Pass Time 1
自分は流されやすいのだろうか、と、思いあまって友人に相談したところ、激しく馬鹿にされて落ち込んだことがあった。
「今頃気がついたのか貴様」
彼はそう言って、いっそ哀れむようにアスランを見て、なんだかどうしようもなくがっくりきた。
流されて来たばかりではない、と、自分では思う。
プラントのために。
世界のために、自分ができることがあるのなら何でもしたかった。
そして実際、そうやって道を選んできたはずだった。
その思いは今も変わらず、アスランの胸にある。
だから、アスランは拒めなかったのだ。
最高評議会議長の任を受けることを。
それが、流され続けた結果だと言われれば、もう、何も言えないのけれど。
「その件については妥協できない。・・・そうだ。ここで引けば連邦の要求はまた、プラントの食糧自給にまで及びかねない。ああ、ユニウス市長は何と言っている？・・・わかった、明日私が直接話そう」
そこまで言って、カチ、と通話を切ると、議長室は、ただ、空調の回る音だけが聞こえる空間になった。
高エネルギービームライフルの攻撃にも耐える建材の壁は、防音にも優れている。
窓は当然防弾ガラスのはめ込み式。
・・・何かあったときには、どうやって逃げろというのだろう。
初めて入る場所では、つい退路を確保しようとしてしまう自分の性癖に、半ば呆れながらそう思ったものだが、少なくとも完全防音は有り難い。
有り難く、なった。
「・・・待たせた」
「いいえ。・・・貴方に触れられるのなら、いくらでも待ちますよ」
ええと、と、相手の顔を見ながら、アスランは思った。
脳内検索、ヒット２。
少しイカレ始めているかも知れないと、自分に少し、がっかりする。
疲れているだけかも知れないが、相手の心当たりが二つあって、どちらだかちゃんと思い出せない。
先月から艦隊を一つ任せている男か、でなければ先週から本部付けになった男か・・・
まあいいか、どちらでも。
もともと、こんなただの気晴らしを、仕事にまで引っ張るような男には用はない。
「そんな価値のあるものでもないけどな。・・・来いよ」
議長服の詰め襟を緩めると、そこから先は、相手が勝手に脱がせてくれた。
冷たいデスクに直接肌が触れると、それだけで、じん、と下肢が疼く。
切る暇がなくて伸びてしまった髪を、無造作に括っていた紐を解かれる。
髪の間に指を差し込まれ、さらさらと梳かれれば、さざ波のような快が生まれては消えていった。
自分がザフト出身だからか、漁る相手をそこに絞れば、結構簡単に釣れてきて、初めは少し、驚いた。
しかし、気を紛らわせる相手を、こうも簡単に調達できるというのは、有り難い話では、ある。
「っ、あ・・・・」
熱くなったものを咥えられ、奉仕され。
思わず大きく頭を振れば、かさり、と、置き忘れた書類に髪が触れ、そこに打ち出された経済対策専門委員会の答申書の、あまりの出来の悪さに思い至り。
アスランは、裸の腕を伸ばして、それを払いのけた。
せっかくの気晴らしの最中に、晴らす憂鬱の種のことを考えているようでは、意味がない。
伸びやかな腕に目を惹かれたのか、二の腕の内側を、今までアスラン自身を刺激していた舌が這った。
「あ・・・」
思わず漏れた声に力を得るように、その動きは次第に大胆になっていく。
「そこ、ばかり、やめ・・・・」
軽く腰を突き上げて、放り出されたそこを示す。
すぐさま大きな手に握られて、口の方がいいのに、と思いながらも扱く手に合わせて腰を振った。
やはり、俺は流されやすいんだろうな、と、見当違いの思考をうろうろさせながら達して。
投げ出した脚を持ち上げられて、どうも、先にイかせてからと決めていたらしい相手の指が、奥の疼く場所を探るのに合わせ、アスランは下肢の力を抜いた。
