ともだち
くち、と音を立てて、キスをした唇が離れても、早瀬はむうっとしたままだった。
桐山（親友）を見送った、空港の駐車場。
人気がないことを確かめた上で、強引に唇を重ねてきた早瀬に、森次は好きなようにさせてやった。
彼の大事な正義の味方は、感情の起伏がわかりやすい。
「なんであんな奴に、あそこまでしてやるんですか」
行動原理が、分かりやすい。
しかし、その明快な原理を貫けるか否かが、彼のような本物と、自分のような偽物の違いなのかも知れない。
そんなことをぼんやり考えていると、早瀬の体温がすうっと離れていくのがわかった。
二人の間に、冬の空気が流れ込む。
「アンタのお姉さん・・・殺した奴なのに」
途中で、失言かと言葉を切った早瀬だったが、しかし最後まで言い切って、茶色の瞳で森次を睨む。
彼の憤りは、心地よく森次の中に染み入って、そうしてわずかな罪悪感を残して消えていった。
口を開く。
白い息が、漏れる。
「例えば」
言葉は、いつもどおり表情を見せない寒々しさ。
「矢島がお前の家族を殺したとする」
「アイツがそんなことするワケないだろ」
一息で否定された言葉を、森次はなにも言われなかったように続けた。
「その時お前は、どうする」
「だから、するワケないって」
抵抗する早瀬をじっと見下ろす。
この視線を、早瀬が苦手なことはよく知っている。
離陸する飛行機の轟音が、ひとつ、通り過ぎるだけの時間が経って。
案の定、先に視線を逸らした早瀬は、ぶつぶつと呟くように答えた。
「アイツがそんなことするんだったら、きっとなんかすっごい理由があると思いますよ。だからたぶん、ぶん殴ったりいろいろすると思うケド、でも」
でも、と、早瀬は一度、口ごもり。
「最後にはやっぱり・・・許しますよ」
そう、どこかむくれたように言ってから、ぐいと森次を見上げた。
「だって、しょうがないだろ」
矢島なんだから。
そう続けられた言葉を、森次はひどく満足げに聞いていた。
それが気に入らなくて、早瀬はひときわ声を大きくした。
「でもだって、アイツの理由って無茶苦茶だったじゃないですか！」
今時、中学生だってあそこまでジコチューじゃないですよ！
騒ぐ早瀬に森次は、大人の顔をして言い返し。
「傍から見ればくだらない理由でも、当人にとっては代え難いこともある」
しかし、すぐにそれを翻した。
「英治のあれは、どう考えても間違っていたがな」
「って、認めてんじゃないですかアンタも！」
だー、もーっ！と、森次の車に背中を預け、早瀬は全身で脱力のポーズを取ったが、森次はただ、「汚れるぞ」と声をかけただけだった。
緊張のすっかり緩んだ空気はしかし当然のように冷たく、そろそろ暖房が恋しくなってきた。
森次は「帰るぞ」と車のキイを取り出す。
助手席に回ろうとした早瀬は、しかしすぐに足を止め、ドアを開けようとしていた森次を振り返った。
「あ、そうだ森次さん」
『何だ？』と言葉でなく仕草で返す森次に、早瀬はできるだけ軽く、軽く聞こえるように、聞いた。
「俺が、アンタの家族殺したら、どうしてました？」
また失言かな、と早瀬は思った。
森次の家族と言える人間は、もうどこにも存在しないのに。
なのに、こんなコト聞いたら、やっぱイヤだろうか。
鋼の心臓でも持っていそうな早瀬の恋人は、見かけによらず、実は結構繊細なのだが。
そうだな、と、ちいさく首を傾げてから、森次はひどく無造作に答えた。
「お前を殺すかも知れないな」
「え、ええええええ！？」
ちょっと待って下さいよ、桐山は許して、更正させんのに俺のこと騙してここまでして、俺は殺すってなんでですか！？
ぎゃあぎゃあ騒ぐ早瀬を見下ろし、森次は平坦な声で続けた。
「そうして、私も死ぬだろう。ファクターでも、方法がない訳じゃない」
「・・・・・・・」
ぱくぱくと口を動かし早瀬は、じっと見下ろす黒い瞳を見上げ、それからごくんと唾を飲んだ。
そう。
早瀬の恋人は、見かけによらず、実は、結構繊細なのだ。
ああもう、厄介なヒト、好きになっちゃったよな。
でも、その厄介なトコだって、やっぱりとっても好きなのだ。
「俺は、殺しませんよ」
だから早瀬は、そう強く宣言する。
「森次さんが俺の家族殺したって、絶対」
「・・・・そうか」
森次はふうっと笑うと、早瀬の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
１０センチ以上の身長差があるので仕方がないのだけれど、早瀬はこれが、子供扱いのようであんまり好きじゃない。
でも。
皮肉も何もない、ただ、綺麗な微笑みがそこにあったから。
それが嬉しくて、悔しくて。
早瀬は黒いスーツの袖を掴み、もう一度背伸びをして、大事な恋人にキスをした。
それに屈み込んで応えた森次は、奥まで入って舌の根まで吸おうとした舌を、自分のそれでそっと押し返し。
少し不満げに離れた早瀬の耳元に、「これ以上は、ベッドでだ」とささやいた。
頬を紅潮させてこくこくと頷いた早瀬が、助手席に回るために向こうを向いた隙に。
森次は、もう一度こっそりと笑った。
嬉しくて、笑った。
やはり、早瀬は。
森次の望んだ、正義の味方だった。