子わんこシン 温泉旅行 ２
シンは、子わんこです。
旦那様のお仕事にくっついてオーブに来て、そのまんま、お休みもらって温泉に来た、子わんこです。
『温泉』は、おっきいお風呂です。シンは、お風呂で泳ぐの大好きです。
泳いで、ちょっと、のぼせちゃったりもします。
レイも、子わんこです。シンよりちょっとお兄さんで、ちょっと・・・うんと、おっきい子わんこです。
レイは、シンや旦那様とは別の『受け湯』っていうお風呂に、シンのご主人様と入ります。
泳がないで、ゆっくり、入ります。
さて、温泉にお泊りしたその翌日も、旦那様やシンたちはお休みです。
お風呂で浴衣でゆっくり、なのです。
「・・・うーん、なんでダメなんだろうな」
「無理に決まってるだろうが」
でも、シンは浴衣が上手く着られません。
「形状が明らかに違うだろうが！」
「でもなぁ。シンだけ洋服なのも、嫌だよな？」
「アスランさんとおんなじがいいー！」
あったりまえです。ご主人様とおんなじがいいのです。
「着られそうなのがないか、宿の人に聞いてくる」
「あるわけなかろうが！」
でも、ご主人様は、宿の人から四角い前掛けを借りて来てくれました。
赤くって、真ん中におっきく、「金」って書いてあります。
これなら、シンだって着られますｖ
「・・・似合いだな」
「ああ、本当だ。少し形が違うが、浴衣と同じだぞ、シン」
「ほんとー？」
シンも、大喜びです。
ご主人様と一緒がいいのはもちろんですが、実は、浴衣でもみくちゃにされるのに、ちょっと飽きていたのです。
「じゃ、お風呂行こー！」
シンは、今日も泳ぐ気満々でしたが、ご主人様が、止めました。
「なんで？」
「えーと」
ご主人様、困り顔。
「レイの飼い主が来るんだ。せっかくオーブに来たんだからな」
でも、旦那様がきっぱりと言いました。
レイのご主人様は、シンのお友達、ステニャのご主人様だった人。
シンとした約束を破って、ステニャを死なせちゃった人。
シンの喉は、勝手にうーっとうなりました。
前に会ったとき、シンはその人に噛み付いちゃったのです。
でもでも、その人は、シンをあったかい手で撫でてくれたのです。
そして何より、レイのご主人様なのです。
でもでもでも、ステニャは・・・
「うーー」
シン、アタマぐるぐる。
喉が勝手にうーうーいってしまいます。
でも、ご主人様は怒んないで、シンを抱っこしてくれました。
それから、耳の後ろに、チュウしてくれました。
「シン」
それから、ふかふかの耳に、そっと。
「俺も、大切な仲間を、殺されたことがあるんだ」
シンは、びっくりしてご主人様の顔を見上げました。
キレイな緑の目が、やさしく、シンを見下ろしていました。
「でも、その仲間を殺したのは、俺の友達で。今も、もちろん友達だよ」
「なんでぇ・・・」
シンは、ぐるぐるーのぐるぐるで、ちょっとべそべそです。
「なんでだろうな。でも、今でも俺はキラのことが大好きだよ」
言って。
ご主人様は、また、シンにキスをしてくれました。
「来たぞ」
旦那様が、何故だか凄く不機嫌そうに言って。
ご主人様は、そっと、シンを下ろしてくれました。
下ろしたら、俺、また噛み付いちゃうかもしれないのに。
レイのご主人様は、ムウさんといいます。
オーブで、軍人さんをしています。
でも今日は、旦那様や、シンやレイとおんなじで、軍人さんはお休みなのです。
「よう」
ムウさんは、大きくてあったかい手で、レイを抱っこしました。
「あの・・・」
レイは、あんまり抱っこされたことがありません。
今のご主人様は抱っこが好きですが、レイはいまだにちょっと、どきどきしてしまいます。
大きな手にぐりぐりされると、なんだかすごく、ふわふわしてしまいます。
「ずるいわ、ムウ。・・・レイ、こっちいらっしゃい」
