傷
黒々とした瞳に見上げられると、正直、どうしたらいいかわからなくなる。
それでも勇気を出して眼鏡を外せば、長い睫が瞬いて、早瀬はこくりと息を飲んだ。
体を重ねるのは初めてではないが、この人が大人しく（でもないケド）こうして自分に組み敷かれていてくれるのが、不思議で不思議で仕方がない。
「森次さんって、キレイですよね」
思ったままにそう言えば、一度、目を伏せた森次は。
「いいから、さっさとしろ」
そう、情緒のない台詞を、しかしどこか深い声音で言ってくれる。
「・・・はい」
ボタンを外す指が震えるのは、緊張と、それから興奮のせいだ。
早くこの体が欲しいと、体の奥がどくどくうるさい。
ボタンを外しきって、シャツを開く。
あらわれた白い胸。
その真ん中に残る、引きつれた傷跡。
それは、元の肌が白くきれいな分だけ、無惨なさまが際だって見えた。
しかし、それと同時に、肌が白い分だけ、傷が無惨な分だけ、彼の体は艶めいて見えて。
黒いスーツからのぞく肌が、ひどく背徳的なのと同じだ。
アンバランスさに、惹かれる。
でも。
それ以上に、ムカつく。
早瀬は、その傷の上端に口づけた。
そこは森次の性感帯でもある。
ひく、とシーツの上の背中が浮いて、早瀬の髪に、長い指が絡められた。
それに促される以上に、焼けるような苛立ちに追い立てられながら、早瀬はその傷の上に、丁寧に唇を落としていく。
舌を出してそこを舐め、治ることのない傷跡をなぞり、傷のない肌との境目の、角質化した皮膚から、滑らかな肌へと移り変わる質感を感じる。
それを、上から下まで。
丁寧というより、執拗に。
いつも急いている印象の、少年のそのこだわりに、森次はくす、と笑った。
すべてを見透かしたような笑みに、早瀬の苛立ちが臨海点に達した。
「アンタ、これ消さないんですか」
そう。
ファクターであれば、たとえ命に関わる大きな怪我でも、時間さえかければ跡も残らず治ってしまう。
実際、彼と同じ致命傷を負ったはずの早瀬の体はキレイなものだし、それがラインバレルの自己再生能力に付随するものでないことは、ジャックなんたらというあの人間アルマにやられた森次の傷が、もう跡形もないことでわかる。
跡形もなく治せるはずの傷の跡が、１０年以上、残り続けている。
その意味は明白だった。
「ヴァーダントに言うんだな」
しかし森次はあっさりとそう言って、さらりと早瀬の髪を撫でた。
催促するより、ただ、感触を楽しむような動き。
めったに見られない、眼鏡越しでない黒瞳が、艶を含んでゆっくりと瞬き、その濡れた質感を増していた。
「俺が言って聞くワケないでしょーが」
アンタならともかく、と、ひどくむくれた様子に、森次は笑みを深くした。
「気になるのか？」
「っ、なりますよ、そりゃ・・・・」
その笑みの艶やかさに息を飲みながら、早瀬は確信犯でつり上げられた薄い唇から一生懸命目を反らした。
この人は、自分がどうすれば早瀬がどんな反応をするかを知り尽くしている。
ささやかな抵抗を示してみたつもりなのだが、それは森次の目を楽しませただけだった。
自分に欲情しつつ、独占欲と自尊心の間で揺れる少年は、見ていて飽きず、そうして楽しい。
「このくらいのマーキングは許してやらんと、コックピットから出さないくらいこのとはされそうだからな」
さらりさらりと早瀬の髪を撫でる。
指先に感じる高い体温と、汗の湿った感触が心地いい。
胸の上にぺたりと置かれた手のひらが、感じる場所をさやかに刺激したままなのが気持ちいい。
反らしていた視線を戻し、ぎろりと睨んでくる、熱のこもった瞳に、心浮き立つようで。
「本気でイヤだったら、コックピットぶっ壊してでも出るだろアンタ」
そう、正解を言い当てる聡明さを持つくせに。
むくれた様子を隠さない幼さが、いとおしい。
いとおしい、正義の、味方。
森次の体に傷を作ったのは、ヴァーダント。
その傷を、消すつもりは毛頭ない。
森次の、心に傷を作ったのは桐山英治。
その傷もまた、消えることはないだろう。
しかし、早瀬は森次を傷つけない。
一生懸命な手のひらも、虚勢混じりの物言いも。
熱のこもった眼差しも、拙くもまっすぐな愛情も。
時々起こる、些細な行き違いや諍いさえ。
ただ、ひたすらに気持ちがいい。
傷を残さない繋がりが、こんなにも心地よいものだったことを、もう、ずっと忘れていた。
くつくつと笑った森次は、さらり、さらりと早瀬の頭を撫でながら、呆れたような声音で言った。
「そうそうマキナを壊したら、技術部のスタッフに迷惑がかかるだろう」
自己再生能力の高い機体を持つせいで、自機の破損に無頓着な早瀬は。
機体をぶっ壊すことを前提として戦っているとしか思えない上司を、一瞬キョトリと見返して。
「・・・そうじゃないだろ！」
そうがなった早瀬を頭を引き寄せて、背中を丸めた少し無理な姿勢で、かぷりとひとつ、キスをする。
「〜〜〜〜〜！」
そうして無理矢理黙らせたところで、声音をわざと、低くして。
「さっさとしろと、言わなかったか？」
そう、耳元でささやいた。
顔を真っ赤にした少年は、なんだかもう必死な様子で、がばりと年上の恋人に覆い被さった。
首筋に、胸の先に。
負った傷とは関係なく、感じる場所に、次々と唇を落とされて。
同時に、腰のあたりを撫で回されて、かちゃりとベルトを外された。
彼の動きを助けてやりながら、今日は随分楽しめそうだと。
森次は、またひとつ、笑った。