子わんこ、逃走 （子わんこシン クリスマスイブの後のお話です）
シンは、子わんこです。
わんこなので、足は速いのです。
でも。
でも、隊長は、なんでかもっと速いですーーー
「ジュール隊長、こちらからシンの匂いがします。間違いありません」
「よし、レイ。お前は機関室から回り込め」
「位置の特定は」
「ルニャマリア、お前の鼻を貸せ。だいたい何故人間どもは端から使えんのだ！」
それは、隊長がだだ洩れにしているダークフォースのせいでは。
思いましたが、もちろん賢いレイは言いません。
とにかく、さっさと艦内を逃走する豆柴を捕まえて、この騒ぎを収めることが先決です。
隊長にねこ掴みされた同僚も、なんだかもうぐったりしていますし。
レイたちの隊長は、これさえなければ本当に良い隊長なのですけれど。
「逃がさんぞこのバカ犬ーー！」
それでも、犬猫なパイロット達と、対等に接してくれるジュール隊長は、本当に貴重な人なのです。
ことの起こりは、クリスマスでした。
シンは、でっかいご主人様のお人形、『あすランさん』を、サンタさんにもらったのです。
シンは、ご主人様であるアスランさんが大好きなのです。
シンだけのアスランさんが欲しかったのです。
だからシンは、サンタさんにもらったあすランさんと、いつも一緒です。
お仕事には、ひもでおんぶして出かけます。
あすランさんは、まだ子犬のシンより大きいので、ぽんぽんぽんっ、と、ふかふかのブーツが、床を跳ねて愉快です。
ちなみに、おんぶは後ろ向きです。
見せびらかしーｖ、なのです。
旦那様は・・・ええと、旦那様は、シンのご主人様の旦那様です。お仕事中は、シンたちの隊長なのです。
隊長は、怒るかなぁとシンは思ったのですが、彼は渋い顔をして黙っていました。
勝利です。
もちろん、ＭＳに乗るときだって、あすランさんは一緒です。
「あんたね、もうちょっと考えなさいよ」
でも、同じ隊に配属されてきたルニャマリアが言いました。
「これ背負ったままじゃ、ベルトできないでしょ！」
それはそうです。
「じゃあ、どっか仕舞うところ作ってもらえよ」
そうしてディアッカが、整備班に声をかけてくれて、シンのＭＳ、『ケルベロス』（通称ポチ）のコックピットに、あすランさん専用の収納シートを作ってもらいました。
ＭＳがポチなので、シートもポチ柄です。わんこいっぱいです。
そこに収まったあすランさんも、満足げにしています。
さて、これでひと安心です。
ひと安心な、はずでした。
ところが、このあすランさん収納シートが、隊長の逆鱗に触れてしまいました。
「貴様、ＭＳを何だと思っている！！」
どうやら、前線の鬼と呼ばれる隊長にとって、最前線のＭＳは、かなり神聖なものだったようです。
いくら、隊長の愛するご主人様のお人形でも、専用シート作って仕舞っとくのは、許せなかったようです。
「とりあえずその馬鹿げたシートは外せ。人形は没収だ。ディアッカ！どうせお前の入れ智恵だろう！！」
隊長、ダークフォース全開。
コーディネイターとはいえ、人間なら、当たるとちょっと大変です。
ディアッカも整備のお兄さんたちも、ばったばったと倒れてしまいます。
でも、わんこはわりかし平気です。
なので、隊長がひっくり返ったディアッカたちに文句を言っている隙に、シンは大事なあすランさんを背負って、とっとと逃げ出しました。
「待て、小僧！」
待てるわけがありません。没収されたら大変です。
「コンディションレッド発令！あののバカ犬を確保しろ！！」
そうして、艦内大捕り物が始まりました。
・・・・でも、怒り狂う隊長が近づくだけで、人間は、ばったばったイっちゃうんですけど？
仕方ないので、レイとルニャマリアの出番になりました。
レイは、前の戦争で大怪我をして、復帰したばかりです。
前のご主人様が戦争で亡くなってしまったので、レイは、地球で新しいご主人様に飼われることになりました。
新しいご主人様は、レイの細胞のもとになった人の息子さんだそうで、犬好きのする大きな人でした。
新しいご主人様も、その奥様もとても良い人だったのですが、レイはやっぱり前のご主人様が忘れられないので、ザフトに復帰したいと言いました。
優しいご主人様達は、いいよと言って、ジュール隊長にレイを預けてくれました。
そうして復帰して、初めての仕事が豆柴の捕り物です。
まったく、いい迷惑です。
「シン！いいかげんに・・・」
逃げ込もうとした機関室からレイが飛び出してきて、シンは慌てて回れ右しました。