レイのご主人様の奥様・・・マリューさんが、ムウさんからレイを奪い取りました。
マリューさんに抱っこされると、レイはちょっと赤くなってしまいます。
だって、どーしても、前足が胸の上に・・・
「あの、下ろしてくださいませんか？」
どっちにしても、レイは、どうしていいかわかんなくなってしまうのです。
「んー、もうちょっとだけ、駄目？レイは大きくなるから、今のうちにたくさん抱っこしたいのよ」
レイがムウさんを振り返ると、にこにこ笑ってそうだそうだと言っています。
ムウさんの、あったかい手。
マリューさんの、やわらかい手。
レイは、大切で、悲しい場面を思い出してしまいました。
でも、今、それを思い出してしまうことは、とてもとても悪いことのような気がして。
ギルを、裏切ってしまったような、気がして。
レイは、ちょっとうつむきました。
そうしたら、うっかりマリューさんの胸に顔が埋まってしまって、慌てて顔を上げました。
「取られたな」
「まったくだ。・・・じゃあ、俺はコイツを借りようかな」
ムウさんはそう言うと、ご主人様の足元で、どうしていいかわかんなくって、ガッチガチに固まっていたシンを、ひょい、と抱き上げてしまいました。
シンはびっくりして、ムウさんの水色の目を見つめました。
その目は、レイの目と、おんなじ色でした。
それから、その目がにこりと笑って、くるんとシンをひっくり返して、ご主人様の方へ向けました。
そしたらご主人様の目が、シンより下にありました。いつものご主人様の抱っこより、時々の旦那様の抱っこより、ずっとずーっと、高いのです。
「わぁ、高い」
シンは、思わず声が出てしまいました。
そしたら、「そうか？」と、後ろで声がして。
それかた、ぐーん！と、もっと高くなりました。
「わぁーーーっ！」
ムウさんが、シンの両脇を掴んで、高い高いをしてくれたのです。
「高いたかいーーー！！」
シンは、もう大喜びです。
「レイもしてもらう？」
「いえ、私は。前よりも重くなりましたし」
「遠慮するなよ。・・・ああ、マリューの胸の方がいいか？」
「・・・違います」
マリューさんとムウさんに聞かれたレイが、首を振るのが、すっごく下に見えます。
すごいすごいーー！
ご主人様がにこにことシンを見上げているのも、やっぱりすっごく下に見えます。
「アスランさーん！」
ぱたぱたと前足を振ると、ムウさんは、すとんと足元の方までシンを落っことして。
「わーーー！」
地面すれすれでぴたりと止めて、それからまた、ぐいん！と持ち上げて、ご主人様の腕に、シンを渡してくれました。
「すごいーーー！」
ご主人様の抱っこに戻っても、シンの胸は、まだどっきどきです。
だって、すっごく高くって、それで、すとんのぐいーん！で！
「良かったな、シン」
「うんっ！」
元気よく、言っちゃってから。
シンは、急にステニャのことを思い出して、慌ててムウさんのことを見上げました。
きんいろの髪のその人は、にこにこ笑っていました。
太陽みたいだな、と、シンは思いました。
「・・・ねぇ」
シンは、ご主人様の腕の中で、少し伸びをして、聞きました。
「あれ、ステニャにもやってあげたの？」
高い高いの、すとんのぐいーん！
どっきどっきの、あれ、してあげた？
「高い高いはよくしてやったよ。その後のは・・・一回やったら、怖いって泣かれてな」
そっか、あの、すごい高いの、ステニャもやってもらったんだ。
何故だか、ステニャのはしゃいで笑う声が、聞こえたような気がして。
なんとなく。
この人、好きだな、と、シンは思いました。
ご主人様の言ったことが、なんだかちょっと、わかった気がしました。
「あの」
「ふふ、ごめんなさい」
やっと下ろしてもらったレイは、半歩下がって、自分のご主人様と、その奥様を見上げます。