あとは、もうなにも考えなくていい。
望む時間が手に入るのだ。
ドアをノックする音に、もうそんな時間かとアスランは時計に目をやった。
秘書官を帰してしまってから、明日でも良い書類に目を通していたのだが、できれば、もう少しだけやってしまいたい。
今日は・・・ええと、欠員補充で新しく隊長に任命した男だ。大丈夫、ちゃんと覚えている。
欠員補充よりも、できればこっそり軍縮に持っていきたいんだがな・・・
書類を持ったままそんなことをぼんやり考えていると、焦れたようにまた、二代前の議長が好んで取り付けた、アナログな木製ドアがノックされた。
「入ってくれ」
手元の書類を頭の中半分で処理しながら、とりあえず声をかける。
これならＯＫを出しても良いな。しかし最後のところだけは修正を・・・
キーボードの手を伸ばし、相手には少しだけ待って欲しいと伝えようとして顔を上げ。
そうして、アスランは思わず、キーボードの上に手を落としてしまった。
嫌な響きのエラー音。
しかし、鳴り響くそれを気にも留めず、アスランはドアの前に立った彼を、呆然と見つめていた。
シン・アスカ。
今は、ザフトの白服を着る男。
その白服をぐしゃぐしゃにして、頬には殴り跡をつけて。
鼻血を止めるためだろう、鼻に詰められたティッシュが妙に似合うというのは、逃避しかけたアスランの思考が導き出した間違った結論だ。
「ボーンズ隊長は来ませんよ。俺が隊ごと伸して来ましたから」
言った言葉はくぐもって、それに気づいたのだろう、シンは鼻のティッシュを取ってポケットに突っ込んでから、少年の頃のように聞かん気の強い瞳でアスランを睨んだ。
今、ザフトに武闘派は少ない。
何だかんだで戦中、アスランに鍛えられてしまったシンに敵う者は、確かにそうはいないだろうが。
「私闘は厳禁だぞ」
「慣例だけで、禁止事項じゃないです」
「・・・前から思ってたんだが、ザフトの規則は本当に穴だらけだな」
「アンタが言うなよ」
その穴の恩恵を、誰よりも受けているおかげで、アスランは今、議長をなどをやっていられるわけなのだが。
「お前が言うな」
自分のことを棚に上げ、説教モードに入ろうとしたアスランに、シンはつかつかと歩み寄った。
「だいたいお前、何の・・・・」
そうして、座ったまま、シンを見上げて文句を垂れ流す唇に、がふりとばかりに口付けた。
「んっ・・・・・ん！」
指ざわりの良い髪を引っ掴み、舌を入れて、噛まれる前に深く絡める。
躊躇った歯の先端が、ざり、と当たるのが気持ちよかった。
アスランは、キスに弱い。
そのことを知っているから、シンは、覚えていたその人の弱点を、一生懸命攻めていった。
最後にキスをしたのは、もう随分と前。アスランが議長になってすぐの頃だった。
議員に選出されてしまっただけで頭を抱えていたアスランが、まさかそれを受けるとは思っていなかったので、シンは猛然と噛みついた。
そうしてその場で別れ話を切り出されて、売り言葉に買い言葉で、別れてしまったのだ。
それをシンは、とてもとても後悔していた。
テレビで見るアスランは、丁度、ミネルバでドツボにはまっていた時と、同じ顔をしていた。
あの時、シンはガキでどうしようもなくて。
気になりまくっていたのに、何もできなくて。
そうして今は、側にいなくて。
やっぱり、何もできない。
それだけでも悔しくて腹立たしいのに、更に流れてきたアスランの素行の噂。
曰く、「議長の食い散らかし」。
長く続いたという話はひとつもなく、ただ、闇雲に相手を漁るようなことは、さすがにミネルバ時代もなかったのだ。
・・・・たぶん、シンが、いたから。
何で俺、今、あの人の側にいないんだろう。
なんで俺、あの人に何もしてあげられないんだろう。
俺、強くなった。・・・・と、思う。
