夏の夜
さらさらと、気持ちのいい音と気配で目が覚めた。
うすらぼんやりと目を開けると、暗いながらも見慣れない天井。
遠く、虫の声。
緑の匂いのする涼しい風が、さやりとタオルケットからはみ出した足を撫でていった。
ああ、てっちゃんのじいちゃん家来てんだっけ。
そう思ったところで、また、側でさらりと動く気配があった。
半分起きて、半分寝ているような心地のまま、リョーチンは首を巡らせてそちらを見る。
目に入ったのは、隣で寝ていた椎名の上に、てつしがのし掛かるようにして、口づけを交わしている光景だった。
てつしが身じろぐたびに。椎名の手がてつしの髪を掻くたびに、さら、さら、と布の擦れる音がする。
時折、ちゅ、と濡れた音が混じって、はあ、と、低い吐息がかすかに漏れて聞こえた。
いいなぁ。
ぼんやりと、リョーチンは思った。
それは、羨望よりも、もっと柔らかな感情だった。
嬉しいような、寂しいような。ちょうど、夏休みの終わりが見えてきた、今頃に感じるものに似ていた。
「これ以上は、ダメ」
囁くような椎名の声は、虫の声に紛れそうに小さかった。
「いいだろ」
ちゅ、と、また、キスの音。
「リョーチンがいる」
椎名はたぶん、リョーチンが半分起きていることに気づいている。
「寝てるって」
てっちゃんは、全然気づいてない。
「でも、ダメだ」
「ちぇ」
さらり、と、また、衣擦れの音と、とさりと軽い体重の転がる音。
てつしが、椎名の上から退いたのだとわかった。
リョーチンはなんだかおかしくなった。
俺のことなんか、気にしなくっていいのにな。
それでも、ころりとリョーチンのすぐ側に寝返りを打ってきた椎名は、さっきよりももっと小さな声で謝ってきた。
「ごめん」
夜中。特にこんな時に見る椎名の瞳は、昼日中の無表情よりも、よほど雄弁だ。
とろりと濡れた黒い瞳は、心底申し訳なさそうだった。
「いいのに」
「良くない」
てつしは、向こうでなんだかじたじたしている様子だった。
シーツやタオルケットを蹴る音が、さっきよりも派手に、夜の空気を震わせている。
椎名とリョーチンの声には、まったく気づいていないようだった。
「この暑いのに、あんな暑苦しいのにのし掛かられたらたまんないよ」
椎名の言葉に、リョーチンはすこし笑った。
それは、そうかも。
てっちゃんは、近寄っただけであっついもんなぁ。
逆に、椎名は体温が低いから、こんなにくっついていてもそんなに苦ではない。
むしろ、椎名の体温が気持ちいいなとリョーチンは思った。
生きている、人の体温が気持ちいい。
生きている、人の気配が、気持ちいい。
気持ちよくて。
それで。
それ、で・・・・
くう、と寝入ってしまったリョーチンの寝顔を、椎名はどこか幸福な思いで見つめていた。
二人分の体温を吸っていたタオルケットが、窓から舞い込む風にすうっと冷やされて、なんだかとても気持ちが良かった。
そうして椎名も、そのまま眠ってしまいたかったのだけれど。
「・・・てっちゃん」
後ろでじたじたしている熱源が、うっとうしくて眠れない。
椎名は、寝入りばなのリョーチンを起こさないようにそっと立ち上がると、シーツを蹴っているてつしを見下ろした。
なんだなんだと見上げたてつしの、黒くて熱い瞳と目が合った。
「・・・トイレ。付き合って」
「女じゃねえんだフゴ」
察しの悪いてつしの腹を踏みつけつつ、しーっ、っと口元に指を立てる。
椎名が踏んだんだろうがと、文句を付けようとしたてつしは。
「収まりつかないんだろ」
リョーチンを起こさないようにと、小さく囁かれたその声に、ごくんと文句を飲み込んだ。
見下ろすのは、表情のない黒い瞳。
薄い唇の前に立てられた白い指が、開け放たれた窓からの、かすかな光にすうっと光る。
言ってることは全くもってその通りで、とっても有り難い申し出なのだが。
同時に、なんだか厄介なのに惚れたよなぁ、と、そう思ってしまうのはなんでだろう。
まあ、そんなこた、とうに知ってたんだけどな。
てつしはそのまま立ち上がり、音もなく部屋を出る椎名の背中にべたりと懐いた。
「だから椎名ってスキだぜ」
古いこの家はトイレも古い。
普通の家よりも広くできているから、二人で入っても大丈夫だ。
「最後までは、しないからな」
いくらそうっと歩いても、古い廊下はぎいぎい鳴いた。
抱きしめた椎名の首筋からは、なんだかとってもいい匂いがした。
「椎名は、それでいいのかよ？」
思いついてそう言うと、肘でぐいと胸を突かれた。
「てっちゃん、あっつい」
そのまま二人はぎいぎいと、足下を鳴らしながら階段を下りた。
そろそろ夏休みも終わりに近い。
宿題が心配になる頃の、とある夜のことだった。