湯治
夜の深い闇色と、橙色の明かりを映す湯面の下で。
白い体がゆらゆらと揺らめくのを、真木はただひたすら、心を無にして見ていた。
その体は自分の膝に乗っており、尻の柔らかな皮膚が、腿の上で時折、心地よい感触と共にするりと滑る。
ぺったりと胸に張り付いた背中もやはり滑らかで、浮いた肩胛骨と、傷跡の凹凸が目立って真木を少し切なくさせた。
そうして水気を含んだ銀色の髪が鼻先をかすめ、夜の闇を映したような瞳が、ちらり、と真木を振り返って、笑う。
「なんで我慢するかなぁ」
「アンタ、自分が湯治に来てるのわかってますか」
硫黄の匂いに混じった甘い肌の香りが、湯から浮き出した肩や首筋から立ち上っているのに我慢ができず、膝を崩し、その上に乗った尻を浴槽の床に下ろしてしまう。
彼の心臓に配慮して、半身浴になるよう膝に上げていたが、そろそろ限界に近かった。
初めから肩まで浸かりたがっていた兵部は、たぷん、と顎先を湯に浸けて、それでも不満げに、何やらぶつぶつと呟いている。
「二人で温泉旅行つったら、する以外に何があるんだよ」
その子供っぽい仕草にどこかほっとしながら、真木はいつものように兵部をたしなめた。
「だから、湯治だって言ってるでしょう」
生体コントロールで無理矢理塞いだ胸の傷のための湯治だが、だいたいの温泉がそうであるように、ここの効能は疲労回復もうたっている。
この際、その分もゆっくりと湯治して欲しいというのが真木の希望なのだが。
そんなもの、兵部の知ったことではないので。
足の間に座り込んでいた兵部が、不穏な様子で腰を揺らめかせだした。
「尻すり付けるのやめてもらえますか」
「やだね」
言えば、即座に返る声。
股間に、薄く肉の乗った尻を押しつけられるのは、慣れた真木でもささすがにクル。
しかも、わずかに粘性のある湯の滑りを借りて、すりすりとすり付けてくるのだからたまらない。
闇と明かりを乱反射する湯の下で、艶めかしくくねる腰つきは、既に視覚の暴力で。
「あ、やっと反応した」
「アンタな・・・」
彼のためを思った努力を無駄にされ、のぼせではない頭痛を感じて真木は頭を抱えた。
「ったく、世話の焼ける」
「アンタが言わんでください」
好き放題に言う主の顔を伺えば、彼は嬉しそうに笑って、とん、と真木の胸にまた、背中を預けてきた。
見上げる瞳が、黒々と濡れている。
ほんのりと上気した頬は、湯にあたためられただけではないようだ。
揺れる湯面がちらちらと光り、胸の傷を見えにくくして。
「いい加減、僕の言うことを聞け、真木」
自分の欲求に従ってしまっても良いのだと。
彼も、それを望んでいるのだと。
彼らしい言いぐさをした唇が、キスをねだる仕草で差し出された。
漏れてしまったため息は、呆れよりも、多分に欲望が含まれていた。
それを笑った唇に、自分のそれで触れれば、いつもよりもあたたかな感触に、心が躍る。
一度膝から下ろした体を、今度は向かい合わせに抱き上げると、やはり程良くあたたまった腕が首に絡み付く。
そのままくびり殺されてもかまわないと思えるほどに、それは滑らかで。
心地よい力で真木を引き寄せ、更に深いキスをねだった。
まったく、僕にこんな手間をかけさせるのはこいつだけだ。
やっと手に入れた心地よいキスを味わいながら、兵部は内心嘆息する。
大事にされるのは嫌いではないが、度が過ぎるのも考え物だ。
本当に。
これが真木でなければ、とうに投げてしまっているだろう。
肉厚の舌に口腔を舐め尽くされ、大きな手のひらで労るように背を撫でられて。
それだけで、体の芯からとろけそうな心地を味わえる。
