君と一緒に死ぬ未来
さらさらと、髪を撫でられる。
抱かれた後の気だるい体を、こうしててつしに抱きしめられて。
いつもよりも、少し熱いてつしの指で梳かれるのが、椎名はとても、好きだった。
この腕に抱きしめられて。
そうして、死ぬ夢を見た。
それは恐らく、誰よりも大切な、唯一の人の腕の中で死にたいということ。
幸福の中で終わりたいという、ごくごくありふれた、人並みの欲求。
ごくごく、人並みに歪んだ、欲。
てつしの指が、ふいと止まる。
そうして抱きしめる力が強くなれば、あの時のことが、否応なく思い出される。
違うのは、今まで触れていた髪に、唇が降りてくること。
止まっていた指が耳朶に触れ、可愛がるようにくすぐってくること。
こういう関係になることに、躊躇いがなかった訳じゃない。
てつしにはきっと、もっと、可愛い女の子が似合うだろう。
それでも、押し切ってくれたのはてつしだった。
目の前にぶら下げられた幸せに、椎名は結局、抗えなかった。
てつしの胸に、額を押しつける。
とく、とく、とく、と、まだ少し早い、鼓動が聞こえる。
てつしの、生きている音。
椎名が、生きていると、感じられる、音。
「何だ、甘えてんのか？」
珍しいな、と、付け加えられて、椎名はほんの少し、声に笑いを滲ませる。
「うん、たまにはね」
「たまにじゃなくて、もっと甘えろ」
そう言われて、耳朶に触れていた手のひらで、ぐいと、胸に頭を押しつけられる。
椎名の吐息に、湿った何かが混じった。
てつしは、少し、切なくなった。
椎名が、てつしに甘えるのを、随分我慢していることを。
てつしも、なんとなくはわかっていた。
なんで我慢しているのか、てつしにはよくわからない。
聞いても、答えは返ってこない。
椎名の頭の中は、てつしの１００倍くらいいろんなことが巡っていて、てつしには、それを全部理解することができない。
それが少し、悔しくて、かなしい。
だから、てつしは椎名が甘えてくれると嬉しい。
誰だって、好きな奴には甘えて欲しいって思うだろ？
「好きなだけ甘えさせてやるぜ」
そう囁く男らしい声。
抱きしめてくる、力強い腕。
この腕に抱きしめられて。
そうして、死ぬ夢を見た。
二人で、一緒に終わろうとする、夢を見た。
泣けてくるほど幸せだった。
それは。
てつしに、一緒に死んで欲しいというのは。
それは恐らく、てつしに、何よりも椎名を選んで欲しいということだ。
他の何を諦めても。てつしの本質を歪めてでも、椎名を選んで欲しいということ。
てつしを、永遠に独り占めしてしまいたいと、いうこと。
それはやはり、人並みに歪んだ欲求なのだろうか。
それとも。
もっと、もっと許され難い、欲望なのだろうか。
今、こんなにも幸せなのに。
思い出せば、それだけで鼻の奥がつんとする。
あの時の【幸福】を思うだけで、泣きたくなる自分は。
やはり、てつしの側にいてはいけないのだろうか。
椎名は、震える喉を無理矢理締めて、いつも通りの声を出した。
「てっちゃんに好きなだけ甘えたら、際限がなくなる」
それは、本当に本心だった。
それでも。
そう言えば、てつしが本当の意味もわからずに喜ぶと、わかっての言葉だった。
「こっえぇなぁ」
案の定、てつしは嬉しそうにそう言った。
自分で言っておいて、椎名は罪悪感で死にたくなった。
うん、俺は怖いんだよ、てっちゃん。
いつか、本当にしてしまいそうで、怖いんだ。
あの夢と同じにはならないだろう。
てつしは決して諦めない。
べつに、諦めてくれなくても構わない。
方法なら、いくらでも、ある。
てつしの指が、椎名の頬をそっと滑った。
次に唇が触れて、顎を取られて。
されるがままに顔を上げると、ツリ目気味の瞳がにっと笑って、やさしいキスが降りてきた。
「愛してんぜ、椎名」
そう言えば、椎名が泣きそうなくらい喜ぶことを、てつしは良く知っていた。
椎名が考えていることを、全部理解してやることはできなくても。
それでも、椎名を幸せにしてやることは、できる。
幾度も唇を触れ合わせて、幾度も愛を囁かれて。
椎名は泣きたいほどに、幸せだった。
この幸福を、永遠に自分のものにしてしまう方法を、椎名は知ってしまっている。
手を伸ばせば、届くところに【幸福】が、ある。
だから椎名は我慢する。
いつか、現実にしてしまわないように。
いつか。
君と一緒に、死ぬ未来を。