「お久しぶりです」
それから、きちんとご挨拶します。
なんだか今更ですけれど。
だって、礼儀よくしなきゃって、ギルが。
「ああ、元気そうでよかった」
「ほんと、また少し大きくなったわね」
二人は、にこにこと言いました。
「ジュール隊長も、すまないな」
「いや、こいつも会いたかったろうしな」
旦那様は、ぽん、とレイの頭を撫でてくれています。
シンは、ご主人様の抱っこでご満悦です。
「うちの方まで来られたら良かったんだがなぁ」
「昨日の今日で、オーブ軍人の家になぞ行ったら、マスコミうるさくてかなわん」
「大変だな、軍事総監殿」
旦那様とムウさんは、なんだか難しいお話をしています。
でもそっか、前に、お船に乗っけてくれるって、約束したんだっけ。
「お船？」
シンが聞くと、ムウさんは、シンの頭をぐいぐい撫でて言いました。
「ああ。今度来たら乗せてやるよ」
「うん！」
シンは、お友達のレイが大好き。
今は、レイのご主人様も、大好きです。
大好きって、シアワセです。
「せっかく温泉に来たんだ、風呂入ろうぜ」
ムウさんが言いました。
「お風呂！」
シンは大喜びです。
また、お風呂で泳ぐのですーｖ
でも、みんなで行ったお風呂の前で、ふとマリューさんが言いました。
「あら、私一人になっちゃうわね」
それはそうです。
旦那様とムウさんとシンは、『攻め湯』です。
ご主人様とレイは、『受け湯』です。
女の人は、マリューさんだけなので、一人で『女湯』なのです。
でも、マリューさんはにっこりして言いました。
「私も受け湯に入っちゃおうかしら」
ええーーーっ！と、ご主人様とレイ、びっくりです。
「いえ、あの、ラミアス艦長、それはさすがにまずいのでは・・・」
「宿の方に注意されると思うのですが」
そうしたら、ムウさんがニヤリと笑って。
「どうせなら、こっち入らないか？」
「お、こ、と、わ、り」
マリューさん、笑顔が怖いです。
「家族風呂でも使うか？狭いとは思うが」
旦那様が提案しますが、
「狭くっちゃ堪能できないわねぇ」
マリューさんはそう言うと、まだ足元にいたレイを、また、抱っこしました。
「アスラン君、あなたが一人になっちゃうけど、レイを借りていいかしら。・・・レイ、一緒に入りましょう？」
レイはびっくりして、お目々がまん丸です。
「いえ、俺は・・・」
「かまいませんよ。良かったな、レイ」
何が良いんですか。と、レイは思いましたが、ニブニブなシンのご主人様には、まったく通じません。
助けを求めて、自分のご主人様と隊長を見上げましたが、ご主人様は、
「役得だな」
と見当違いなことを言って、隊長は、水色の目で、同情するようにレイを見下ろすばかりでした。
「お、金太郎か。格好いいな」
脱衣場で、旦那様に前掛けを取ってもらっていると、ムウさんが言いました。
「きんたろーって、なに？」
聞くと、ご主人様が結んだ固結びを、ぎゅうぎゅうと解きながら、旦那様が言いました。
「東アジア共和国東部の伝承だな。オーブはその辺の移民が多いと聞くが。・・・確か、熊を素手で倒す英雄だったか？」
「くま？」
シンの耳と尻尾が、ぴん！としました。
「さすがに詳しいんだな。俺も詳しくは知らないが・・・こんな人形、５月頃良く見るぞ」
「ああ、オーブはあの辺の移民が多いからな。男子の成長を祝うものらしい。古式の鎧兜などが多いらしいが、伝説や歴史上の英雄をかたどった人形というものもあるらしいな」
旦那様は、こういうお話が大好きです。
もうすぐ来る『たんごのせっく』には、本物の鎧兜を見せてもらうのです。
でも、シンはそれどころではありません。
「きんたろーって、熊をやっつけるの？」
「ああ。そうだ」