こんな、気持ちいい相手は他にない。
そんな真木でなければ。
とうに。
背中を撫でていた手のひらが、意図を持ってすうっと背筋を撫で下ろした。
期待にぞくんと震えた腰を、彼に乗り上げるようにして持ち上げる。
それに感謝するように、まろい尻をとっくりと撫でた後、無骨な指が、その入り口にゆるりと触れた。
しばらく湯に浸かっていても、どこかささくれたような感触のする指先を、迎え入れようと腰を振る。
それなのに、それはなかなか、中までは入ってきてくれなくて。
ただ、指の腹でくにくにと刺激されて、思わず跳ねた足が、筋肉質な腿の上で滑った。
「っ、ん」
「っと」
キスを解かれた兵部は、物欲しげな顔をして真木を見上げるから。
再びキスをしようと顔を近づけると、寸前で目の前が銀色になった。
「ぶっ」
鼻っ柱に頭突きを食らいそうになり、慌てて仰け反ったが顎に当たった。
水気を含んだ髪の香りは目の眩む甘さだったが、口の中を切ったのか、かすかに血臭が混じっている。
「そっちじゃねえっつの」
自分も痛かったのか、額に手を当てながら兵部がぼやく。
しなやかな指先が引きつれた傷跡に触れるさまは、ばかばかしいやりとりの結果だとしても、なんとなく胸を突いた。
「でも、何かで濡らす訳にもいかないでしょう」
額から引き剥がした視線で、濡れた肩が明かりを映してひたひたと光る様を眺め、何かを誤魔化すようにくりくりと、指の腹でその場所を刺激する。
そうすれば、その肩がひくんと跳ねて、額にあった手のひらが、また、真木にしがみついてきて。
「っ！」
そこはもう随分と柔らかくなって、誘うようにヒクつき始めている。
「だから、入るって」
まあ、そうなのだろうが。
「知ってますよ。でも、このまま入れたら引きつれるでしょう」
かすかに濁る硫黄泉は、多少ぬるついてはいるのだが、それでも、ローションを使っている時とは比べものにならない。
いつも以上に、丁寧に丁寧に用意をしなければならないのに。
「焦らしたお前が悪いんだ。早く寄越せ」
焦れた兵部が、完全に膝に乗り上げて。
真木のものをひっ掴み、乗ろうとし出すからたまらない。
「わかりましたから、やめてください」
もうだいぶ我慢しているものを、見た目以上に器用な指で掴まれて。
先端を、滑らかな腿から狭間で擦られれば、真木もとうとう降参した。
あたたかな湯の中で丁寧にほぐしたそこは、少し押せばすぐに口を開く程度には、もう柔らかくなっている。
「んっ・・・・」
慎重に指先を押し進めれば、難なくそれを飲み込んで。
あたたかな襞が包み込み、きゅう、と締めあげてくる。
節の立った指で中を弄られるのは、嫌いではない。
むしろ、とても、気持ちいい。
だから、もっと、と腰を振るのに、真木は勝手をするそれをしっかりと捕まえて、丁寧に丁寧に、兵部の中を擦り上げていく。
「んっ・・・ふ」
指が二本に増やされる時に、湯の滲み入る感覚に背筋を震わせて。
とたんに増やされた質量に、腰が砕けそうになった。
「ぁん・・・なあ、もう」
「まだ二本ですよ」
後ろを弄られただけで大きくなったそれを、固い腹筋に擦り付けて先をねだるのに、つれない相手はその指を深くするばかりで。
「っあ・・・・」
それだけで、うっかりイってしまいそうなほど気持ちよくさせられて。
ムカつきと気持ちよさを発散し切れずに、兵部は目の前にあった首筋に噛みついた。
「〜ぐ」
硫黄泉の香りと共に、日向っぽい匂いが口いっぱいに広がる。
少し堅くて噛み応えのある。兵部の好きな、真木の肌だ。
「つっ・・・ちょ、噛むんならも少し下にしてください！」
むぐむぐと噛む歯には、あまり力は入っていない。
