また、あした １
落ちていくメサイア。
落ちていく。
シンの、信じていたものが。
ヘルメットの中、自分とルナの泣き声だけが聞こえる。
ルナの手が、ぎゅっと抱き寄せてくれて。
大切なものが壊れていくさまを、シンの目から隠してくれた。
闇。
何も、見えない。
シンにも、何もないから。
ずっと、ここにいたい。
ねえ、ステラ。
それでも、俺に、明日、は、あるの？
不意に、無理やり抱き起こされた。
嫌だ、起きたくない。
それでも、ルナは厳しくて。
降りて来る、赤いMSを見せ付けられた。
あれは、何？
あれは、何だ。
あれは、悪魔。
シンのすべてを、破壊した・・・
月のわずかな重力下、軽々と駆け寄ってくる赤いパイロットスーツ。
くい、と、自分の機体を指差して、シンの手を取る。
「乗れ、パイロットスーツじゃ、酸素、心もとないだろう」
耳元のスピーカーから聞こえたおだやかな声に、目の前が急に真っ赤になった。
思わず殴りかかり、止められて。
ルナマリアに、羽交い絞めにされた。
「やめなさいよ、あんたいつまでもっ！」
「シン、暴れるな。酸素が切れる・・・そうしたら俺は、もう、お前と話せなくなる」
何を。
何を、話すと。
それでも動きを止めたシンに頷いて、アスランはルナマリアを促し、ジャスティスのコクピットへと誘導した。
「狭いが、我慢してくれ。とりあえず・・・アークエンジェルが近いからそちらへ向かうが、後で、月基地へでも下ろしてやれると思うから」
「メイリンにも、会えますか」
ルナの声に、シンの体がびくりと反応して。
「ああ。きっと楽しみにしてるよ」
アスランの声に、涙が出た。
「遭難者２名。うち１名は負傷しています。俺はまた捜索に出ますから、後をお願いします」
ＭＳから下ろされるなりそう言われ、ルナマリアはぎょっとしてアスランを見た。
自分たちは、ずっとこの艦と戦ってきたのだ。
そんな人間を、放り出していくなど信じられない。
「バカヤロウ、修理くらいさせろ！あー、もう、片足飛んでんじゃねえか」
怖そうなオジサンがドカドカと駆け寄り、アスランは彼に向かって首を振ってみせた。
「救助は一刻を争います。まだ大丈夫ですから・・・すぐに出ます」
「ったく、坊主ども二人して同じこと言いやがる」
太い声でぼやいたその人の後ろから、ジャスティスに続いて着艦したコンテナが開き、聞きなれた・・・懐かしい、声がした。
「おねえちゃん！」
「メイリン！」
飛びついてきた少女は、ザフトの軍服を着ていた。
「良かった、生きてた・・・・」
「うん、メイリンも」
立場を違え、叫び合い。
それでも、彼女たちはやはり姉妹だった。
「なんでぇ、嬢ちゃんの姉ちゃんか」
「あ・・・はい。アスランさんがこっちに来るって連絡が来たので、ジャスティスの修理パーツを持ってきたんですけど」
「ああ、ありがとよ」
てきぱきと仕事をする彼女に微笑み、アスランはとん、と彼女の肩を叩いた。
「メイリン、彼らを頼む」
「はいっ」
頷いたメイリン。
シンの手を取る、ルナマリア。
しかしシンは、その手を打ち払った。
「シン！あんたまだ・・・」
ずっと、呆然としていたシンは、ここに来てやっと、顔を上げた。
燃える、赤い瞳。
「シン、お前は・・・・」
肩を掴むアスラン。しかし彼に、シンはしっかりとした眼差しを向けた。
「俺も、救助に出ます。何か機体、ありませんか」
「って、あんた怪我・・・」
「ちょっと打っただけだ。ちっくしょー、あんた、なんでこんな上手いのに・・・・」
アスランに噛み付きかけて、やめて。
「で、あるんですか、ないんですか！？」
燃える瞳に睨まれて、アークエンジェルの整備班長は、アスランを振り返る。
「おい、坊主・・・」
「たしか、こっちにはムラサメの予備機があったと思うんですが・・・動かせますか？救助の人手は、あればあるほど良いですから」
至極冷静なアスランの声に、マードックは頭を抱えた。
「だーっ、もう、知らねぇぞ！」
しかしすぐに切り替えて、仕事に集中することにしたらしい。
「すぐ準備する。おーい！」
そうして、忙しく動き回るほかの整備員に声をかけたところで、メイリンと再会を喜び合っていたルナマリアが声を上げた。
「あ、あの、あたしも！」
「おねえちゃん！？」
「ああ！？嬢ちゃんもかよ、しょうがねぇなぁ」
シンが、驚いたようにルナマリアの顔をうかがったが、彼女は真剣そのものだった。
「細かい調整までは付き合えねぇぞ。こっちだ。おい、ムラサメ２機だってよ！」
