死の重さ ４
足音がする。
聞きなれた、ザフトのブーツの立てる音。
それが唐突に忙しなくなって、目の前に現われたそれは、見慣れた白ではなく、暗く、赤い色をしていた。
そのまま、吐いたものに突っ込んでいた顔を、びちゃりと音を立てて引き上げられる。
「吐いたのか？痛みは？頭痛はするか？」
ぐいぐいと、容赦のない力で頬を拭われる。
それから、頭を固い床に下ろされて、今度は足が何かの上に持ち上げられた。
簡単な、貧血の応急処置だ。
「寒くはないか？輸血の手配も頼んだから、少し我慢すれば大丈夫だ」
アスランの声が遠い。
ちゃんと戻ってきてくれたのに。
『大丈夫』って言ってくれてるのに。
全然、安心できない。
それは、貧血で頭が回らないせいだろうか。
それとも。
ぼんやりと思ったシンの頬に、何か、生暖かいものが落ちた。
ほた、ほた、と。
それが今度は目に入って。
「いっ・・・・！」
「あ。ああ、すまない」
本当にすまないと思っているのかと、疑いたくなる声がして、またぐいぐいと瞼を拭われた。
視界が赤い。
赤くて痛い。
それは。
「アスランさ、ん。腕・・・」
それは、アスランの腕からこぼれて落ちた液体だった。
それは赤くて、妙に熱い。
血、だ。
「たいしたことはない。動いたからさっき吹いた被覆剤が剥がれただけだ。また固める」
そういう話じゃない、と言いかけて、じゃあどんな話だよと思う。
見上げれば、パイロットスーツの白い肩が真っ赤になっていた。
手袋も赤くて、そこからほたほたと、赤いものがこぼれ落ちていた。
シンや、向こうに倒れている子供たちと同じ。
アスランのブーツを濡らしているのと同じ。
赤い、血だった。
シンの傷は、シン自身が感じていたよりも、ずっと浅いものだった。
「それでも、腹は出血するからな。手当てが遅ければ助からなかっただろう」
レイにそう言われて、ゾッっとした。
「貫通していたし、出血が酷かったから、動かすのはまずいと思ったんだ。置いて行って悪かったな」
見舞いに来て、やはり全く悪かったなどとは思っていないような口調でそう言ったアスランは、右手を器具で固めた上に吊っていた。
あの時、床に落ちていたのは、シンだけではなく彼の血もだいぶあったのだと、後になって気がついた。
見れば、歩き方も少しおかしい。
白い頬には擦過傷がひとつ。
それから。
左手の親指に、絆創膏が、ひとつ。
ずるずると手を動かして、ベッドの上に置かれていたその手に触れると、アスランは首を振ってその指を引っ込めた。
「これはあの時のじゃない。自分じゃ両利きのつもりだったんだがな。やっぱり左の方が使い勝手が悪くて・・・」
ちょっと工具を引っ掛けた、とバツが悪そうに言った。
シンはまだベッドの上なのに、この人はもうそんなことをしているのだと、そう思っても、悔しさは沸いて来なかった。
あの時、俺、まったく役に立たなかった。
それどころか、邪魔にしかなってなかった。
アスランが一人だけ生かしておいた子供は、捕らえた後に結局死んでしまったのだそうだ。
治療しようと投与した薬がとどめをさしたというその子供は、連合が作った『エクステンデット』なのだという。
シンは、それが何だかわからない。
わからない、けど。
あの子は、ただの子供に見えた。
シンより小さい、子供に見えた。
でも、たぶん。
『関係者なら、死なれても困る』
そう言っていたアスランが、あんなふうに。
・・・・思い出しても吐き気がする。あんなふうに殺しつくしたのは、やっぱりシンためなのだ。
シンが、怪我をしたから。
助けるために、殺したのだ。
死にたくなかった。
痛くて怖くて怖かった。
俺、それだけで。
いっぱいで。
それで、アスランは。
やっぱり、そんなシンを助けるので、いっぱいで。
「結局全員殺したからな。多少の処分はあるかと思ったが、何とか不問で済むらしい。グラディス艦長のおかげだ」
「それ」
それ、俺の、せい。
俺のせいで。
いっぱい、死・・・・
「後で、MSで返そう、シン。お前が言っていたとおり、俺たちはMSパイロットなんだからな」
そう言ったアスランの、絆創膏の貼られた手が、シンの手を握る。
あの時、銃を握っていた手だ。
そうして、MSの操縦桿を握る手、だ。
MSに乗って。
それで。
それでやっぱり、いっぱい、殺す手、だ。
「・・・・っく・・・・・・」
唐突に泣き出したシンの頭を、不自由な右手でアスランが撫でる。
シンの手の中で、小さな絆創膏が、かさりと音を立てた。
この手も同じ。
俺の手も、MSで、人を殺す、手。
でも。
死にたくなかった。
死にたくなかったよ、俺。
痛かった、怖かった。
とってもとっても、怖かった。
きっとそれは、マユも、父さんも母さんも、あの子たちも、同じ。
でも、俺はこれからも人を殺す。
だって俺、ＭＳパイロットだから。
この人の言うとおり、ＭＳパイロットだから。
「アスラン、さん」
「ん？何だ」
シンを覗き込む、迷いのない目。
人をころすその手で、シンの手を握る。
その手を、握り返して。
ＭＳパイロットの手を握って。
「アスランさんは、死ぬの、怖い？」
馬鹿なことを聞いていると、わかっていた。
答えなんて、聞かなくてもわかっていた。
「・・・・・怖くない、と言ったら嘘になるな。でも、俺たちは軍人だろう、シン」
そう言った、その人の目が怖かった。
それは。
死の恐怖と同じくらいに、痛くて重くて冷たくて。
とってもとっても、怖かった。
でも、死ぬのは。
やっぱりもっと、怖い、よ。
終