俺の、家族 １
はじめにあったのは、ただ、激しい衝撃だった。
次に、全身を痺れるような痛みが走り抜け、それが一気に右手に集まる。
ぐえ、と、情けない声がもれて。
その声を掻き消すように、何度か大きな音がして。
そうやって、やっとシンが目を開けたとき。
見えたのは、ひしゃげて潰れた家の車だった。
そこからはみ出した、父の上半身。
潰れてひしゃげた母の足。
アスファルトに落ちた、妹の腕。
「う、あああああああああああっ」
シンの叫びは、しかし、その車の爆発した音に、かき消された。
突然の交通事故は、シンから何もかもを奪い去った。
車外に投げ出され、運良く路肩の植え込みに突っ込んだシンだけが、左腕を折った他にはちょっとした打撲や捻挫で済んだのだ。
そうしてシンは、父さんの兄さんの奥さんの（この時点で血も繋がってないじゃないか）妹がもう死んでるんだけどその旦那という、もはや他人以外の何者でもない人に引き取られることになった。
一度だけ会ったその『おじさん』は、まるで品定めをするようにシンを見ていて、もの凄く嫌だったけれど。
引き取ってくれると言った人が、その人しかいない以上、まだ子供のシンに、選択権などなくて。
シンが入院している間に、アパートは親戚に片付けられてしまった。
まだ、子供であるシンに、部屋を貸す訳にはいかないのだと、当たり前のように言われて。
その時シンには、言い返すだけの気力もなかった。
そうしてシンは、一度も家に戻らないまま、病院から直接、その『おじさん』の家へ行くことになった。
迎えが遅れているとかで、部屋の片付けは看護婦さんがしてくれた。
元々、売店で買った着替えくらいしかない荷物は、あっという間にやはり売店で買ったバッグに収まった。
こうして、がらんとした病室から、シンは追い出される。
シンの居場所は、何処にも、ない。
かなしいな、と、思ったような気がしたけれど、気のせいかも知れなかった。
だって、涙のひとつも出ない。
だからシンはただ、パイプイスに座って、吊られた腕なぞを見下ろしていた。
このままじっとしていたなら、俺も死ねるのかな、と、埒もないことを考えていた。
この左腕から、潰れていって。
マユや、父さんや母さんみたいに、燃えて・・・・
白いギブスを、右手でぎゅっと握る。
しかしそれは、シンの想像のように潰れたりせず、ただ、硬く指を弾き返した。
「・・・・・どうして」
シンが、そう、ちいさく呟いた時だった。
かたん、と、何の前触れもなく病室のドアが開いた。
ぜいぜいと、酷く荒い息が聞こえる。
誰だろう。
病院の中を走って来たのだろうか。
きっと怒られる。馬鹿みたいだ。
「遅くなって、すまない・・・・・」
その走ってきた人は、そう言ってから、一息つく。
緑の瞳が、妙に目を惹いた。
ああ、キレイだな、と、シンは思った。
その人は、「おじさんの息子」だと名乗った。
名前はアスランと言うらしい。
「荷物はそれだけか？」
勝手にバッグを持ち上げられ、シンは慌ててそれを奪い返した。
「自分で、持ちます」
「・・・そうか」
小さく笑った彼は、父親に借りたという車にシンを乗せ、そのまま３時間もシンの知らない道を走った。
連れて行かれた家には、「でっかい家」という感想しかなかった。
動く右手を荷物でふさがれたシンは、家のドアもアスランに開けてもらい、自分の張った意地が裏目に出たことに、唇を噛んだ。
それに気付かぬげなアスランは、続いて中へ入ったシンの後ろでドアを閉める。
広い家は玄関も広くて、吹き抜けの空間を階段が二階へと伸びている。
折り返しの踊り場に置かれた大きな観葉が目を引いた。
アスランの目のように、奇妙に鮮やかな緑だった。
「こっちがキッチンとリビング」
アスランは、階段のすぐ脇、右手のドアを指して言う。それから、少し奥まった左手のドアを指して。
「こっちは父さんの書斎だから、入るなよ。バスとトイレは奥、君の部屋は上だけど、登れるか？」
「馬鹿にすんな」
確かに足首も捻挫したけれど、歩く分にはどうということはない。
階段を登るのは・・・わからないけれど。
「良かった」
シンの唸りに何も感じなかったのか、彼はてくてくと階段を登っていく。
しかし、その速度を踊り場付近で落としたのは、恐らくゆっくりとしか登れなかったシンのためだろう。
それにも腹が立ったシンは、無理やりに痛む足を上げて。
「直りきっていないなら、無理に動かさない方がいい。下にもう一部屋あるんだ。しばらくそこで・・・」
知った風なアスランの声を、さえぎって、叫んだ。
「いいっつってんだろ！」
「・・・・・わかった。すまない」
感情の消えた、硬い声。
「・・・・・」
怒鳴ったのはシンの方なのに、その声に拒絶の意味を読み取って、シンはその場で立ちすくむ。
頭がぐらぐらする。
俺は、何でこんなところにいるんだろう・・・・
「ここが君の部屋・・・シン？」
階段を登りきってすぐのドアの前で、アスランが振り返った。
声の調子も、表情も、変わらず穏やかなものだった。
軽く首を傾げ、シンを呼ぶ声に、さきほど感じた拒絶は微塵もなくて。
「やっぱり、下が・・・・」
「いいです。・・・そこですね」
残りの階段を上がりきると、アスランはほっとしたように笑って、そのドアを開けた。
シンの家族が住んでいたのは、2LDKの賃貸マンションで、子供部屋は妹と一緒、二段ベッドと勉強机を置けば、いっぱいになってしまっていた。
しかし、今度の部屋はその二人で使っていたものよりもずっと広い。
大人サイズのベッド、クローゼット、本棚。驚いたことに、そこにはシンの使っていた勉強机が置かれていた。
本棚の中には、シンの本やマンガが奇妙な順番になって並んでいる。
「これ・・・」
「俺が行った時には、随分片付いてしまっていて・・・ディスクの類はなくなっていたんだが、なんとかこれだけ、もらって来れた」
そう言ったアスランが手を付いたシンの机の上には、恐らく転校先のものだろう、真新しい教科書と、それから、少し古い、アルバムの束。
シンは、足の痛みも忘れてその束に飛びついた。
表紙をめくるだけで、マユがいた。
父さんと、母さんが、いた。
潰れても、ひしゃげてもいない。
シンの家族が、そこに、いた。
「あ・・・ぁ・・・・・・」
その場に座り込んだシンを見下ろして、アスランは暫しおろおろとしていたけれど。
やがて、そっと部屋を出て行った。