鉄の鏃
左腕に刺さった矢を掴み、ほんのわずかに逡巡する。
このまま抜くべきか、それとも切り開くべきか。
それでも、掴んだ矢羽が激しく震えていることに気がついて、そのまま力ずくで抜き出した。
「ぐっ・・・・」
感覚を失いつつある手で切開すれば、そのまま己で致命傷を負ってしまう可能性があったからだ。
しかも、持っているのは破魂刀のみ。
剣が二本あっても、腕が一本では話にならない。
幸い、鏃には懸念していた返しの類は施されていなかった。
抜いた矢を帯に差し、手早く止血をして周囲をうかがう。
出血のせいか、視界が暗く、耳鳴りがする。
己の血臭がひどく、鼻も利かない。
それでもぐっと歯を食いしばり、気配だけでもと神経を研ぎ澄ます。
足音が、した。
したように、思った。
幻聴かどうか判別が付かない。
いや、実際に追っ手が迫っているのだとしても、気付かれなければ。
今は、自分ひとりだ。なんとでもなる。
・・・そうか。
今は、自分ひとり。
守らなければならない部下は、ここにはいない。
くらり、と、もとから怪しかった意識が揺らいだ。
覗き込んだ暗闇の向こうには、痛みも、苦しみもない場所があることを、忍人は知っていた。
しかし。
がさり、と、それは確かに茂みを掻き分ける音。
人の、気配。
思わず握り締めたのは、破魂刀の柄だった。
音は無くとも伝わる波動が、霞みかける意識を繋ぎ止める。
こちらに・・・・来る。
足音、気配、ひとり分。
大丈夫だ、やれる。
俺は、まだ、生きられる。
己の腕から抜いた矢を、足音のする方へ投擲する。
間髪をいれずに身を起こし、投げた鏃が何かに弾かれるさまを認識しながら、動く右手で破魂刀を抜き放つ。
しかし、放たれた刃はただ空を切り裂いた。
確かに、そこに敵はいるのに。
刃は届かない。
認識が、狂う。
それは、覚えのある感覚だった。
結界の応用、遁甲。
これを行うことが出来るのは、無駄に器用な風早と、それから、これを考案した・・・
「・・・・柊」
搾り出した声は、情けないほどに掠れたものだった。
首筋に、冷たい金属の感触。
柊の使う峨嵋刺は、側面に刃の付いた特殊なもの。
それを知っていてなお、忍人は振り向きざまに深く、相手の懐に飛び込んだ。
「相変わらず、思い切りの良い・・・」
ぎん、と、今度は確かに手応えがあった。
しかし、破魂刀が打ち壊したのは、柊の結界。
それも、破られることを前提としたものだった。
柊は、重ねて張られた結界の向こうへと素早く逃げ込み、黒手袋に覆われた指を振る。
「しかしそれでは、長生きできませんよ、忍人」
その指の向こうに、ちらちらと見え隠れする暗器。
いや。
ちらちらと、して、いるのは。
崩れかけた膝を、それでも必死で立て直す。
視界が揺らぐ。
暗く、なっていく。
傷の痛みを見失う。
敵の、姿を。
見失う。
幻惑。
柊の、得意な。
「こ・・・・のっ！」
声は、出たのかどうかわからなかった。
しかし、意識を保つために、腿に突き立てたつもりの刃を阻まれたことだけは、わかった。
血濡れた柄を持つ手を掴む、誰かの手のひら。
ワァン、と、脳髄に響く音がして、ほんの一瞬、意識が確かなものになる。
食われる命。
自分と、それから、その手の持ち主のものと。
とっさに手を引いたのは、何故なのか。
落ちていく意識の中、忍人の中には、その疑問だけが残った。
「・・・・君にここで死なれては、宝玉が集まらなくなってしまうんですよ、忍人」
ぐったりと倒れ掛かる痩身を、比して変わらぬ腕で支え。
柊は、そっと、その身を大地に横たえる。
満足に手当てされない傷、削られる命、疲れきった体。
ここで、彼の命が尽きることはない。
それを知っていてなお、案じずにはいられないほどに、彼の様子は酷いものだった。
それを哀れと思い。
まだ、そんなことを思う自分に苦笑して。
柊は、最近懇意にしている土蜘蛛を呼ぶために立ち上がった。
そう。
すべては、既定伝承の定めるままに。