散り桜
２年前のあの春から、パンドラでは、花見が定番行事になった。
それは、兵部の誕生パーティーと一緒に行われる。
それだけ、この人のいない春というものが、「パンドラの子供たち」のトラウマになったことなど。
兵部本人だけが、預かり知らぬことだった。
今年も、兵部の誕生日は大盛況だった。
普段、船の外で仕事をしている者でも、この日だけは戻ってくるものだから、人口密度も異常に高い。
船の広間から、ちょうど桜が満開になっている東北の、パンドラ所有の旅館の庭に臨時のテレポートゲートを繋げて会場を広くしても、それは変わらずに。
「ていうかなんでお前までいるクソメガネ」
「僕は子供たちに花見に誘われただけだ！」
「俺はいい酒があるって聞いてだな」
「おい！」
「京介、おめでとう！」
「ああ、ありがとうクイーン」
「一体いくつなのよアンタ」
「いかん・・・羨ましいとか思った時点でオバハンや・・・」
「僕は永遠の17歳さｖ」
「あ、これ僕らからプレゼントっす」
「ああ、ありがとう。Nゲージか、若いのにいい趣味してるね」
更にそちらでは部外者も花見をしているものだから、主賓の前に人の途切れることはない。
それでも、零時を回れば子供たちは寝室に回収され、それから２、３時間も経てば、大人たちも酔いつぶれて。
宴の後の桜の下で、ぼんやりと枝先を見上げる兵部を、真木は、酔っぱらいの回収漏れを探していて、見つけた。
「そんなところにいると、風邪をひきますよ」
ぽってりと重そうに花を付けた枝が、春の風に揺れている。
幾度か揺れたその先から、はら、と一枚、花びらが落ちるのを眺めてから、兵部は茫洋と頷いた。
「うん、でも、もう少し」
闇を舞った花びらが、風に舞い上げられて闇に消える。
闇色の学ランを着たこの人も、今にも闇に消えてしまいそうだった。
これはまずいな、と真木は思った。
それは、長くこの人の側にいた者の勘だった。
学ランの肩を、ことさら強く掴む。
夜気を吸ったそれは、指に痛いほど冷たかった。
「随分冷えてますね。旅館の方の風呂にでも入りますか？」
桜の咲き具合の良い場所を選んだら、丁度、兵部のよく使う温泉旅館だった。
兵部はここの風呂が好きだから、それで連れ戻せると思ったのだけれど。
「うん・・・」
それでも、花を見上げる兵部は動かない。
黒々とした視線の先に、何があるのか。
真木には、想像することしか、できない。
肩を掴む指の力が強くなった。
それに気づいたのか、兵部が、ふい、と視線を真木に戻した。
その顔は、もう、いつもの兵部京介だった。
「そういえば、まだお前からプレゼントをもらってないな」
「ああ、すみません。ごたごたしていて渡しそびれていました」
船の方にあるので、後で渡します、と慌てる真木に、兵部はことさら軽い声をかける。
「まあ、いらないんだけどさ」
「そう言わないでくださいよ」
「嘘だよ」
そう言って、彼は花のほころぶように笑う。
いらない、というのも、それが嘘だというのも、どちらも本当のことだろう。
兵部の複雑怪奇で面倒で、故に愛すべき性質を、真木はよく知っている。
「でもさあ」
ぽふ、と、兵部は真木の胸に背を預けた。
いつも通りで定番で、一番落ち着く位置だった。
「僕が今更いろいろもらっても、なんか、無駄になっちまうだろ」
自分が、もうあまり長くないことを、兵部自身が一番よくわかっている。
自分が祝われるために消費された、時間やエネルギーや・・・気持ちのようなもの、は。
あと何年かしたら、きっと全部、無駄になる。
「無駄なんかじゃありませんよ」
寄りかかってくる愛しい重み。
それが、冷たいことに痛む胸。
その体に、腕を回さずにはいられない衝動。
この、想いは。
たとえ、この人がいなくなっても、消えることはないだろう。
それは確かに、この先、真木を生きづらくするかも知れないが。
それでも、ない方がいいとは、思わない。
真木の根幹を成す、大切なものだ。
その、大切な肩を抱いて。
「誕生日、おめでとうございます」
そう囁くと、腕の中の体が少しだけ笑った。
言うことを聞かない子供をたしなめるような、そんな笑いだった。
「風呂、入りましょうか」
抱いた体が冷たくて、口実ではなくそう提案する。
この人が無茶をするのは仕方がないが、こんな些細なことで体調を崩されてはたまらない。
しかし彼は、いたずらっぽく真木を見上げ、すりりと身をすり寄せてきた。
「洗ってくれんだろうな」
「あたたまるだけじゃ駄目ですか」
真木は思わず天を仰ぐ。
しまった、そちらのスイッチを押してしまった。
「でも、その後するだろ」
「するんですか？」
「しないのかよこのやろう」
むう、と膨れて見せるのはポーズだが、このままでは本当に機嫌を損ねてしまう。
今日一日の、彼の様子を反芻する。
無理をするきらいのある人だが、体調は悪くなかったはずだ。食事も、逆に心配になる量を平らげている。
ここは、素直に折れるべきだろう。
「・・・じゃあ、した後に洗います」
「なんだそれ、変態」
笑ったその人の、髪についた薄紅色の花びらを払う。
舞い落ちるそれに手を差し伸べ。
軽く曲げた指先で、再びそれを舞い上げた兵部は、それを力でひらひらと舞わせて遊んだ。
ざあ、と、風が強くなった。
盛りの桜が、堪えきれずに枝から手を離す。
舞い落ちる花びらを、幾度か力でかき混ぜて遊んでいた兵部は、しかし真木に誘われて。
桜の庭を、後にした。