でも、そっちからは隊長が追って来ています。
そんなに一生懸命走っているようには見えないのに、あっという間に追いつかれてしまいます。
「観念しろ、バカ犬」
「バカじゃねぇっ！」
わうわう！と、シンは必死に吠えました。
隊長は、もの凄く強いのです、でも、シンだって強くなったのです。
今度こそ負けません。大事なあすランさんを、守りきってみせるのです。
じり、と、二人が距離を測り、レイがとばっちりを食わないように、一歩下がったその時でした。
「あー、あんた・・・」
隊長にねこ掴みされたまま、ぶらん、とぶら下がったルニャマリアが、緊迫した空気とは、全く関係なく声を上げました。
「それ、足ボロボロじゃない。引きずって歩くからよ。バッカねぇ」
シンはびっくりして、後ろに背負ったあすランさんの足元を振り返りました。
シンのしっぽに押されて、ぴょこんと飛び出したあすランさんのブーツが、ルニャマリアの言うとおり、ボロボロになっていました。
右足なんか、中の綿がはみ出して、大変なことになっています。
無心にシンを見上げた目も、なんだかとっても悲しそうに見えます。
「う・・・」
シンの、ぴんと立った耳が、へちゃんと伏せてしまいました。
くるくるしっぽも、ぱたんと足の間に落っこちます。
「ひーーーーん！」
シンは、あすランさんを抱きしめて、ヒンヒン泣き出しました。
せっかくサンタさんにもらった、大事なだいじなあすランさんなのに。
それに追い討ちをかけるように、隊長がばっこんとシンの頭をぶっ叩きました。
「だからバカだというんだ貴様は！」
隊長は、非常にご立腹です。
シンが抱きしめていたあすランさんも、取り上げられてしまいます。
「泣くな小僧！それでも赤服か！？」
赤服でも、悲しいもんは悲しいのです。
それでも、隊長は鬼でした。
「一ヶ月間、L5での哨戒任務を命ずる！その間これは預かる。アスランと通信もするな。頭冷やして来い！！
「きゅーん、きゅーん！！」
取り上げられたあすランさんを、取り返そうと必死のシンを足蹴にし、隊長はそう宣言します。
「隊長・・・では、私も」
さすがにかわいそうになったレイが、慎ましく片足を上げましたが、隊長は意外と冷静でした。
「お前の『オルトロス』はまだ調整中だろう。それよりお前だディアッカぁ！」
ダークフォースに慣れっこで、何気に回復してこっそり様子をうかがっていたディアッカが、柱の影から逃げ出しました。
もちろん、あっという間に隊長に捕まりました。
「ああ、そうか。ちょっと大きすぎたかな」
「本当に、貴様もあの小僧も加減というものを知らん。犬は飼い主に似るというが、まったくそっくりだ」
「そう言うなよ。そうだな、じゃあブーツをもう少し丈夫にしてやろうか」
「そういう問題じゃないだろう」
「いいじゃないか。MSには乗せないように、俺からも言っておくよ
「戦艦にも乗せるなと言っておけ」
「うーん。それは聞いてくれるかなぁ」
そんなこんなで一ヶ月、ディアッカと仲良くぐずぐず泣きながらお仕事を終えたシンは、やっとお家へ帰れました。
ちなみにディアッカは、回復のお札があるので隊長のダークフォースも平気なのだそうです。
お札を見せてもらったシンは、そこに映っていた茶色の髪の女の人の、緑の目がご主人と同じできれいだなぁと思ったのでそう言いましたら、ディアッカは泣きながらアイスをご馳走してくれました。
しかも、後でそれをご主人様と旦那様にご報告したら、ディアッカをお夕食に招待してくれました。
その女の人を、シンもどっかで見たよなぁと思っていましたら、レイが、アークエンジェルに乗っていたお姉さんだと教えてくれました。
まあ、それは別の話。
「アスランさーーーん！」
ぴすぴすと鼻を鳴らしながら、びょん、とご主人様に飛びついたシンは、久しぶりの大好きな匂いを、くんくんと一生懸命かぎました。
そうして、鼻先にキスしてくれた唇を、ぺろぺろと一生懸命舐めました。
あんまりスキスキ大好きをするのは、シンの流儀に反するのですけれど、今はそれどころではありません。
体が勝手に動くのです。
「小僧・・・本当に反省したのか・・・・？」
隣で、旦那様が腕を組んでため息をついています。
でも、そんなのシンは関係ありません。
「お前・・・またちょっと大きくなったか？」
「わん！」
ご主人様の言う通り、シンはまた少し大きくなりました。
立派な秋田犬になれる日も近いのです。
・・・・いえ、豆柴なんですけど。
「ああそうだ、お前の『あすランさん』な」