先を行くマードックに付いて行くザフト兵２人を見送り、メイリンは恐る恐るアスランを見上げる。
「あの・・・」
「大丈夫だよ、・・・たぶん」
そこで断言しないのが、この人の良いところであり、悪いところだ。
「ブリッジに連絡を頼む」
そう言って自機に向かうアスランの背を、遠くからダミ声が叩いた。
「だから修理してけって言ってんだろ、ザフトの坊主！」
戦闘の後の救援活動は、己の所業を見せ付けられるようなものだ。
推進力のなくなった脱出用ポットを回収して月基地へ放り込み、すぐにまた救難信号を見つけて飛んで行く。
宙を漂う破片の中に、人らしき形を見つけるたびに、生命反応を確かめるのだけれど、そんなもの、返るはずもなくて。
ステラ。
ねえ、ステラ。
みんなみんな死んじゃった。
それでも、明日？
明日は、あるの？
「シン！」
唐突に、無音だったスピーカーが震えて、懐かしい声を叩き出す。
「ムラサメだと、もうエネルギーがまずいんじゃないか？」
「あ・・・はい」
「ジャスティスも、さすがに補給だ・・・こっち」
アークエンジェル・・・今の母艦の位置を送られて、シンはそれすら見失っていた自分に気づく。
エネルギーも、本当に残り少ない。
それもわかっているのか、アスランのジャスティスはシンの乗るムラサメのアームを掴んで、引いていく。
「・・・・アスラン」
「なんだ？」
「レイは・・・議長はどうなったか、知っていますか？」
「・・・・・」
無言が、返事だった。
「議長は、間違っていましたか？」
「わからない」
答えるアスランの声は、沈鬱で。
「――――――あんた、なんでいつも！」
シンの声にも、いつもの勢いがない。
「・・・・戦争をなくす。それだけを考えれば、議長は正しかったのかも知れない」
「なら、なんで」
「俺は、議長の言う世界では、生きられないから」
様々な違う道を、行きつ戻りつしたアスランだからこそ、わかる。
道を選ぶこと、明日を選ぶこと。
それが、生きるということ。
たとえ間違っていたのだとしても、自分で選んだ道でなければ、進むことはできない。
自分で選んだ道の先にしか、明日は、存在しないから。
「明日のない世界では、生きていけない。だから」
議長と戦うことを、選んだのだと。
「明日・・・」
「うん」
スピーカー越しに、頷く気配。
明日。
それは、彼女の言った言葉。
「ステラが言ってた。また、明日って」
「ああ。たとえ、戦う明日でも、それが戦わない明日に繋がると、俺は信じている」
そうして、アスランは声色を変えた。
それは、聞きなれた隊長の声だった。
少し、厳しい、声だった。
「お前はどう思う？シン」
「俺、は・・・」
シンが答えを出す前に、アークエンジェルのカタパルトが開き。２機とも、着艦作業に入っていた。
「あー、もう、せっかくあたしが拾ってやったのに、シンってば、藻屑になっちゃったかと思ったわよっ」
「拾ってくれたの、アスランだろ」
「それでまたアスランに拾われてきたわけ？何やってんのよ」
補給待ちのため、とりあえず待機室で休もうとすると、飛び出してきたルナマリアと、何故か突然言い合いになった。
知った顔に会って緊張が解けたのだろうと、アスランも彼女の肩を叩いてやる。
「仕方ないだろ。・・・・それより、君のムラサメどうしたんだ？右腕を丸ごと取り替えていたようだったが」
見ていないようで、きちんと見ている。
彼は、本当に優秀だったのだと、そう思うとわずかに誇らしくなるのは自分たちが、まだ彼を仲間・・・隊長だと、思っているせいなのかも知れない。
「生存者がいるシャトル運んでたら、機関室から火が出ちゃったみたいで・・・ドカンよ。悔しいったらないわ」
「・・・そっか」
頷いたシンは、じっと強化ガラスの向こう、整備される機体を見つめた。
今、こうしている間にも、まだ、生死の境にいる人たちがいる。
早く、行かなくちゃ。
そう焦り始めたとき、不意に入り口近くの通信画面がＯＮになった。
「アスラン、こっち来てるって？」
「キラ」
アスランの呼ぶ声に、緊張する。
画面に映し出されたのは、アスランよりも幼く感じる少年。
あれが、キラ・ヤマト。
ステラを、ハイネを。
そして恐らく、シンの家族を殺した男。
「そっちどう？」
「まだまだだな。でもアークエンジェルもエターナルも、もう月に下りるんだろう？」
「うん、だから補給だけして、ぼくら上に残った方がいいかなって」