俺、大人になった。・・・・たぶん。
だからきっと、前の時よりずっと上手くやれるはずなんだ。
怒られたり殴られたり怒鳴り合ったり、俺のせいで悲しい顔させたり。そんなことしなくても、支えてあげられると思うんだ。・・・たぶん！
そう思っていた矢先に、アスランがまた、新しい相手に声をかけたという噂を聞いた。
馬鹿なそいつは、自分でそう言い触らしていて、居ても立ってもいられなくなったシンは、強硬手段に出ることにしたのだ。
「もっと、早くやっとけば良かった」
離れた唇が囁いた意味を、キスでぼんやりとしてしまったアスランは理解できない。
理解できないから、ん？と首を傾げただけで問いかけてきて。
その仕草にくらくらしながら、それでもシンは嫌がる素振りのないことに勇気を得て。
そうして、勢い込んでアスランの肩を掴み締めた。
「あの！」
覗き込んだ、アスランの緑の瞳がきれいだ。
やっぱり、大好き、だ。
だから。
「ヨリ、戻して欲しいんですけど！！」
「何を今更・・・」
しかし、返ってきた言葉は気のないもので、シンは思わず怒鳴り返してしまっていた。
「今更とか言うなよ。アンタだって、決まった男いないんじゃん！」
「なんで男と決めてかかるんだ」
「だってアンタに女捕まえるような甲斐性ないじゃないですか！」
「なっ・・・！」
顔色をなくしたアスランは、しかしすぐに気を取り直したように首を振った。
「そうじゃ、なくて」
ああうん、確かにそうじゃない。
そのことにだけは同意できるシンは、アスランがまた何かを言い出す前にと、先手を取ってまくしたてた。
「俺、あの時ガキでどうしようもなくて、アンタがなんで別れようって言ったかわかんなくって」
「今ならわかったんだな？なら、何度も言わせるな」
さっきまで、数年前と変わらない顔で怒っていたアスランは、もう、議長の顔に戻っていた。
それが、すごくムカついて。
「議長の恋人が男だっていいじゃないですか！」
そうぶちまけると、アスランも眉をひそめて言い返した。
「いいわけあるか。お前、ザフトにいられなくなるぞ」
ただ単に、シンが居辛くなるというだけではない。
ただでさえ、アスランはあのパトリック・ザラの息子、ザフト出身者ということで、世界中から些細なことまで警戒されているのだ。
その上、プライベートでまでザフトに関係しているとなれば、世論も黙っていないだろう。
「いいですよそんなの！」
しかしシンは、あっさりとそう言ってのけて。
「そんなのって、お前・・・」
これには、アスランも絶句した。
シンは、ずっと何かを守りたいと言っていたのだ。
守りたくて、ザフトに入ったのだと。
シンは今、隊長まで昇格していて。
ＭＳは、以前のように専用機でさえないけれど、最新鋭機に乗っていて。
恐らく、一軍人としては、最高の「守るための力」を持っていて。
それを、「そんなの」と言い捨てたシンに、アスランは耳を疑った。
「せっかく手に入れた、守るための力だろう」
「でも、アンタ守れなかったら意味ないじゃないですか」
「別に俺は・・・」
お前に守って欲しいわけでは。
そう言いかけて、遮られて。
「わかってますよ！俺の勝手だって！でもそれだったらアンタだって同じじゃないですか！プラントは・・・世界は別に、そこまでしてアンタに守って欲しがってるわけじゃない！」
愕然とした。
自分の思い違いを指摘されたことよりも、何よりも。
シンが、そこまで考えていたことに、アスランは愕然とした。
「俺には、世界よりアンタの方が大事です」
更に、そう言い切られて。
アスランは。
「わーーーっ！泣くな！アンタなんでそーゆーヘンなとこ弱いんですかーーー！！」
まるで、昔のようにシンに怒鳴られて。
もっと、涙が止まらなくなった。