小さな獣
ドン、とスプリングのきいた寝床を叩かれて、桃太郎はびびくん！と飛び上がった。
見れば、何かの拍子で寝床を叩いた手が、裏返しになってずるずる引っ込んでいくところで。
マタカヨ、と、桃太郎はひとつ、ため息をついた。
桃太郎の同居人は、時々もの凄く寝相が悪い。
仕方なしに起きあがり、寝床の側の棚へと、ひょいと飛び乗る。
そこにはヒマワリの種ほどの大きさの粒の入った小瓶と、それよりも少し大きい粒を閉じこめたシート、それから同居人の子分が置いて行った、ペットボトルの水とコップがいつもある。
それは、桃太郎が寝床を貸してやっている同居人なら、簡単に手が届くはずの位置なのだけれど。
今ハ、無理ダロナ。
そう思って、親切にしてやることにする。
まず、シートの中から粒をいくつか押し出して、それから小瓶の蓋を開け、それらをまとめて、寝たままの同居人の顔の前へぶちまける。
それから、勢いをつけて、その顔面に蹴りをかました。
「起キロヨ、キョースケ！」
「・・・・っ、に、しやが・・・！」
片手で胸のあたりをきつく押さえ、もう片方の手でシーツを掻きむしって弾みで桃太郎を起こした同居人は、そこでやっと、彼が落としてやった薬に気づいたらしい。
それでも一度、偉そうなげっし類をきつく睨んで、それからそれをかき集めるようにして、口の中に押し込んだ。
「ホラヨ」
ペットボトルも蹴り落とす。
しかし、同居人はそれよりも早く、唾液だけで無理矢理薬を飲み込んで。
それから、体を丸めてじいっと、薬が効くのを待っていた。
マッタク、ヨウ。
桃太郎は、同居人の銀色の頭を見下ろした。
そこは、桃太郎の定位置の一つだけれど、ふるふると震えている今は、乗ってもたぶん、面白くはない。
コイツは人間だけれど、たぶん人間よりも、自分たち獣に近いのだと、桃太郎は思っている。
具合が悪い時は、こうして一匹で丸くなっているのがいい証拠だ。
こうなったら、あのしょっちゅう来る黒い子分も近づけない。
桃太郎だって、具合が悪い時には、誰かに近寄られたくなんかない。
だから、余計なことをした桃太郎を、あそこで睨んだ彼は、獣としては正しいのだ。
デモヨ、俺様ハタダノももんがジャネエカラナ。
同居人は、たぶん桃太郎より年上で、しかしずっと眠っていた桃太郎と違って、ずっと動いていたらしい。
だから、もういろいろ限界なんだと言って、薬をたくさん飲んでいる。
だからまあ、ちょっとくらい、優しくしてやったっていいと思うのだ。
自分は、それくらい度量のあるモモンガなのだから。
「っは、あ・・・・」
やっと薬が効いてきたのか、のろのろと腕が上がって、桃太郎の蹴り落としたペットボトルの水を掴んだ。
キャップが勝手に回って落ちたのは能力で、寝ころんだまま、半分近くをシーツにこぼしてそれを飲み、しかも、途中でむせて残りを全部寝床に染み込ませた。
俺様の寝床に何しやがる、と思ったけれど、同居人があんまり苦しそうなのでガマンする。
桃太郎が寝ているあたりには水は染みていないし、どうせ明日には、コイツの子分が全部取り替えてきれいにしてしまうだろう。
薬も飲んだし、水も飲んだ。
棚にはもう何もないし、桃太郎にできることも、もうない。
だから桃太郎は自分の寝床に舞い戻った。
同居人の、枕元へ。
「あー、くそ、またお前に借りを作った」
ずるりと寝床から起き上がり、同居人は濡れた口元をぐいと拭った。
「イイッテコトサ、子分ノ面倒ヲミルノモ、親分ノ務メダカラナ」
「誰が子分だ！誰が！」
がっ、とボディを掴まれて、左右にぐいぐい引っ張られる。
自慢の飛膜がびろりと伸びて、桃太郎は大声を上げた。
「テメーニ決マッテンダロ、離シヤガレ！」
そんないつものやりとりの途中で、しかし同居人は唐突に桃太郎を放り出し、胸のあたりをぎゅうと押さえた。
「くっそ、まだ痛え」
「俺ダッテ痛エヨ！」
「黙れボヨヨン。お前、太ったろ・・・」
「ナンダトウ！」
フーッ！と毛を逆立てて威嚇するも、同居人は、もう見ていない。
ずるずると、寝床の濡れていないところへ移動して、そのままそこで丸くなる。
布団の、やはり濡れていないところをかき寄せて、それからシーツに突っ伏したまま、ひらひらと手だけを振って桃太郎を呼んだ。
「ナンダヨ」
いつもそうしているように、銀色の頭に張り付けば、さっきのようにわし掴まれた。
やられた、と思う間もなく、今度は布団の中へ引っ張り込まれ、そのまま胸元の、いつも潜り込んでいるあたりに押しつけられた。
「あったけー・・・」
脂汗の浮いたそこは、いつもよりも冷たくて。
どくどくと脈打つ音は、いつもよりも随分早い。
それでもそこは、もう一つの桃太郎の定位置だ。
ただ、寝床でこの位置に来たとき心配なのは。
「潰スナヨ」
「知らね」
「オイ！」
命カカッテンダゾコッチハ！
騒いでみても、同居人はもごもごと何事かを不明瞭に呟きながら、もう半分寝入ってしまっていて。
絶対悪口言ッテルダロ、と思ってみても、桃太郎だって眠たくて。
そのままそこで丸くなり、時折不規則に跳ねる鼓動を聞きながら、桃太郎はひとつ、何とはなしに、呟いた。
「死ヌンジャネエゾ」
そんなこと、言っても意味なんかないことは。
獣の桃太郎だって、よく知ってはいたけれど。