また、あした ２
シンは、コックピットを飛び出した。
要塞自体の重力は切れていた。しかし、メサイアの落ちた月の引力に引かれて、レイの側へと舞い降りる。
「シ、ン・・・・」
瓦礫の側に座り込んでいたレイは、左腕が半分吹き飛んでしまっていた。
アスランに話を聞いてからですら、こんなに時間がたっている。なのに生きていられたのは、傷の表面が焼かれて、出血が抑えられたからだろう。
しかし、血を止めた熱は、もちろんレイの体も焼いて。
パイロットスーツと皮膚が癒着してしまっているらしい、胸と足。
焼け爛れた頬。
それでも。
生きてる・・・・！
「良かった！！・・・早く、ここ脱出しよう」
彼を抱きかかえようと肩に手を掛けると、しかしレイはふるふると首を振った。
「嫌・・・だ」
「なんで！？」
助かるのに。今ならまだ、助かるのに。
「お・・・とうさん、と、おかあさん・・・・・」
レイの残った右手には、誰かの手。繋いだ手。
女の人と、男の人。
しっかりと、繋がれた、手。
フラッシュバックする光景。
マユの手。
ちいさな手。
大切な人の・・・残された、千切れた。
手。
シンの目から、涙がこぼれた。
ふたり分の手に絡みつく、服の破片。
あたりに飛び散った肉片。
「これ・・・艦長と、議長？」
「うん」
子供のように頷くレイは、大切な人たちを握る手に、力を込めた。
「俺だけ、置いて・・・でも、まだ、きっと、間に合う。すぐ、また、いっしょに」
レイの、わずかに笑んだ唇。かなしい。
「つれていって・・・・」
どこかで、また何かが爆発する音が聞こえた。
「ダメだよ、レイ」
涙が止まらない。
レイの腕を引く。引かれた手から、死体の一部・・・「彼ら」の手が、落ちる。
「レイは、生きろってことだよ。置いて行ったんじゃない、レイには明日を生きて欲しいってことだよ！」
自分の言葉に、頭の中が、一気に晴れた気がした。
『君は、何が欲しかったんだ』
繰り返された問い。
なんのことだか、さっぱりわからなかった。
でも、今ならわかる。
シンの欲しかったもの。
それは。
「明日が・・・俺は、ずっと欲しかったんだ、レイは、違うのかよ？」
ずっと、明日が欲しかった。
大切な人との、幸せな明日。
ステラも言ってた。
また、明日。
あした・・・・
背後で、激しい爆発があった。
レイの腕を掴んだまま、シンは振り返る。
乗ってきたムラサメが、崩落する天井に巻き込まれ、潰れていくのが、見えた。
「あ・・・・」
そこから、空気が抜けていくのがわかる。
シンは、パイロットスーツだからしばらくは持つけれど、ヘルメットを被っていないレイが。
それに、この爆発。
シンだって、助からない・・・
「・・・っ！」
それでも、シンは諦めるわけにはいかないのだ。
「司令室なら、脱出ポットあるよな！」
探して、見回す。
しかし、そこらじゅうが、瓦礫と化し、火が出て。
まずい。酸素が、更に消費されてる。
「レイ！知らないか！？」
レイは、ぼんやりとシンの顔を見たままだ。
あの、誰よりも冷静で頼りになったレイが。
「あ・・・した。かれの・・・・」
明日、そう、明日のために。
生き延びなくては、ならないのに。
「――――くそっ！」
焦れば焦るほど、先が見えなくなる。
守らなくちゃいけないのに。今度こそ。
レイの明日を。守らなくちゃいけないのに。
たとえそれが、先の短いものだとしても。
誰か。
誰か、助けて。
誰でもいい。
その時、シンの脳裏に浮かんだのは、何故かアスランの困ったような顔だった。
あの、ムカつくけれど、どこか、安心する・・・
その時、空気が吸い出されていた天井から、逆に風が吹いてきた。
スラスターが発する特有の、熱を持った、強い風。
そうしてあらわれた・・・赤い、機体。
「シン！」
外部スピーカーと、ヘルメット内のスピーカーと。
双方から聞こえた声に、膝が抜けそうになる。
「とにかく乗れ！ここもすぐに崩れる！」
差し伸べられた大きな機械の手に、レイを引きずり上げると、すぐに引き上げられて、コックピットハッチが開いた。
「早く！」
ほとんど放り込まれるようにコックピットに乗せられ、レイを抱えたまま、邪魔にならないように、少しでも小さくなった。
「すまないが、酸素を満たしている余裕がない。これと、これで、なんとかしてくれ」
シートの下から、簡易酸素と救急パックを引きずり出すと、アスランはすぐにスロットルレバーを引いた。
「なんとか、脱出してみせるから・・・お前は、レイを頼む」
「それは、命令ですか」
思わず出た問いに、それどころじゃないと思う。
でも。
「すまない。そうじゃなくて・・・お互い、できることをしよう」
困った声、困った顔。
「はい」
ふたりの救世主は、笑って。
それからは、滅茶苦茶な操縦でシンを怯ませた。
「あんた・・・・レイは、この怪我なんですよ！」
「だから頼むって言っただろ！俺はこっちで手一杯なんだ、一緒にデブリになりたくなければ、お前がなんとかしろ！」
狭い通路を無理やり通り、開かないハッチをこじ開ける。
それでも、その人が急ごしらえで付けたらしい生体反応のセンサーチェックを、決して欠かさないのを見て、シンは思う。
ああ、この人には、かなわない。
「くっ・・・」
しかし、そのセンサーも、メインカメラごと、吹っ飛んで。
「アス・・・」
「黙ってろ！」
それでも、サブカメラと残ったセンサー類で要塞を抜けることを、諦めないアスラン。
だから、シンも諦めずに。
