絆
最近、椎名の様子が少しおかしい。
何がおかしいのか、といえばはっきりとは言えないのだけれど。強いて言えば、じいっと考え込むことが多くなったこと・・・だろうか。
いや、椎名がおかしいのはいつものことだし、てつしとリョーチンがバカな分、いつも３人分考えてくれているのは、わかってはいるのだけれど。
三人悪のリーダーとして、てつしは心配しない訳にはいかないのだ。
「なあ、竜也兄」
だからてつしは、竜也に相談することにした。
夕飯の後、さて、これから徘徊しようか、といった風情の竜也を捕まえて、一緒に夜の街を歩く。
竜也も、椎名とリョーチンのことは、弟同様に思ってくれている。
てつしが、足りない語彙で一生懸命相談すれば、うん、うん、と、真剣に聞いてくれた。
「俺に言わないってことはさ、俺じゃダメだってことなんだ」
俺、バカだからさあ、と、てつしは仕方なさそうに笑った。
自分に解決できることだったら。そうでなくても、聞いてやれることだったら。間違いなく、椎名は自分に言ってくる。
てつしはそう信じて疑っていないし、そうしてそれは、本当のことなのだ。
「だからさ、竜也兄に、聞いてやって欲しいんだよ。竜也兄なら、相談乗れることかも知んないだろ」
そう言った竜也の弟は、相変わらずの男前だった。
自分にできることとできないことを、よぅく知っている男だった。
「俺らじゃダメなんだ。バカだから、椎名が考え込むようなことじゃ、聞いてもわかんないんだろうし」
それでもひどく悔しそうに、そう言ったてつしの小さな頭を、竜也はくしゃくしゃと撫でてやった。
「・・・わかった、聞いてみるよ」
「ありがと！竜也兄！！」
ぱっ！っ笑った弟に、椎名の悩み事が、だいたい見当がついていることを。
竜也は、言わずに黙っていた。
三人悪の一人だけを、さりげなく捕まえるのは、実は結構難しい。
こうしてみると、本当にいつもあの二人はてつしの後をくっついているんだなぁと感心しながら、竜也はもう堂々と、てつしの後に続いて地獄堂を出てきた椎名を呼び止めた。
「椎名、ちょっといいか？」
「・・・？」
小首を傾げた椎名が、ちらりとてつしを見た。
てつしが顎をしゃくるのを見て、「うん」と頷いてついて来る。
「えっ！何！？椎名だけ！？」
二人と同じく、竜也兄の大好きなリョーチンが騒いだけれど、てつしが引きずって帰って行った。
とりあえず近くの児童公園に入り、ベンチに並んで座って、茜色の空を眺める。
三人悪も帰り出す時間だから、公園で遊ぶ子供の数もまばらだった。
「てつしが心配してたぜ。最近、椎名の様子がおかしいって」
単刀直入に聞くと、だいたい察していたらしい椎名は、深々とため息をついた。
「・・・・意外に鋭いんだよな、てっちゃん」
「お前らのリーダーだって自覚があるからだろ」
言うと、椎名は薄く微笑んだ。
どうやら嬉しかったらしい。
「それで、相談が俺のところに来た。自分に言ってくれないんなら、聞いてもしょうがないけど、でも心配だからってな」
「・・・・・」
椎名は、切れ長の瞳で竜也を見上げた。
じいっと見返す漆黒の瞳を、少し怖いと初めて思った。
「言えない」
竜也兄には、もうすっかりお見通しだと。
わかっていて、椎名は言った。
竜也兄ならわかってくれる。
それは甘えだろうかと、頭のどこかで、思った。
「てつしにも、それを言う気は、ないんだな」
「ない」
即答する椎名の眼差しに、迷いはなかった。
だから竜也は、持っていた答えを淀みなく伝えることができた。
「なら、そんな風に悩んでいるさまを表には出すな。少なくとも、てつしに心配をかけるような態度を取るんじゃない」
「・・・・はい」
ああ、やっぱり竜也兄は凄い。
椎名はちょっと、泣きたくなった。
自分の感情を処理しきれなくて、てっちゃんに心配をかけた自分が恥ずかしい。
そんな自分を対等に見て、厳しい助言をくれる竜也兄の存在が、有り難い。
きゅう、と奥歯を噛んで涙を殺し、椎名はいつもの無表情を作った。
甘えちゃダメだと、思った。
しかし。
「それができないんなら、ちゃんと、てつしに言え」
そう言われて、椎名は呆然と瞬いた。
「無表情に見せても、お前を知ってる人間には丸わかりだ」
自分によく似た、竜也の無表情。
それでも椎名には、竜也兄がとても、自分たちのことを心配してくれていることが、よくわかる。
