零れぬ涙
酷い顔色だな、と、思った。
当たり前だ。
彼の仕える皇女が、あんなことになったのだから。
「上がれよ、スザク」
「・・・ごめん、ルルーシュ。やっぱり」
「上がれ」
きつい声音に、スザクは泣きそうな顔を上げた。
ああ、そんな顔をするなよ。
泣きたいのは俺の方だというのに。
クラブハウスの玄関まで来ながら、今更帰るなどと言う幼馴染に、ルルーシュは、声と視線を落としてみせた。
「ナナリーが・・・。もう、泣いてはいないんだけど。俺だけじゃ、慰められない。頼むから」
ここで、妹すら利用する自分に腹が立つ。
しかし、今は仕方がない。
・・・・何が仕方がないのかすら、もう、よくはわからないのだけれど。
「ナナリーが？」
不思議そうなスザクの声。ああ、そういえば、こいつには言っていなかったな。
そう、誰にも。こんなことは、言ったことがなかった。
「子供のころは、結構、仲が良かったんだ。その、ユフィ・・・・ユーフェミアとは」
「あ・・・・」
スザクの大きな瞳が、いっそう大きくなって。
それから、幾度か瞬いた。
「・・・・・うん。わかった」
「すまない」
「ううん。ごめん。謝るのは僕の方だ」
何かを堪えるような、苦い笑い。
子供の頃のこいつなら、絶対にしなかった表情。
再会してから、何度も見た。
大人の、スザクの、笑いかた。
「そうか・・・。ユフィは、ルルーシュたちのきょうだいだったんだよね・・・・・」
ナナリーは、スザクの前で、また、泣いた。
泣いてから、礼を言って、逆にスザクを労わってくれた。
すっかり大きくなったスザクが、背中を丸めて車椅子の前に跪いているせいで、それは子供の頃と同じ光景に見えた。
ルルーシュが、守らなければと思った光景に、似ていた。
「・・・ありがとう、お前も辛いところなのにな」
「ううん。役に立てて良かった」
今日は泊まって行けと言えば、意外にも、スザクは大人しく頷いた。
彼が泊まる、ということは、つまりはそういうことだ。
だからルルーシュは遠慮なく、彼にもたれかかり、その体温を感じることができる。
「・・・・君も、酷い顔色だよ。大丈夫？」
覗き込む、大きな瞳。
これだけ見ていれば、子供のころと変わらない。
やさしい中に、どこか必死な力の覗く瞳。
これだけを、見ていられたらなら。
きっと、幸せなのだろうなと思う。
「それに、その目・・・・どうしたの？」
ギアスが発動したままの左目は、眼帯をつけることでとりあえずは凌いでいる。
スザクにはもう効かないから外したが、それでも紅い瞳は異常に見えるのだろう。
「ちょっとゴミが入ったんだ。たいしたことない」
そうしてルルーシュは、ぺたりとスザクの頬に触れ、声を、低く抑えて。
「それより、酷い顔色はお前だろ。眠れているのか？」
「ちゃんと寝てるよ。仕事のうちだからね」
眠るたびに見る夢のことには触れず、スザクはルルーシュの手を取って、冷えた指先に口付けた。
「ルルーシュこそ・・・・食事、ちゃんと取ってる？」
また、細くなった指。
それを軽く食まれて、背筋が震えた。
「食事はナナリーと一緒なんだぞ。ちゃんと食べてる」
食べた後どうしているかは、また、別の話だ。
「そう」
頷いたスザクは、ルルーシュの指を一本一本口に含んで舌先で触れてから、やっとそこから唇を離した。
「ルルーシュも、ユフィと、仲、良かった？」
「わりと、な」
「そう・・・だったんだ」
ルルーシュが、取られていない方の腕を伸ばして、スザクの軍服のネクタイを緩めはじめた。
「スザク」
「うん？」
「その話は止せ、頼むから」
「・・・・うん」
ネクタイを外し、上着のベルトに手をかけたところで抱き寄せられ、自分で脱がせることを諦めて。
ルルーシュは、目を閉じて、彼の体温を味わう。
彼の体を、味わう。
「スザク」
「うん」
「泣かないんだな」
「うん」
ルルーシュの腕を掴み締めた指は、震えているのに。
緩く抱き返した背中は、震えているのに。
「泣き虫のくせに」
「いつの話？、それ」
「昔も、今もだ」
泣き虫のスザク。
ルルーシュの、大好きなスザク。
癖の強い髪を撫でると、子供のように、ぐいぐいとその頭をルルーシュの胸に押し付けて。
「・・・・・僕には、泣く資格なんかないんだ」
彼の抱きしめる力は、既に、ルルーシュの細い背骨をきしませるほどのものだった。
しかしルルーシュは、その痛みを、歯を食いしばって、耐えた。
「君の、妹を。守れなくて、ごめん」
ぎり、と。
食いしばって、耐えた。
何故、お前が謝るんだ。
あの事態を引き起こしたのは、ルルーシュだというのに。
ルルーシュの軽率な行動が。
あの惨事を引き起こし。
そうして。
恐らく、兄弟で唯一。
ナナリーを案じて、行動を起こしてくれたユーフェミアを・・・・
スザクの腕が、ふ、と、緩み。
そうして唇に、あたたかなものが触れた。
その温度が、もっと欲しくて。
ルルーシュは自ら彼に貪りつき、侵入って来た熱い舌を食んで、その先をねだった。
お前が俺に謝るなら。
俺は、誰に謝ればいいんだろう。
制服の詰襟を外したスザクの手が、もどかしげにルルーシュの服を乱し。
直に感じる体温に、二人、無理やり没頭した。
『人の体温は涙に効く』と、そう言っていたのは母だった。
なら。
涙を、流すことさえ許されない者は。
一体、何に、救いを求めたらいいんだろう・・・・
体の中いっぱいに、スザクの熱を感じながら。
縋りつく腕いっぱいに、彼の体温を感じながら。
それでも、心の底は凍ったまま。
きっと、二度と溶けることはない。
共に達するその一瞬。
たった一筋、零れた涙。
ただ、快楽の証でしかないそれに。
スザクが、甘く、口付けた。