月と水
残業から帰ってリビングのドアを開けると、ソファに兵部京介が転がっていた。
「貴様！何しに・・・！」
とっさに懐から銃を引き抜いて、皆本はそれを兵部へと向けた。
「大声出すなよ。女王たちが起きちゃうだろ」
言われて、はっと口をつぐむ。
確かに、薫たちに今ここにこいつがいることが知れるのはまずかった。
「ちょっと疲れちゃったから、休ませてもらってるだけさ。女王たちが起きてくる頃には帰るよ」
「だからって、何でここで！」
皆本は声を低めた。
こいつが姿を現すと、たいていろくでもないことになるのは身を持って知っている。
しかし、兵部はだらりと身を投げ出したまま、けだるげな声を返すのみで。
「だって、この近くの拠点お前らが潰しちゃったじゃないか」
「当たり前だろ！」
犯罪者の拠点以前の問題で、そこを拠点にしてこいつが薫たちをストーキングしているのだ。
徹底的に捜索して、潰しているに決まっている。
「それにここ、耐ＥＳＰ対策してあるから余計な思念波とか来ないし。居心地良くってさあ」
「勝手抜かすな！今すぐ管理官に連絡して・・・」
右手で銃を構えたまま、左手で携帯を取り出す。
カタカタと、ふたつばかりボタンを押したところで、兵部に呟かれて手が止まった。
「こんな時間に起きて来ないだろ、不二子さん」
・・・まったくもって、その通りだった。
しかし、こいつを取り押さえられるエスパーを、皆本は蕾見管理官くらいしか思いつかない。
「捕まえたって、ロビエトと関係悪化させて外務省に怒られるだけだぜ。やめとけよ」
「・・・・」
まったくもって！その通り！だった。
がくりと脱力した皆本をせせら笑うと、兵部はぱたりと目を閉じた。
「・・・？」
一体何をする気だ、と身構えていた皆本は、兵部のアクションが何もないのを不審に思い、警戒しつつソファの近くへ寄っていく。
明かりの点けられていない部屋は、それでも大きな窓と大きな月のせいで、動くのに不自由がないほどには明るい。
ソファに身を投げ出して、ただ目を閉じている学ラン姿の男の頬は、月の青さ以上に、青白く見えた。
『ちょっと疲れちゃったから』と、確かこいつは言っていたが、そのくらいのことで、こいつがこんなところで寝ている訳がない。
その上、薫たちを起こして何かを企む気配もないとなると。
「具合悪いのか・・・？」
「なんだい？殺るかい？」
思わず漏れた声に、答えが返るとは思わなかった。
それも、目を閉じたままとなれば、これはいよいよ皆本の予想が当たっていることになる。
はあ、とひとつため息をついて、銃を下ろす。
どっちにしろ、こんなものでは兵部をどうにかできる訳ではない。
それから皆本は、少しだけ考えて。
銃をホルスターに戻すと、リビングを出ていった。
人の気配がなくなって、ほんの少しの間、意識を失っていたらしい。
体にかかった、少しの重みに目を覚ます。
喉元に触れたのは、質の良い毛布の柔らかな起毛。
本当に眠ってしまうつもりなどなかったので、思わぬ失態に舌打ちする。
「なんだ、起きてるのか」
それを聞きつけた皆本の声。
重い瞼を無理矢理上げる。
とたん、揺れる青が現れて、兵部は思わずそれに見とれた。
「唇が乾いてる。水いるだろ」
ぶっきらぼうな皆本の声に、乾いた喉から笑いが漏れた。
「何が入ってるのさ」
「入れるか！」
「・・・だろうね」
こいつは、そういうことをする奴じゃない。
やるなら、真正面から撃つ奴だ。
まるで、あの人のように。
掛けられた毛布を除けて起きあがる。
青い月の光を受けて、ゆらゆら光る水のコップを受け取って、ひと息に・・・飲み干そうとしてできずに、半分ほどでせき込んだ。
「おい・・・」
背中に皆本の手のひらが当たる。
跳ね除けようとして、やめた。
そのまま、緩くさすられる。
けふ、と咳をしつつ気管内の水を排除して、コップを持ったままの手で口元を拭う。
ちょっと苦しかった。
「何やってんだ」
呆れたような皆本の声。
それが、チルドレンたちにかけられているものと寸分違わないことに気づき、兵部はからかうような声を上げた。
「やさしいなぁ、皆本クンは」
「・・・っ、なっ！」
とたんに離れた手のひらを少し惜しく思いながら、残りの水をゆっくりと飲み干す。
舌先に残った後味は甘く、ほう、と思わず息が漏れた。
水を飲み干し、緩く息をついた兵部の唇。
それが、わずかな光に濡れて光るさまに目を奪われそうになり、皆本は慌ててその手からコップを取り上げた。
見た目だけは良いのだ、このロリコン犯罪者は。
そのコップを台所の流しに戻すと、皆本は自分の毛布を持ってきて、兵部のいるソファの足下に座り込んだ。
「何してんのさ」
聞けば、明確に返る答え。
「おまえを、一人でここに置いとく訳にはいかないだろう」
「信用ないなぁ」
「あるわけないだろ！」
子供じみた言葉に、思わず笑う。
喉を潤した水のせいか、少しだけ気分が良くなった。
「まあ、いいさ」
ぱたりとソファに倒れ込む。
朝までは、もうあまり時間がない。
あの子たちが起きてくる前に、帰れるくらいには回復していなければならないのだから、ここで余計な時間を費やすこともないだろう。
そのまま目を閉じた兵部を、皆本はなんとも言えない目で眺めていたが。
やがて、疲れに勝てずに、そこで瞼を落としてしまった。
翌朝。
床でソファに寄りかかり、寝こけていた皆本は、チルドレンたちに起こされて。
なんでそんなところで寝ていたんだと、壁に磔にされて詰問される羽目になった。