効能
柊が、忍人をそこへ誘ったのは、当然のごとく、下心あってのことだった。
傷や火傷によく効く温泉がある、と。
当然断ってくるだろう忍人を、どう言いくるめてやろうかと楽しく考えていたというのに、しかし彼は顎に手を当てて暫し思案し、「かまわない」と、至極あっさりと頷いたのだった。
「どうしたんだ柊、入らないのか」
岩陰に溜まった茶色く濁った湯の中に、忍人は無造作に服を脱ぎ捨ててざぶざぶと入っていった。
それでも、破魂刀はすぐ手の届く場所に置いているのは、さすがというか、なんというか。
さすがに最近は本気で切りつけてくることはないとはいえ、あれをかわすのが大変で、と、声に出さずに呟きながら、柊も、衣を解いて、するりと湯の中へと身を沈める。
濁った湯は良い。
忍人の美しい肢体を見ることは叶わないが、柊の、醜く焼け爛れた肌も隠してくれる。
「それに、見えない方がそそるんですよねぇ」
「何の話だ」
ぎっと睨まれて、曖昧に笑い。
柊は、揺らめく湯面越しにうっすらと浮かぶ、忍人の体の線をそっと目で愛撫した。
また、少し痩せた、と、思う。
激化した戦いに、忍人は破魂刀を使うことを躊躇わない。
削られ続ける魂に、しかし、このまま伝承をたどるなら、彼は生き延びることができるはずなのだと、星の一族の男は自分に言い聞かせた。
消すことのできない業に、決して他人より長い一生とはいえないだろうが、それでも、この戦いを生き延びることができる、と。
「・・・おい、柊」
物思いに耽っていた柊は、忍人の動きに反応が遅れた。
もとより、身体能力で彼に敵うわけもない。
気がつけば、先ほどよりも近づいていた痩身から、伸びてきた腕に眼帯を奪われて。
右の目の、醜い火傷跡を曝していた。
「・・・忍人」
咎めるように彼を見れば、忍人は表情ひとつ動かさず、奪い取った眼帯を破魂刀の側に放り捨てた。
そうして、剣だこの目立つ手のひらに湯をすくうと、柊の顔にばしゃり、とかけた。
予想のつかなかった行動に、これも避け損なった。
左目に入って、痛い。
「まるで、幼子のような真似をしますね・・・・」
一つ残った目をこすり、柊はことさらあきれた声を出す。
子供扱いは、忍人のもっとも嫌うところだ。
怒りだすことは目に見えていた。
「なら、自分でやれ！」
案の定、忍人は怒気をはらんだ声を上げたが、しかし言っている意味が分からない。
「君から身を寄せてくれることは嬉しいのですが。・・・どういう心境の変化ですか？忍人」
混ぜっ返すように問いかければ、また、湯をすくいかけていた手が止まる。
「ここに誘ったのは貴様だろう」
「ええ。おかげで、素肌の君に、こんなにも寄り添って頂けるなどという行幸を・・・」
ばしゃり。
今度はちゃんと目をつぶった。
しかし、叩きつけられた湯は先ほどよりもずっと強く。
「頭ごと突っ込んで欲しいなら、そうしてやる」
そう言いながら、ざっと柊の顔、左半分から湯を払い。
そうして、濡れた長い髪をかきあげて、右目のあった場所に残る、火傷の跡を、たどる指。
剣を使い続け、固くなった指先で。
それでも気遣わしげに。そっと。
まるで、愛撫するかのように。
柊は、忍人の行動の意味を、悟った。
思わず浮かんだ微笑を、どういう意味にとったのか。
また、乱暴に湯をかけられる。
「・・・・左目に入ると、こちらにも不具合が出そうなのですが」
「ちゃんとつぶっていろ！」
言葉も酷く荒かったが、失ってしまった右目の跡、神に焼かれたその皮膚に降りかかった湯は、ひどくやさしく感じられた。
柊が、忍人に語ったこの湯の効能は、傷と、火傷。
薄く開けた左目に映った忍人の腕には、随分と古そうな刀傷。そのすぐ側には、新しく見える、矢傷。
湯がかかる。
目を閉じる。
柊は、忍人の体に刻まれた、様々な傷の悉くを知っている。
それこそ、目を閉じてもわかるほどに。
いつまでも痛む古い傷。
体力が落ちているせいで、なかなか治らない新しい傷。
それを少しでも癒してやりたくて、ここに来ることを思いついたのだが・・・
「なんだか、ここで悪さをする気が失せてしまいましたね」
「そんな真似をしてみろ。ここに沈めて一人で帰るぞ」
右目を頬を、湯が滑る。
左の目を閉じたまま、それを感じていた柊は、ゆるりと口元を持ち上げて、そこに入りかけていた湯を拭った。
「怖いですねぇ・・・」
その代わり、帰ったら、十二分に可愛がってあげますよ、と。
囁くと、今度こそ、首根っこを掴まれて、顔ごとそこに突っ込まれた。
それでも許されて顔を上げると、忍人が珍しく笑っていたので。
それでいい、と、柊は思った。
君が生きて、笑ってるのなら。
それで、いいのだ。