太陽
ぶっ、と、姿を見たとたんに笑ってしまったので、彼はむっとした態度を隠さずに、「何だ」と凄んで見せてきた。
それだって、本気じゃないとわかるから、ごめんごめんと謝って。
「見ててコッチが暑いからさ、脱いだらどうだい、ソレ」
赤道にずいぶん近いこの場所で、たっぷりと太陽光を吸っている黒スーツ。
そんなものをきっちりと着込んでいる親友の、その黒い裾を引っ張った。
触っただけで熱いその生地を、全身に纏った彼は。
「・・・プライベートだからな」
そう呟いて、スーツのボタンを外していった。
JICAの拠点があるこの町で、日本人は比較的よく見るが、スーツの男は滅多にいない。
その、黒づくめの格好で注目の的になっていた玲二は、軽装になるとその容姿の良さでまた人目を引いた。
人種が違うと個人の識別もタイヘンだけど、玲二くらいだとまた違うんだよナァ。
数多の視線をものともしない玲二の横顔を、愉しく眺めながら英治は思う。
「おまえの髭も、むさ苦しいぞ」
上着を脱ぎ、ネクタイを外して。
白いシャツの袖を折り返しながら、玲二は英治の顔を横目で見ながら言う。
「んー、でもラクだよ」
小首を傾げた玲二の、呆れを含んだその表情。
もの問いたげな、眼鏡越しの黒い瞳。
わずかに開かれた唇。
気温のせいか、赤く色づいたそれ。
フツーにそんな顔見せちゃうんだもんナァ。
呆れたいのはコッチだよ。
それをわからせてやりたかったのか、それともただ衝動に抗えなかっただけなのか。
自分でも判然としないまま、英治は玲二の唇に、自分のそれを押しつけていた。
久しぶりに味わった唇は甘く、絡ませた舌はもっと甘かった。
すぐに殴られるか突き放されると思っていた英治は、さも当たり前のように応えてきた玲二に引っ込みがつかないまま、たっぷりとその口腔を堪能し。
人目があったことに気がついて、ようやっと、唇を離した。
たぶん、気温のせいではなく、頬が赤く色づいている。
長い長いキスで、赤い唇が濡れている。
ああ、もう一回キスしたいナァと思ったところで、玲二がその唇を開いた。
「キスをするなら、髭を剃れ」
「・・・そう来るか」
本当にそう来るとは思わなかったので、笑おうとした英治は。
それにうっかり失敗して、涙目になった顔を片手で隠した。
そう来るとは思わなかった。
本当に、思わなかったんだ。
髭剃ったら、キスしていいんだ。
そう軽く言い返したいのに、喉が詰まって声が出ない。
今、口を開けたら、情けない泣き声が洩れてしまいそうで、歯を食いしばって喉の奥を無理矢理に締める。
泣くのをガマンするなんて、一体何年ぶりだろう。
久しぶり過ぎて、全然上手くいかない。
「・・・・なにを泣いてるんだ」
困惑しきった、と、書いてあるかのような玲二の声。
それでも直球で聞いてくる彼に応えるために、英治はみっともなく震えた声を絞り出す。
「玲二には、わからないよ」
たった一人の肉親を殺した男を、こうも易々と許してしまえるような。
無駄に大きな器を持つ男に、こんなちっぽけな男の喜びはわからない。
わかるわけが、ないんだ。
そのまま黙ってしまった英治をどう思ったものか、玲二はただ、空を仰いだ。
少し埃っぽい町の、舞い上がった砂塵すらものともしない太陽を、眺めた。
「・・・・悪かったな」
なんでソコで謝るかな。
おまえが謝ることなんか、何一つないっていうのにさ。
おまえは、いっつも的が外れてる。
可笑しいったらないじゃないか。
そう言ってやろうと口を開きかけ、しかしこちらに向き直った玲二の言葉に、英治の声は奪われた。
「おまえのことを、ちゃんと見ていなかった、私が悪かった」
双つ揃った漆黒の瞳。
度の入らないレンズ越しのそれが、ただただ真っ直ぐに、英治を映して輝いている。
その光のうつくしさに、目を奪われる。
言葉を、失う。
「・・・とりあえず、髭を剃れ」
まじまじと、玲二を見つめたままの英治に、玲二はそう、平坦ではあるが柔らかな声で言った。
それから、ほんの少し、英治を映した目元に笑みを滲ませて。
「それまで、キスはお預けだ」
そう、覚えのないほどに甘い声で言ってくれるから。
「髭剃ったら、キスしていいんだ」
調子に乗った英治に、今度ははっきりとした笑みを口元に乗せて。
「したくないのか？」
それは、透き通るのに挑戦的で、強くて柔くてとびきり綺麗な。
英治の大好きな、玲二の笑顔。
英治の頬も、自然と緩む。
涙腺も一緒に緩んだけれど、もう、仕方ないってコトにする。
「したいさ、スゴくね」
キスだけじゃなくて、アレもコレも全部したい。
そう言ったら、君はまたむっとするかな。
それとも、キスした時みたいに、平然と『髭を剃ったらな』とでも返してくれるんだろうか。
ああ、僕こそ、再会した君をよく見ていなかった。
大人になった君は、こんなにも魅力的だっていうのにさ。
英治の手が、玲二のそれに触れた。
当たり前のように、握り返される手のひら。
そのまま、子供の頃のように、その手を引く。
子供の頃のように、後ろではなく。
英治の隣を、歩く玲二。
異国の大地の、太陽の下。
微笑う君がここにいる。
君と、手をつないで歩く。
僕の太陽は、君、ひとり。