「レイ・・・もうすぐ、だからな」
すさまじい勢いで揺れて、Ｇのかかる狭いコックピットのすき間。
応急手当も諦めて、ただ、レイの体を抱きしめて、衝撃から守ることに専念する。
「・・・抜けた！」
撃ち放つようなアスランの声に、顔を上げた。
たったひとつ残った、側面のサブカメラに映る、漆黒のソラ。
その色に、シンは、ひどく安堵した。
自分たちは。
このソラで、生きる明日を、勝ち取ったのだ。
レイは、左腕や火傷だけでなく、内臓にもダメージがいっていたけれど、それでも命は取りとめた。
アスランは、何故レイを連れて戻らなかったのかでキラと喧嘩をし、しかし「だって僕が言って大人しく連れて帰れたと思う！？」と言われてしっかり負けていた。
殴り合えば強いのに、口での喧嘩は絶対負ける人だと、シンは思った。
ザフトも連合もすぐには動けず、オーブやスカンジナビア王国は、その双方に呼びかけながら救援に忙しい。
この混乱が終息すれば、きっと、本国をやられたプラントも、中枢を失った連合も、それを理由にまた戦うのかも知れない。
頑張って、それを止めなければと、途方もないことを言うオーブの連中は、みな、それでも妙に元気で。
シンはそれを、とても羨ましいと思った。
「ジュール隊が、遭難者の引き取りに来るそうだ。レイはもう動かせるんだろう？一緒に行くといい」
そう言うアスランの、白い軍服。
シンはいまだに、それを似合わないと思っている。
「あの人、なんか最後にはそっち側に付いて戦ってませんでしたか？」
「あいつのところは、副官がごまかし上手なんだ。俺もアカデミーの時、世話になったよ」
「なんですか、それ・・・」
野戦病院と化した月基地は、何故か中立の暗黙の了解が出来ていた。
様々な制服が駆け回り、シンが借りた、赤いモルゲンレーテのジャケットも、まったく目立たない。
レイの眠る病室、椅子なんかないから、壁にもたれかかって。
「あんたは、行かないんですか？」
「行けるわけないだろう」
わかってはいたけれど。
そうはっきりと言われ、シンはうつむいた。
「メイリンも、すぐに戻ったら危ないと思うから、イザークにとりなしてもらえるように頼んだんだ。お前もなんとか、彼女の無実を証明してやってくれないか？」
「いいですけど、そしたら、あんたも戻れるんじゃないですか？」
「俺は、その前にも議長の権限で復隊してるんだ、もう無理だよ」
そう、さばさばと言う人は、もうザフトに未練はないのだろうか。
「今は・・・平和のために、オーブで出来ることがある。だから俺は、オーブへ行くよ。・・・俺たちの力は、新たな抑止力になるから。固まっていた方がいい」
「なんで・・・」
言いかけて、やめて。
シンは、ちらりとアスランを盗み見た。
藍色の髪の間から見える、翠の瞳。
それはひどく凪いでいた。
「あんた、俺に」
「うん」
その瞳が、シンを見る。笑う。
それは、この人が生きているから。
「何が欲しかったんだって、何度も」
「ああ」
頷く、その人に。
シンの、答えを。
「俺は、明日が欲しかったんです。大切な人との、幸せな明日が」
「・・・そうか」
翠の瞳がやさしく笑って。
「じゃあ、俺と同じだな」
その笑顔を、シンは一生忘れないと思った。
「ぅ・・・」
「あ、レイ」
目を覚ましたレイの瞳が、ぼんやりとシンとアスランを映して、幾度か瞬く。
「プラントから迎えが来る。帰れるぞ」
「そうですか・・・・・」
声に生気がないのは、仕方がないけれど。
「メンデルの研究データの一部が、地球のエクステンデット研究所にあるらしいと聞いた。君のテロメアの件、何とかなるかも知れない。・・・・まだ、可能性だが」
アスランはそう言うと、レイの前髪をかき上げた。
焼け爛れた皮膚に貼り付けられたシート。その隙間から覗く、綺麗なきれいな青い瞳。
とうとう素顔を見ることができなかったクルーゼ隊長は、やはりこんな目をしていたのだろうか。
「ありがとう、ございます」
「何とかするのは、俺じゃない」
そう言って、笑うと。
アスランは踵を返して部屋を出て行こうとした。
まるで、いつものように。
「ちょっ・・・あ・・・・・」
たぶん、プラントへ帰ってしまえば、しばらくは・・・下手をしたら、一生、会えないかも知れないのに。
「シン？」
不思議そうな声、ムカついた。
「なんで、あんたって人は・・・・」
「お前、そればっかりだな」
仕方がない、という顔をして笑ったアスランは、シンの頭をぽんぽんと手のひらで叩く。
この人の手があたたかいことを。
何故、俺は知らなかったんだろう。
「だって、あんたわけわかんなくって」
「悪かったな」
拗ねたような、声。
それは、シンの『上官』のものでも、『敵』のものでもなくて。
シンより、ふたつだけ年上の。
アスラン・ザラという人の、生きた声。
「もう・・・会えませんか？」
だからシンも、ただのシン・アスカとして。
ただ、素直に。
その人の、翠の瞳を見上げた。
「会えるさ、いつでも。俺たちは、生きているんだから」
そう言うと、アスランはすっと右手を差し出した。
「また、明日、な」
シンは、それに恐る恐る手を伸ばし。
そうして、意を決して、その手を握った。
「はい。・・・あした」
去って行くその人の背中を見送り、それからまだ、ぬくもりの残る手のひらを、ぎゅっと握り締め。
シンは、明日へと歩き出す。
幸せな、あした。
また、君と会おう。
そうして、たくさん話をしよう。
また、あした。
終