Only me １
「アスランさん、ダイスキ」
少年の声が耳朶をくすぐる。
アスランの背筋を震わせる。
肌を滑る熱い指よりも。
中をかき乱す若い楔よりも。
時折下りる、欲深いキスよりも。
アスランを、気持ちよくしてくれる、言葉。
「スキ・・・アスラン、さん。ダイスキ」
シンの言葉が、アスランの中をいっぱいに、満たして。
アスランを、幸せにしてくれる。
「あ、アスランさん、俺今日ちょっと遅いかも」
朝食のトーストをふた口で食べて、シンはコーヒーに牛乳をブチ込んだ。
それを一気飲みする間に、アスランはトースターからまた一枚、トーストを出してシンの皿に置いてやる。
「仕事か？」
「ううん、先輩に飲みに誘われちゃって」
「そうか、あんまり飲むなよ。迎えになんか行ってやらないからな」
「わかってるよ」
もう一枚を三口で片付け、シンは勢い良く立ち上がる。
「じゃ、行ってきます」
「ああ、行ってこい」
ばたばたと出て行く恋人の背中に目を細め。
アスランは一口、コーヒーをすすった。
いつもの朝。
幸せな、朝だった。
二人が一緒に暮らし始めたのは、戦後、しばらく経ってからだった。
戦争中からそういう仲ではあったけれど、二人で幸せになってしまうには、だっていろいろありすぎた。
それでも、シンは諦めなかったし。
アスランにもやっぱり、シンしかいなかったのだ。
「迎え・・・行けるようにしておかないとな」
アスランは呟いて、朝食の片づけを始める。
たまにハメを外すとやり過ぎる、恋人の癖は良く知っている。
自分が面倒を見すぎてしまうから、それが治らないことも、実は。
でも、それがお互い楽しいのだし、仕方がない。
仕方がない、のだ。
シンの携帯で、シン以外の声で電話がかかって来た時、アスランは『やっぱり』としか思わなかった。
「すいませーん、あの、アスカさんのお宅ですか？」
語尾の甘さが、少し、幼さを感じさせる女性の声。
「ああ、はい。今どこですか？」
後ろが騒がしい、繁華街か。
「海岸通りのスローハウスって店なんですけど、アスカ潰れちゃ・・・っ！こら！離せバカアスカ！」
電話を掛けてくれた子も、随分酔っているようだ。
それとも、そんなに酔っていなくても、シンに対してはこうなのか。
そういえば、ルナマリアともよくド突きあっていたっけ。
シンは、誰に対しても物怖じをしないから、嫌われることも多いけれど、人と仲良くなると、自然と、付き合いも深くなる。
「そこならわかります。迎えに行くので、もう少し面倒を見ていて頂けますか？」
「はーい！送れなくってごめんなさーい！」
テンションの高い返事の後ろで、もごもごとシンの声がした。
「やだよ、まだ帰んねー」
それは、アスランだからこそ聞き分けられたような、不明瞭な声で。
そこでぶつんと通話の切れた受話器を、アスランはなんとなく、じっと見下ろした。
帰りたくないなら。
あの子ともっと飲みたいなら、迎えに行かない方がいいのかな。
そう、ぼんやりと思って。
でもそうしたら、どうやってあいつ帰るんだ、と思い直して、上着を羽織って家を出た。
胸のあたりが、なんとはなしにムカムカして、迎えに行くエアカーは、少し、速度が過多になった。
酔いつぶれたシンを引きずって家に帰ったのは、日付もとうに変わった頃だった。
いつものように容赦なく、着ているものを引き剥がしたシンを、そのままベッドに放り込み。
アスランは、むにゃむにゃと抗議らしい声を上げただけで、また、寝息をたてだした恋人を、じっと、じっと見下ろした。
迎えに行った店で、シンは先輩だという女の人に寄りかかり、既にくうくうと眠り込んでいた。
シンの、安心しきった寝顔。
自分以外は誰も、見たことがないと思い込んでいたそれ。
そうして、それを見下ろす彼女の、少し細めたやさしい目。
何故だか、それが脳裏に焼きついて離れない。
もちろん、すぐさま店員が、店の入り口で間抜けに突っ立っていたアスランに気がついて、声を掛けられ我に返ったのだけれど。
コイツ弱いくせに飲みたがるからー！と明るく言った彼女に、礼を言って、謝って。
似ってない兄弟ですねー、という誤解を、解かずにもごもごと誤魔化して。
彼女も送らなければ、と思っていたことも忘れて、アスランはシンを引きずって、逃げるように店を出た。
それでも無意識に会計だけはいたらしく、ポケットから落ちたレシートに気がついたのはついさっきだ。
シンの好きな、そして女性の好みそうな甘いアルコールばかりのオーダー。
客数は２。
二人で。
どんな話をしていたのだろう。
まだ帰りたくないと言っていたシンは、どんな話をしたかったのだろう。
どんな。
アスランの知らない、話を。
そんなことを思う自分が、アスランは無性に嫌になった。
もともと、自分のことなどあまり好きではないけれど。
それでも、凄く嫌になった。
何故だかはよく、わからないけれど。
こんな気持ちのときには、シャワーでも浴びて、さっさと寝てしまうに限る。
だって、自分はこういうことを考えることに、とてもとても向いていないから。
ぐるぐる同じところばかり廻って、結論なんか出ないことは知っているから。
そんなこと、よくよくわかっているのに、アスランはシンの側を離れられない。
今、離れたら、シンがいなくなってしまう。
そんな意味不明な不安が、胸の中でどろどろと渦巻いて気持ちが悪い。
それをかき消すように、アルコールでわずかに紅潮した頬に指を滑らせる。
湿ったぬくもり。
シンの体温。
それをもっと感じたくて、唇を寄せる。
起こさないように、触れるだけのキス。
そのとき、鼻先がシンの跳ねた髪に触れて。
感じた、化粧品と思しい香料の匂いに、反射で少年の体を突き離すようにして身を離した。
「・・・ん、アスラン、さん・・・・？」
その衝撃で目が覚めてしまったのだろう。もごもごとアスランの名を呼びながら、シンがぼんやりと目を開けた。
酒気を帯び、とろんと潤んだ赤い瞳に見上げられ、アスランはドキリと胸を跳ねさせる。
「あー、俺、やっちゃった？」
それでも、口調ははっきりしている。寝ている間に、だいぶ酔いも醒めたのだろう。
「・・・・ああ。寝て、たからな」
的を得ていない答えに、シンはくすくすと笑った。
まだ眠いのだろう。とろんと蕩けた、甘い笑み。
いつまでも子供だと思っていたのに、それは奇妙に男らしい色気に溢れていて。
アスランを、ドキドキさせた。
「お前、モテるだろ」
思わず洩れた言葉に、シンは即座に言い返す。
「アンタほどじゃないよ」
「俺の話はしていない」
むくれたようなアスランの声に、シンは声をたてて笑う。
楽しそうなその声が、ますますアスランの癇に障った。
「化粧臭いぞ、お前」
「えー、嘘、あの人何かしたかな」
まるでなんでもないことのようにそう呟いたシンは、くしゃくしゃと髪をかき上げて、うくり、と身を起こした。
アスランが服を脱がせたせいで、最近目に見えて厚くなってきた胸板が、掛けてやった毛布の中から現われる。
何かの痕跡を探すように、己の体を見下ろす視線。
どんなに頑張っても割れないのだと、癇癪を起こしていた腹筋の上に、確かめるように手のひらを置く。
その、なんでもないようなシンの仕草に。
アスランの声も、なんでもないように、出ていた。
「お前ら、何か、されるような関係なのか？」