右目と狂気
痛みを感じない体には、快楽も無意味だと思っていた。
そうではなかったことは少し驚きで、しかし、ただそれだけだった。
玲二にとっては。
たぶん。
「く・・・・ン」
抜き出される刺激にわずかに声を漏らし、解放された下肢をシーツに投げ出す。
幾度となく中で放たれたものが、とろりと流れ出して、腿を濡らして伝って落ちた。
何度中に出すなと言っても、英治はなかなか聞こうとしない。
「・・・玲二」
間近で見下ろす「親友」の顔。
口付けくらいしてやろうかと腕を伸ばせば、気を良くしたらしい英治は、自分から唇を落として怜二のそれをむさぼった。
熱い舌。
粘膜を擦られる感覚が、気持ちいい。
「随分、気持ちよさそうだったじゃないか」
ぺろりと口の端を舐められて、残った唾液をすすられる。
「まあな」
答えながら腕を伸ばし、サイドテーブルに置いたはずの眼鏡を探ると、その手は英治に捕らえられ、シーツの上に縫い止められた。
まだ熱い彼の指が、末端にある割に意外と急所の、手首を掴んで食い込んでいる。
しかし、痛みを感じない玲二には、そこから感じる自分の鼓動が、早すぎることの方が気になった。
どくどくどく、と。
それは、自分が平静でない、証拠。
「ファクターになったんだ、眼鏡、伊達だろ？」
「ああ」
「なんでしてるんだい」
「何故だろうな」
低い声で答えながら、玲二はぼんやりと考えた。
おそらくそれは、過去を忘れないための縁なのだろう。
過去と今を繋ぐ、細い細い、糸のようなもの。
眼鏡を探して指が動くが、それはシーツを擦るだけだ。
押さえつけた英治の腕を外すのは簡単だが、玲二はあえてそれをしなかった。
「ヴァーダントには、感謝しなくちゃなァ」
英治は、腕を捕まえた方とは逆の手で、玲二の右目にかかる長い前髪をかきあげた。
彼の意図を察し、眼鏡を探すことを諦めて、玲二はただ、彼の瞳をひたりと見上げる。
この瞳に宿る狂気は、一体いつから宿っていたのだろう。
ふと、そんなことを考えた。
「君を生き返らせてくれたし、この目も・・・治してくれたしね」
その瞳が近づいて、焦点が合いにくくなり。
落ちてきた唇に、眦に残る、生理的な涙を、つ、と吸われた。
ぺろり、ぺろりと、ほんの少し残っていただけのそれを求め、目元をひどく舐め回されて。
反射で、瞼が閉じられる。
その上をなぞる舌を、感じる。
薄い皮膚は感度が良く、わずかに身をよじると英治の喉が嬉しそうに笑った。
「・・・玲二」
嬲るように、睫の先だけを刺激され、緩く息をついたとたん、かぶりつくように右目一帯が彼の唇に覆われた。
かすかに身をこわばらせるのを合図に、その舌が、閉じられた瞼の隙間をなぞっていく。
濡れた睫が、さりさりと瞼にまとわりつく感触。
強引で熱い、英治の舌。
掴まれていた腕に、く、と更に力が入った。
腕に食い込む、指と爪。
ふつ、と、皮膚の破れる感覚。
それと同時に、英治の舌が、玲二の瞼をこじ開けた。
熱い舌が、眼球を這う。
おぞましいはずの感覚に、ふるりと背筋を震わせる。
「んっ・・・・」
それを、快感と受け止める感覚を、玲二は特に厭わない。
「ふ・・・っく」
漏れ出てしまう声も、また。
己の眼球を守るために、止まったはずの涙が、またしとどに溢れ出る。
それをすすられ、代わりにと唾液を流し込まれ。右目の上で、くちゅくちゅと濡れて淫らな音がした。
英治はこの目に執着している。
一度失った、と。その思いは、おそらく持ち主である玲二よりも、大きい。
ぬ、と、唾液を引いて舌が離れた。
英治の体液に濡らされて、うすぼんやりとした視界は、視力が悪かった頃のものに似ていた。
見上げた親友の顔は、ぼやけて。
あの頃の彼に、似ているような気がした。
「あァ、ごめん」
皮膚を破られ、血液のこぼれる腕を取り上げられて、その腕にも、彼の舌を感じる。
赤い血。
暗い部屋。
見上げた彼の、歪む唇。
滲んでかすむ光景は、どこか遠く、懐かしく。
そうして、二度と見たくないものに、似ていた。