「わかった」
いいかげんにさえ見える打ち合わせをたちまち済ませ、そうして画面の中の少年は、すっ、とアスランからシン達の方に視線を移した。
「アスラン、後ろの子は？」
不意に話を振られて、シンもルナマリアも戸惑った。
言いたいことは、たくさんあるような気がする。
でも、何一つ言い出せない。
「ああ、ミネルバに乗ってたパイロットなんだが、回収したら、救助作業を手伝ってくれると言うから」
「ふうん、じゃ、２人はどうするの？」
「とりあえず、下ろした方がいいだろ」
「ちょ・・・何勝手に決めてんですか！」
思わず食ってかかったシンに、アスランは当然のように言う。
「だって、お前らザフトだろう」
「ザフトですけど、ザフトだと助けちゃいけないんですか！」
噛み付くシンに、アスランは奇妙な既視感を覚えながら、なんとかなだめようと言葉を選んだ。
「そういう意味じゃない・・・自分のいるべき場所へ戻って、それから救助なり何なり、すべきことをすればいいだろう」
「でも、これって・・・一刻を争いますよね？」
シンの後ろから、ルナマリアに言われ、アスランは言葉に詰まった。
その通りだ。
その通り、なのだけれど。
「じゃあ、アテにしていい？どうもメサイアの中に、生存者がいるらしくて・・・・」
「それを早く言え！」
キラの言葉にシンが吠えて、待機室を飛び出していく。
アスランは、深くため息をついた。
キラは、じゃあよろしく、と言って通信を切ってしまった。
「・・・ルナマリア、すまないが、シンとメサイアに向かってくれないか？俺は、周辺の救助作業を続けるから」
ぐったりと、疲れた様子のアスランの背をばしばしと叩き、ルナマリアは笑って言ってやった。
「了解しました。たいちょー」
その言葉に、何か、郷愁のようなものがこみ上げて。
しかしアスランは、首を振ってそれを振り払った。
「・・・頼む」
メサイアの内部は、思ったよりも酷かった。
崩れかけの要塞に、通れない通路・・・散乱する、死体。
シンは、それでも必死に生存者を探していた。
空気のないところも侮れない。現に、ルナマリアが宇宙服を着ていて助かった作業員を、数人、誘導しながら出て行った。
「君、そろそろここも崩れてくると思う。僕らも脱出しよう」
スピーカー越しの声。
キラ・ヤマト。
ノイズの多いセンサーで見たフリーダムは、脱出ポットのようなものを、数機抱え込んでいた。
気を使っているのか、ただ単に壊れているのか、通信画面は映ってこない。
ルナの声は、通信域の外にいるのか、聞こえない。
それが、シンのタガを外した。
「レイたちは・・・」
通信機の向こう、息を飲む気配。
「レイたちは、どこで」
「・・・・奥の司令室。たぶん、もう行けないよ」
「行く」
そこに行かなければ、たぶん、シンはもうどこにも行けない。
「わかったけど・・・ねえ、君、シンっていったよね」
その声に、名を呼ばれるとは思わなかった。
「君が帰って来なかったら、アスランはもう、どこへも行けなくなる。それは、覚えておいて」
「どういう、意味だよ」
「そのままの意味だよ。君のためじゃない、アスランのために、戻って来て」
それだけを言うと、フリーダムは１０枚の羽根から光を放ち、そこを去っていった。
「なんなんだよ、あんたたちは・・・・」
アスランといい、キラといい、シンにはわけのわからないことばかり言って、勝手にどこかへ行ってしまう。
「ち、くしょ・・・」
そう呟くと、シンはスラスターを解放して奥へと向かった。
今、考えるべきことは、そんなことじゃない。
奥へは行けないとキラは言ったけれど、シンの方が、この要塞のことは知っている。
隔壁を開くと、まだ空気があった。
近くで、何かが爆発する。
確かにここも、もう、危ない。
「だれか・・・いませんかー！」
外部スピーカーをＯＮにして、叫びながら、進む。
メサイアの奥底、司令室。
ここは、機密性高く作られていたのだろう。
まだ、酸素もあるようだったけれど、崩壊は、ここも酷く蝕んでいる。
あるのは、死体と、瓦礫の山ばかり。
そんなことは、アスランの沈黙でわかっていた。
でも。それでも。
確かめなければ、シンは、前へは進めない。
シンの信じたものは、本当に壊れてしまったのか。
俺はまた、なくしてしまったのか。
もう、何も、ないのか。
「だれ、か・・・・」
爆発。
跡形もない指令席。
爆風に煽られた、あれは何？
きんいろの・・・・
「レイ！」