それでも、小さく鋭い歯で噛まれれば結構痛いので、抗議をするが聞いてはくれない。
「ぅぐ」
「ああもう、わかりましたから！」
降参の声を上げても、今度は噛むのが気持ちよくなってしまった兵部がなかなか口を離さないので。
入れていた指を揃えた真木は、兵部が感じると知っている場所を、それでぐりり、と、強く抉った。
「ん〜〜〜っ！」
一際強く噛んだ後、ぷは、と口を離した兵部は、怪しいろれつで文句をつけようとして。
指を引き抜かれる感覚に、喘いでそれを途切れさせた。
「に、しやが、ンあ！」
「こっちのセリフですよ」
あたたかな体内から抜き出した指を、噛まれた首にやれば、しっかりと歯形がついていた。
湯に濡れていてわからないが、もしかしたら血も出ているかも知れない。
「うるせえ」
もっかい噛む、とばかりに、兵部はくあ、と口を開けるから、真木はその口を自分の口でしっかりと塞いで。
代わりに舌を噛まれる前に、膝の上の体を、自分のものの上に抱え上げた。
「んっ、ん〜〜っ」
まだきつい肉の輪を、大きなもので押し開かれる感覚は、兵部の好むものだった。
兵部の体を大事にする真木は、なかなかしてくれないけれど。
真木の大きさで、これをされるのが、大好きで。
思わず体を跳ねさせれば、彼を跨いだ膝頭が湯を蹴って、ぱしゃん、と大きな水音がした。
その音さえも心地よく、自ら腰を落とそうと足掻けば、腰を支えた手のひらに、それをさらりといなされて。
ゆっくり、ゆっくりと。
身を浸した湯の浮力を借りて、無理のない早さで、真木は抱いた体を落とし込んでいく。
「ん・・・・・んっ」
じりじりと、敏感な肉を攻め上げられる感覚がたまらない。
しかもそれは、あと少しで奥まで、と思ったところでいったん止められ、引き抜かれ。
逆撫でされる襞にぞくぞくしながら、それでも何で、と見上げた男の、自分だけを映す瞳を見上げた瞬間、ずるりと腰を引き下ろされて。
ぴったりと、根本まで彼を受け入れて、兵部の体が硬直した。
「あー・・・・っ」
キスを解かれた唇から、思わず高い声が漏れる。
体感としてはイっていたが、堅い腹筋に押しつけたそれは、まだ硬度を保ったままだった。
軽い絶頂の余韻の中で、ふるふる震える愛しい体を、膝の上で抱き直す。
敏感な場所で繋がったままだから、彼はまた、ひくん、と背を跳ねさせて。
そうして、夜の闇と暖色の明かりを映した、まるで今浸かっている湯面のような不思議な瞳で真木を見上げて。
しっとりと濡れた腕を、真木の首に絡ませて。
するする滑る肌の心地よさに、くらりとした耳元に、触れる近さで囁いた。
「・・・ン、まぎ」
そうしながら、きゅう、と中を締めてくるのだからたまらない。
それが彼の手管だと、わかり過ぎるほどわかっている真木でさえ、一瞬我を忘れて、ぐりりと中を抉ってしまう。
「っあ！」
悲鳴じみた声に我に返り、急な快楽に眉をひそめながらも、してやったりと笑う唇に噛みついて。
噛み返してくる唇をいなしながら、兵部の気持ちいいようにと、真木は抱えた体を緩く揺すった。
「んん・・・・っ」
ぱしゃぱしゃと、湯面がうねって光を弾く。
立ち上る湯気も相まって、まるで、夢の中のようだ。
浮力がある分、いつものこの体位よりも、動きはずっと滑らかで。
敏感になった肌を、粘度の高い湯が滑っていくさまは、まるで、あたたかな湯に全身を愛撫されているようだ。
堅くしっかりとした陰毛が、敏感な入り口を、いつもよりも滑らかに擦っていくのもたまらない。
そうして、何より。
中にいる真木の大きさが、気持ちよくて。
「あ、あ、あ、あんんっ！」