旦那様が浴衣をばっさり脱ぐと、足元にいたシンは、一回埋まってしまいました。
そこで、もぞもぞしていると、旦那様が、浴衣の中から出してくれました。
「俺の知っている話だと、たしか、熊と相撲をとるんだろう？」
「子供向けの民話だがな。確か、実在の武将がモデルのはずだ」
「へぇ」
旦那様とムウさんは、籠に脱いだものを入れながら、どうでもいいようにお話です。
でも、シンはそれどころではありません。
シンは、秋田犬になるのが夢なのです。
シンは、たくさん勉強したから知っています。シンの憧れの秋田犬は、熊をやっつける犬なのです。
だから、ご主人様はシンに、あれを着せてくれたんだ！
シン、大ハシャギ！
「わーい！きんたろーー！」
「ああこら走るな！その人形は置いて行け！シャンプーハットはどこへやった！」
「元気だなぁ」
「ちゃんと洗えよ！イザーク！！」
隣のお風呂から、ご主人様の声が聞こえます。
「わかっている！」
旦那様は怒鳴り返し、シンを摘んで、わしゃわしゃと洗ってくれました。
それからシンは、お風呂でムウさんに遊んでもらいました。
お風呂に潜って、いないいない、ばぁをするのです。
シンは潜水をして、あっちでばぁ！こっちでばぁ！ってします。
でもムゥさんは、こっちで、ばぁ！してるのに、あっちで足が一緒に、ばぁ！ってしてるのです。
スゴイです！
「可愛いな、コイツ」
「レイよりもか？」
「もちろん、うちのが一番だ」
当たり前です。
「おい、それ以上潜らせると、のぼせるぞ」
「そうだな。おい、坊主、上がるぞ」
ムウさんにぶら下げられて、ごしごしと毛皮を拭いてもらったシンは、旦那様にまた、「きんたろー」にしてもらいました。
なんだか、強くなった気がします。
秋田犬に一歩近づいたのですｖ
「あら、丁度良かったわ」
レイとマリューさんも、一緒に出てきました。
レイは、顔がまっかっかです。
きっと、昨日のシンみたいに、のぼせてしまったのでしょう。
「大丈夫？」って顔を覗き込むと、レイはぷいっとそっぽを向いてしまいました。
まだ出てこないご主人様を待って、シンは、マリューさんに買ってもらったジュースをレイと半分こしています。
「もうひとつ買ってあげましょうか？」
マリューさんが笑ってくれましたが、旦那様は怖い声で言いました。
「甘やかさないで頂きたい」
えー、もいっこ飲みたい。
シンが思った時でした。
「あんたの奥さんは長湯なのかい？」
ムウさんの声に、旦那様はぴくりと顔を上げて、時計を見ました。
確かに、長湯です。
旦那様は知っています。
旦那様の『奥さん』は、カラスの行水なのです。
お風呂なんか、キレイになればいいと思っているのです。
これは・・・
旦那様は、いきなりばたーん！と受け湯の戸を開けると、大声で叫びました。
「アスラン！貴様、寝てるだろう！」
しーん
お答えは返って来ません。
「あいつ・・・」
そこに踏み込もうとする旦那様を、まだちょっとほっぺの赤い、レイが止めました。
だってここ、受け湯なんだもの。
「俺が見てきます」
そうして行って、戻ってきて。
「とりあえず湯船からは出しましたが。宿の方を呼んで頂けませんか？」
そう言って、シンの手から、結局買ってもらったジュースを取ると、また、とことこと戻って行きました。
「アスラン！」
「いや、宿の人呼んで来いって」
「私が呼んで来るわ」
「アスランさーーん！」
シンはレイを追っかけて、受け湯に入って行きました。
そうして、湯船で寝こけて、のぼせて伸びちゃったご主人様の前で、わんわん泣いてしまったのでした。
「貴様ら、犬と飼い主とで似過ぎだ！」
「・・・・・」
部屋で、頭に濡れタオルを乗っけてもらい、旦那様とレイの飼い主たちに見下ろされて。
ご主人様は、一言もなかったと言うことです。