休日出勤
土曜だというのにJUDAに呼び出されて、ラインバレルの調整に付き合うことになった。
あの人たちにはどうやら、土日とかいう感覚がないらしい。
それでもなんとか午後には解放されて、げんなりとしながら早瀬の足は、特務室へと向かっていた。
土曜も日曜も関係がないのは、特務室の他の面々も同じなことは知っている。
きっと誰かいるだろうから、そいつを誘って道明寺でも呼び出して、そいでぱーっと遊びに行こう。
まったく、あいつら仕事し過ぎだぜ。俺が正しい青少年の休日ってやつを教えてやらなくちゃな。
そんなことを考えながら特務室のドアを開けると、そこにいたのは運悪く、室長ただ一人だった。
さすがの早瀬も、森次を遊びに誘う度胸はない。
てゆか、カラオケとかゲーセンとか行くこの人なんか、想像もつかないぜ。
なので、そのまま踵を返そうとして。
それでも、ただ顔を出しておいて一言も無しじゃさすがに悪いだろう、と思いなおして振り返り。
そうして初めて、我らが室長殿が居眠りをしていることに気がついたのだった。
うわ俺、すっげえ珍しいもの見てる。
早瀬は思わず、彼が眠るデスクへとつかつかと歩み寄った。
起動したままのパソコン。
何か読み込みでもしているのか、モニタには、勝手に増える数字が映されている。
開かれたままのファイルには、読めない言語が連なって。
手に持ったままの書類には、やっぱり早瀬には読めない言葉が連なっていた。・・・こっちは日本語なのに。
それでも目を凝らせば、ラインバレルやヴァーダントといった、いくつかの単語は拾うことができた。
まったく、仕事し過ぎだぜ、この人。
書類から目を上げる。
初めて見る寝顔をのぞき込む。
この人の顔を、こんなに間近で見るのは初めてだ。
結構キレイなカオしてんだな。
前髪が長いが睫も長い。
眼鏡の奥の切れ長の瞳が開いていると、時々引くくらいおっかないのに、それが閉じているだけで、えらく印象が変わって見える。
酷薄な笑みが似合う唇は、ちいさく開いて寝息をこぼしているだけなら、むしろ、その。
やらかそうだなぁ、と、今までの思考と、また少し違ったところが呟いて。
それで。
勝手に顔が近づいたのは、いわゆる出来心というやつだ。
もしくは通り魔。
そういった、類のもの。
唇に触れたそれは確かに柔らかく、なんだかちょっといい匂いがした。
本能的な幸せが脳内に満ちて、それが我に返ってしまう寸前に。
ぐ、と、凄い力で後頭部を押さえつけられた。
わ、と思ったとたん、熱くて柔らかいものが口の中に入ってきて。
それが、舌に絡んで。
そのまま、それに翻弄される。
擦られる粘膜。
口の中に唾液が溢れて、それがずるっと向こうに持って行かれて。
それと一緒に舌も持って行かれてしまって、何か、硬いもので、絶妙な力でもって挟まれた。
その全部が、なんていうかこう、すごく、すごく気持ちよくて。
気持ちよくて。
気持ちよくて。
でも、そのうちなんだか、息苦しくなってきて。
「ん、んんーー！」
思わずうめくと、やっと、口が解放された。
知らないうちに閉じていた目を開けると、そこにはさっき見ていた室長の顔。
ただし、漆黒の瞳が開いている。
その色に、ゾクリとする。
ちいさく開いた唇は同じだったけれど、全然違う色に濡れて。
その端にこぼれていた、粘度の高い水を、長い指がすくって。
赤い舌が出てきて、ぺろりと、舐めた。
「ーーーーーーっ！！」
そこで初めて、早瀬は今何をされたのか気がついた。
俺、オレ、おれ。
森次さんと、き、き、・・・・・
「で、何の用だ」
「え、あ、そのっ」
今までのことがなかったかのように、室長は眼鏡を押し上げて、表情のない瞳をモニタへ落とした。
「や、山下クンか、イズナでもいないかと思って・・・」
「山下なら、実家に行くと言って出かけている。イズナは格納庫で見かけなかったか？なら、シズナと一緒に買い物だろう」
「そ、そうスか」
焦りまくる早瀬にはもう、一瞥も向けないまま、森次はモニタを確認し、手元の書類を一枚繰った。
「・・・早瀬」
「はっ、はいいいい！」
声が思い切り裏返る。
怖い。
なんだかもの凄い怖い！
ぶっちゃけ、ヴァーダントにギタギタにされた時だって、こんなに怖くなかった！
それなのに、室長は。
「ラインバレルの、戦闘時における回復係数の理論値だ。これほど環境によって左右される機体はないが、とにかくこれだけは頭に入れておけ」
いつもと変わらない、無表情な声と共に、紙切れを一枚渡して。
それには、よくわからない数字とグラフが描かれていて。
「えっと・・・」
「・・・貸せ」
室長の顔が近づいてくる。
長い睫。
ちょっと怖いくらいに黒い瞳。
まだ少し、濡れた唇。
長い指が、渡された紙を指して。
「こちらが時間軸。上が回復係数だ。凡例は右下にある。まず主装甲を第一に考えろ。次が人工筋肉だな。それから・・・」
あ、指もまだ濡れてる。
「・・・聞いているのか、早瀬」
「は、はいっ。ア、アレでしょ、ラインバレルの回復力にあんま頼るなってコトでしょ。耳タコっすよ！」
動転のあまり、うっかりバカなことを言って胸を張ってしまった。
やばい、怒られる。
「回復力はあてにしてかまわん。ただ、限界は知っておけと言っているんだ」
しかし室長はそう言って、とん、とグラフの一点を軽く叩いただけだった。
太い線がクロスしてる。
ここ越えるとヤバイってことだ。
「はイ・・・」
なんだか、もの凄く脱力してしまった。
そんな早瀬を気にも留めない様子で、森次はカタカタとキーボードを操り始めた。
いつの間にか、増えていた数字が止まっている。
眼鏡に映る、モニタの光。
おかげで、ただでさえ伺いにくい表情が見えなくなって、なんだかもったいないと早瀬は思った。
どうせダテなんだから、眼鏡なんか外せばいいのに。
そうしたら。
あの睫とか瞳とか、もっとよく、見えるのに。
そんなことを思ってしまったものだから。
「あの、さっきのは、スルーですか」
思わず、自ら地雷を踏みに行ってしまった。
うわ、どーゆーバカなんだ、俺。
「何だ」
それに反応した森次は。
に、と。
どこかで見た、もの凄く怖い笑みを、その唇に浮かべてみせて。
「気にして欲しいのか」
そう、やたらと良い声で言ってくれるものだから。
ぞ、と。背筋を駆けあがったものが、アタマにマトモに入る前に。
「・・・・ば、馬鹿にしやがってーーー！！」
その場を逃げ出した早瀬の本能は、実に素晴らしいものだったと言えるだろう。
後に残された森次は、少年の背中を見送って。
それから、パソコンのモニタに視線を戻し、そのまま仕事の続きに没頭した。
彼にとっては恐らく、それは何ということもない。
いつもの、休日のようだった。