小刻みに奥を突き回された後、大きく抜き差しされたとたん、世界がくらりと大きく傾いだ。
橙色の光がちらちらと光る視界に、ざあっと闇が覆い被さる。
あ、やべ・・・
そう思ったか、思わなかったか。
のぼせた頭は、絶頂でいっぱいいっぱいで。
後は、もう、闇の中。
ゆるゆると送られる風が気持ちよくて、しばらくそのままぼうっとしていた。
膝枕、額に濡れタオル。
浴衣はいつもの縮緬で、背中の下は、よく干された真綿の布団だ。
風を送る手が止まる。
目を覚ましたことに気づいたのだろうか。
もう少し、こうしていたいのに。
文句を付けようか、どうしようか。
ほんの少し逡巡するうちに、頬に、冷たく濡れた感触を押しつけられた。
汗をかいたグラスだ。
「水飲んでください」
「・・・あー」
目をつむったまま口を開けると、頬の冷たさがふいと離れて。
冷えた唇から、まだ火照った唇へ、冷たい水を流し込まれた。
それを飲み込んでから、代わりに舌を差し出せば、柔らかく噛んだだけでそれは離れて。
不満に呻くと、もう一度水を飲ませた後に、たっぷりとしたキスを寄越してきた。
仕方がないから、それで満足してやることにして。
瞼を開ければ、のぞき込んでいる真木の顔は、風呂場と同じ橙色の間接照明に照らされて、いつも以上に掘りが深く見えた。
それでも、見慣れた。
兵部の真木だ。
「お説教はナシだぜ？」
わかっててやってんだ、と言う声に被せるように、説教じみたセリフがかかる。
「アンタなら、のぼせくらい生体コントロールでどうにでもなるんじゃないですか」
それさえもきつくなっているのだろうかと、心配する声音を兵部は軽く笑い飛ばした。
「しないから面白いんじゃん」
「面白がらないでくださいよ・・・」
声に滲む、安堵と呆れ。
いつものやりとり。
しかし、いつも以上に機嫌良く笑う様子に首を傾げると、兵部は自分の筋張った首筋を指さした。
「首」
それが、自分のものではなく、真木の首を言っていることは、すぐにわかった。
「いーい、男っぷりだぜ？」
そこには、兵部のつけた歯形が、しっかりと残っている。
首筋に歯形など、確かに色っぽい様子なのだろうが。
兵部の瞳は、その向こうの、何かを見ているようだった。
「ほんとお前、いい男に育ったよなぁ・・・」
その先を、言わせてはならない。
それは、長年の付き合いで培った、本能のようなものだった。
「アンタがやったんでしょう」
すかさず言うと、ほんのわずかな間を置いて、兵部はこくんと頷いた。
「・・・ああ」
この人が、言葉を飲むのは珍しい。
そうさせてしまったことに小さな罪悪感を感じて、真木は、誤魔化すように再び団扇を揺らした。
ゆるゆると緩やかな風が、再び、二人の間を流れていく。
「お休みになりますか？疲れたでしょう」
伸ばした炭素繊維の先が、足下にまとめられた毛布を引き上げる。
長湯の挙げ句のセックスだ。
確かに、随分とだるくはあるのだが。
視界の中を団扇が揺れる。
その向こうには、兵部の育てたいい男と、兵部のつけた所有の跡。
同じ浴衣の膝の上、すりりと懐けば、そこも、日向のいい匂いがした。
こんな、夜でも。
自分の側でも。
「いや、もう少し」
そう言いながらも、目を閉じる。
真木は黙って、緩やかな風を送り続けている。
他には、何もない。
ただ、それだけの時間。
この時間を、幸福だと思ってしまうこと。
もう少し、こうしていたいと思ってしまうこと。
それは、真木が兵部につけた、大きな大きな傷跡だった。
胸や額の傷と、同じように。
生体コントロールでも、医療でも湯治でも癒すことのできない。
癒したくない、兵部の、傷跡。