ご主人様はそう言うと、シンを抱っこしたまま仕事部屋へ入っていきます。
シンのご主人様は、前はシンたちの隊長でしたが、今は小さいロボットなんかを作っています。
MSを操縦させたら、シンや隊長より上手なのですけれど、旦那様いわく「こいつをそんなものに乗せるから、フラフラ出て行って帰ってこなくなるんだ！！」ということで、今はお家でお仕事です。
シンも、旦那様の意見に賛成です。
前もご主人様が脱走した時は、それはそれは大変だったのです。
ご主人様は、机の上のシートをばっさりと取ると、その下から、シンのあすランさんを引っ張り出しました。
旦那様から、預かっていてくれたみたいです。
ボロボロだった足が、きちんと治っていました。
器用なご主人様のことですから、きっと治してくれたのでしょう。
「ありがとうございますっ！」
シンは、ご主人様の腕の中で、ぎゅうっとあすランさんを抱っこしました。
前よりちょっと重いのです。
でも、丁度、気持ちのいい重さです。
「サンタさんみたいに上手じゃないんだが、一応、足は治しておいたよ」
さっすがご主人様です。
「また壊すと可哀相だからな、ブーツはMSの装甲と同じ素材を使ったから、もう壊れないぞ
確かに、ブーツが固くなっています。試しに揺すってみると、あすランさんのブーツの先が丁度机に当たって、かたん、かたんと、軽やかな音がしました。これをおんぶして歩いたら、きっと楽しいことでしょう。
「ちゃんとVPS装甲なんだ。初めはTP装甲にしようと思ったんだが、バッテリーが思ったよりも効率良く出来たから。でも、あんまり衝撃を与えると電力を食うし、充電はうちでしかできないから、仕事中はあんまり引きずって歩くんじゃないぞ
「わんｖ」
すっごいです。これでもう、中身がはみ出すことはありません。
ご主人様も、もうあすランさんをあんまり持ち歩かない約束をシンと出来たので、得意げに旦那様を見上げました。
ところが、です。
「・・・だから軍事機密をオモチャに使うなと、何度言えばわかるんだ貴様は！」
今度は、ご主人様が怒られてしまいました。
「VPS装甲は、もう民間にも流れてる技術だから軍事機密じゃないぞ」
ご主人様も言い返しますが、しかし所詮ご主人様です。
「ならその妙なバッテリーはどうした」
旦那様にそう突っ込まれると、何でもないことのように、ぽろっと言いました。
「ああ、前に乗ってたセイバーのバッテリーが、上手くすれば凄く小型化できるんじゃないかと思っていたんだ。ずっと研究していたんだが、やっと・・・・」
「立派な軍事機密だろうがぁ！！」
がっき、と、旦那様はご主人様の首根っこを捕まえました。
これでは、シンが怒られている時と変わりません。
「貴様には、体に言って聞かせてやらんとわからんらしいな」
「い・・・や、イザーク、ちょっと待て」
「待たん！」
ずるずると引きずられていくご主人様と、引きずっていく旦那様を見上げて、シンは目を白黒させました。
「いや、ああだから、シンたちも久しぶりに帰ってきたんだし、そうだレイ！レイのベッドを買ったんだ」
「シン、ピザでも取っておけ。レイ、ベッドの準備は自分でできるな？」
ひょい、と、ご主人様の腕から、シンとあすランさんをつまみ出し、レイに放り投げて、旦那様は言います。
「キャン！」
「・・・はい」
ちょっと呆然としてしまったレイは、シンを受け止め損ねてしまい、あすランさんを庇って床に落っこちたシンは、情けない悲鳴を上げました。
「・・・お前も大変だな」
ころんと転がったシンを起こしてやりながら、レイはしみじみとそう言います。
「アスランさーーーん！」
シンは、天高く吠えました。
でも。
でもね。
ジュール家のわんこたちは知っています。
旦那様がどんなに怒っている時も、ご主人様の前では、ダークフォースは出て来ないのです。
代わりに、なんかちょっとピンクっぽいオーラが出てる気はするのですが。
その夜、雄犬の耳にはちょっと痛いご主人様の声が、ずうっと寝室から聞こえていましたとさ。
そうしてその数日後。
「これでどうだ、シン。今度はネオキチンという素材でブーツを作ってみたんだ。これならバッテリーが要らないからイザークも怒らないし、少しの傷なら自己修復するんだぞ」
「わんｖｖ」
「貴様、それをどこから持ってきたぁ！！」
・・・天国のギル。地球のご主人様、奥様。
生きるって、やっぱりちょっと大変です。
二人と一匹の嵐を避けながら、レイはそう思って、ちいさくため息をつきました。