そう。
わかって、しまう。
「わかんねぇのは、てつくらいだ」
それは仕方のないことだと、竜也もわかっている。
それはむしろ有り難いことだと、椎名は思っていた。
しかし。
「言って、すっきりしちまえ。お前も、てつもな」
見上げた竜也の黒い瞳が、やさしく椎名を見下ろしていた。
「でも、竜也兄」
そう言いさして、椎名はそのまま黙り込んだ。
それを言ってしまったら、きっと、自分たちの関係性は変わってしまう。
椎名はそれが怖かった。
俺は、ずっとてっちゃんの後にくっついて行ければ、それでいいのに。
それさえ、できなくなるのが怖かった。
そんな、恐がりな自分が、嫌だった。
それでも竜也は、三人のことをよく知っていた。
外から見ている分、ずっと。
ずっとよく、知っていた。
「お前たち三人悪の絆は、その程度でどうにかなるもんじゃないだろう」
外から見ているしかない竜也だから。
見ていてやることしかできない竜也だから。
だから、言ってやれることがある。
少し泣きそうな切れ長の目で、椎名はじいっと竜也を見上げた。
本当に、そう思う？
たぶん、そう言おうとしたのだろう。
一度、ちいさく口を開いて。
しかし椎名はその口を閉じ、こくり、と言葉なく頷いた。
これで泣かないんだから、男だよなぁと、竜也は思った。
自分の「弟の一人」を、誇らしく思った。
「竜也兄」
椎名は、竜也を見上げて笑った。
いつもの無表情が、嘘のような笑顔だった。
「ありがとう」
三人悪がいる時には、いつも騒がしい地獄堂は、今日はちょっとだけ静かだった。
リョーチンが風邪をひいて寝込んだせいで、見舞いに行ったはいいものの、感染ったらいけないから、と、愛子母ちゃんに追い出されたのだ。
今がチャンスってやつなのかな、と、椎名は世界の銃器辞典を真剣に読んでいるてつしの、好き放題に跳ねた頭を眺めて思った。
「なあ、てっちゃん」
「ん？」
てつしがふぃと顔を上げる。
ずっと見ていたいような、きらきらとした大きな瞳に、一瞬舌が凍った。
言うのが怖い。
でも。
「俺、てっちゃんのことが、好きなんだ」
その言葉に、てつしは即答した。
「おお、俺も椎名のことスキだぜ」
てつしは、殺人鬼事件の時を思い出した。
ホント、椎名が俺らのことスキで良かったぜ。
椎名が味方じゃないなんて、もう怖いなんてもんじゃない。
死神を相手にするより、ゾッとする。
「ありがと」
ほら、これだもんなぁ。
椎名は思わず苦く笑った。
「でも、ちょっと違うんだ」
こう来ることは、わかっていた。
どうやって説明したらいいか。
何回もシミュレートした。
「てっちゃん、『幸福狩り』のこと、覚えてる？」
「ああ！もっかい行きたいよな！妖精の森！あそこのシチューが美味くてさあ！」
思い出したてつしがニッカリと笑う。
おそらく、てつしにとってあの冒険は、「スゴく楽しかったこと」に分類されているのだろう。
「あの時、てっちゃんは『幸福』にどんな夢を見せられた？」
「ああ、美味いもん食う夢だ」
それは、前にも聞いていた。
ジェッダの子供たちと、美味しいものを食べたのだと。
それがすぐに叶ったと、嬉しそうに笑っていたっけ。
笑うどころではなかった椎名でも、ついつられて笑うほど、嬉しそうに。
笑うどころではなかった椎名とは、まるで、正反対に。
そう、と頷いて、椎名は、決定的な言葉を口にした。
「俺はね、てっちゃんが一緒に死んでくれる夢を見たんだ」
それは、思った以上にさらりと、椎名の口から滑り出た。
てつしは、椎名が何を言っているのかわからなかった。
「・・・でも、椎名、『幸福』には捕まらなかったんじゃ・・・・・」
かろうじて、わかったことを言い返し、てつしはそうだと思い当たった。
そうだ。
確かにそう言っていた。
椎名はあのとき、幸福には捕まっていない。夢を見ていない。
だから、てつしとリョーチンを起こすことができたのだ。
捕まっていたら、理屈が合わない。
しかし、椎名は淡々と続けた。
「捕まったよ。夢の中で、てっちゃんと一緒にいてさ、大きなドラゴンが暴れて、俺は致命傷を負ったんだ。そうしたらてっちゃんが、俺を抱き止めてくれて、逃げろって言っても聞かなくってね。一緒に死んでくれるのかって聞いたら、そうだって」
ひと息にされた告白に、てつしの頭はついて行けなかった。
ただ、思ったことは。
