、真木を見上げて不満げに言った。
「孫なら、散々拾って来てるじゃないですか」
おそらく、自分が思っているほどの深い意味はないのだろう。
そう自分に言い聞かせ、いつもの軽い説教口調で言えば、案の定、いつも通りにひっ掴んだ枕が飛んできた。
「誰がジジイだ！？」
「アンタです」
その枕をとりあえず顔面で受け止めて、それからひょいと兵部に返す。
まだ攻撃するなら、それでしてくれとの意思表示だったが、彼はそれを抱え込み、白い枕に顎を乗せた。
あざとい。
「だって、さあ」
むくれた声に、小首を傾げる仕草。
あざといのだが、恐らくこれは天然だ。
「お前の種なら、欲しい女、いくらでもいるだろ？」
天然にしても、この言いようは酷すぎる。
いや。
天然だからこそ、酷い。
「人を種馬か何かのように言わないでください」
「えー」
それでも、なんとか冷静を保つ振りをした真木に、枕を放り出してにじり寄り。
兵部は、真木がいつも見たいと願っている、何の含みもない綺麗な笑顔を見せながら。
「僕が女だったら、ぜってえお前の子供、産みたいって思うぜ？」
「・・・・・」
真木の呼吸が止まった。
この人、は。
今、自分が何を言ったのか、わかっているのだろうか。
固まった真木の膝をてしてしと叩き、兵部は更に、言い募る。
「なあ真木」
綺麗な白い体を余さず晒し。
女ではありえない、しなやかなうつくしさを持つこの人を。
先を、先をと進み続け、その後に自分自身さえ置いて行ってしまうこの人を。
「子供、作んねえの？」
自分が、どれほど愛しているのか、この人はわかっているのだろうか。
だから真木は、その体をころりとシーツに転がして。
「あなたが産んでくださるんでしたら、いくらでも作りますけどね」
そう言って下腹を撫でれば、白い体に引きかけた、わずかな薄紅がまた、さあっと掃かれた。
「〜〜〜〜〜っ！」
愛しい体に種付けをし、自分と相手の遺伝子を混ぜ合わせる。
そうしてそれを、後に残す。
それが、生物としての雄が生きる意味すべてだろう。
それさえ捨てた自分に、今更何を言うのか。
「そんなんできる訳ねえだろ！」
「そうですね」
いくらこの人が規格外のエスパーだとしても、さすがにそれは無理だろう。
というか、そんなことができるのなら、とうにこの人は孕んでいる。
それほどの精を、この人に注いでいる。
それで、できないのだから。
「できないんですよ」
そう言った真木の、暗く沈む瞳を、兵部はただ、じいっと見上げていた。
赤い唇が緩く開く。
何かを言おうとしたのか、それとも、ただ呼吸をするためか。
それを確かめる前に、真木はその唇に口付けた。
しなやかな腕が、汗の引いた背中に絡みつく。
能力で作った炭素繊維ではなく、根本近くの自分の髪を掻かれれば、背筋が焼ける心地がした。
甘い唇をたっぷりと食み、小さな舌を追いかけて。
喉奥までを、自分の舌で犯し尽くした。
ただ、こうして口付けるだけで、自分はこんなにも幸福だ。
しかし、この人は後悔しているのだろうか。
俺と、こうなったことを。
そう思ったとたんに。
「あーあ、お前に手ぇ出すんじゃなかったなぁ」
ちゅく、と離れた唇が、そう、絶望的なセリフを吐いた。
「そしたら、お前の子供、見れたのになぁ」
「あんたは！」
もう、冷静さを装うこともできず、激高した男を見上げ。
ニヤリと笑った兵部は、ひどく甘い声で言った。
「だって、絶対可愛いぜ？そいで絶対、すっげえ生意気なんだ」
お前みたいに、と。
夢見るように。
幸福な何かを、見るように。
ここではないどこかに目をやりながら、生まれるはずのない子供を語る兵部に、真木の怒りが一瞬で凪いだ。
『お前の子供見たいんだよ』
恐らく、その言葉に他意はない。
兵部はただ、真木の子供が見たいのだと。
真木の血を継ぐ者が見たいのだと。
『僕が女だったら、ぜってえお前の子供、産みたいって思うぜ？』
そのくらいには、自分を愛してくれているのだと。
そう、正しく理解した。
「俺で、我慢しておいてください」
そう言って、今度は軽く口付ける。
しかし、彼に触れた手のひらは、愛撫のかたちで、そのしなやかな脚を撫で始めていた。
「だってお前、可愛くない」
むう、と頬を膨らませるさまは、とても成人後６０年以上経っているとは思えない。
真木の愛する。
大人になることを、やめた主だ。
「我慢、してください」
兵部は、我慢が大嫌いだ。
でも。
この、養い子がそう言うのなら。
長く生きてもただ一人、愛しい男が、言うのなら。
「・・・しょうがねえな」
そう言って、兵部は自分から、その身を真木にすり寄せた。
子供のような、柔らかな肌が愛おしい。
そのくせ、色艶のたっぷりと乗った、甘い甘いとろけるような声が。
真木の耳元で、囁いた。
「お前で、我慢してやるよ」
我慢が大嫌いなこの人に。
我慢を強いてしまったことを申し訳なく思いながら。
我慢を強いてしまえることに、昏い喜びを噛みしめながら。
真木は、再びその体を組み敷いた。
自分の子供を産むことのない。
ただ、愛しいだけの体を、愛した。