俺だったら、そんなことは言わない。
そんなのは、俺じゃ、ない。
「幸せだったよ。とっても、とっても幸せだった」
そう言う椎名は、椎名じゃないみたいだった。
・・・いや、違う。
てつしには、すぐにわかった。
それは、初めて見る椎名の顔だった。
オトナの顔だと、てつしは思った。
てつしは、カンナを思い出した。
ほんのちょっとをキッカケに、急にオトナになったカンナを、思い出した。
「でも、てっちゃんなら一緒に死んでくれるんじゃなくて、一緒に生きるために最後まで諦めないことを、俺は知ってたから。だから、あれが『幸福』の仕業だってわかったんだ。・・・ものすごく腹が立ったよ。『幸福』に、そして、自分自身に」
ああ、だからかと、てつし合点がいった。
だから、椎名はてつしたちを起こすことができたのだ。
「でも、それでわかったんだ。俺にとって、てっちゃんは元々特別だったけど、・・・本当に、ほんとうに特別な、たった一人だって、わかった」
一緒に死んで欲しい、と。
そこに潜む昏い欲望については、椎名はあえて語らなかった。
それは、自分でも消化しきれない感情だったし、それをてつしに説明できるはずもなかったから。
そうしててつしには、やっぱり、椎名の言うことが、本当に半分もわからなかった。
その夢の、一体何が『幸福』なのか。
欠片さえもわからなかった。
でも、この感じには覚えがあった。
なんでそうなっちまうのかわからない。
そう思ったことが、確かにあった。
「わかってるよ」
椎名は、それを見透かしていたようだった。
「そんなに好きになられたら困る、だろ」
ああ、そうか。
小夜子。
てつしは、小夜子のキモチが、全くさっぱりわからなかった。
今も、椎名の言うことが、まったくさっぱり、わからない。
「・・・悪ィ」
「うん」
椎名はただ、こくりと頷いた。
「悪ィな、俺、まだガキで」
「うん」
椎名の、よくできた人形のような無表情。
それでも、その下には、椎名なりのフクザツな感情があることを、てつしはよく知っている。
知っている、けれど。
「そういうの、全然わかんねー・・・」
「うん」
それでも、椎名の黒々とした瞳が、ほんの少しだけ濡れているのがわかった。
それが、自分のせいだということも、わかった。
でも、てつしにはそれをどうすることもできなくて。
椎名にも、それがわかっていることは、わかった。
「だから、てっちゃんが心配してくれて嬉しいけど、どうにかなることじゃないんだよ」
「・・・・・・」
ああ、それなのか。
そこでやっと、てつしは竜也にした相談を思い出した。
ホントにバカだ、俺。
「悪ィ」
「うん」
「・・・・悪ィ」
他に、何も言えないのだろう、そう繰り返すてつしに、椎名は笑った。
「あんま謝んないでよ、てっちゃん。俺はさ」
そこでひとつ、息を吸った。
ああ、俺には、本当にこれだけなんだ。
「てっちゃんの後をくっついて行ければ、それでいいんだよ」
君の背中を追いかける。
必要があれば止めるし、守るし、後押しもする。
それはたぶん、椎名の、たったひとつの存在理由。
「・・・ああ」
てつしは、無い頭を絞って、今、言える言葉を探した。
探して、たったひとつだけ、見つけた。
「ありがとな、椎名」
ああ、ホントだね、竜也兄。
鼻の奥がつんとなって、椎名はぎゅっと奥歯を噛んでそれを堪えた。
『幸福』の、夢を見た時と、似たような気持ちだった。
でも、俺はこの後もずっと、てっちゃんの後をついて行けるし。
てっちゃんも、この後ずっと、俺が後をついて行くことを信じて疑っていない。
俺たちの絆は、これくらいじゃ壊れない。
それが、とても幸福で。
でも少し。
ほんの少し。
椎名は、一瞬だけ、膝の上の本に視線を落とした。
綺麗に並んだ活字の上に、それでも涙は落ちなかった。
それでも少し、少しだけ。
ほんの少しだけ、寂しかった。
「でも、やっぱさすが椎名だよな」
そうして、てつしの声で、顔を上げた。
いつもの無表情になっているだろうか？
「そんなとこで諦めちまうの、俺じゃねえって、わかるんだもんな」
そう言って、ニッカリ笑ったてつしの笑顔。
それに、椎名は目を細めた。
「当たり前だろ」
ああ俺、やっぱりてっちゃんのこと好きだなぁと、思った。
寂しくても、切なくても。
彼の後をついて行けるなら。
それに勝る『幸福』はなないのだと。
そう、思った。