君の傷、俺のキス １
降りてきのは、赤い機体。
差し伸べられた、機械の手。
ルナに引きずられるようにして、その上に乗って。
開いたコックピット。差し伸べられた手。
腕を、掴まれる。その手のひらの強さ。
ヘルメット越しに見えた翠。
見慣れていたはずの、苦しげな笑顔。
それでも、彼が生きているという実感は、不思議と、なかった。
「シン！こっち手伝いなさいよ」
「だって俺、包帯巻くの苦手・・・」
「つべこべ言わない！」
収容されたエターナルは、そのまま救助活動に入ったらしく、赤い機体のあの人は、ふたりを置いてまた出て行ってしまった。
そりゃあないよと思ったけれど、周りはザフトの軍服だらけだったし、すぐに医療スタッフに捕まって、動けるならと手伝いを要請された。
ぼんやりしているよりも、忙しくしていた方が、何かをしていた方が、ずっとマシだ。
焼け焦げたノーマルスーツを切り開いて、簡易酸素を付けてルナにまわす。
この人、助かるのかな。
そう思う間もなく、次の怪我人が運ばれてくる。
宇宙では、ほんの小さな傷が命取りだから、今生きているだけでも、幸運なんだろうけど。
じゅくじゅくと手を濡らす、他人の体液。
弾けた肉。苦しげな声。
あの人、こんなふうだったんだろうか。
だって、あの爆発で、なんともなかったなんて思えない・・・
「シン！感染症怖いから手袋してって言ってるでしょ！」
「こっちのもうないんだよ。そっちある？」
「あー、もう。もらってくるから待ってて！」
立ち上がったルナに応急手当用の簡易シートを投げられて、シンはそれで目の前の傷を無理やりふさいだ。
それでも、脳裏に浮かんだ傷は、消えることはなかった。
遺体袋が足りなくて、助からなかった人を、格納庫に運んでとりあえず並べる。
その作業が終わって、やっと、「お疲れ」と肩を叩かれた。
「すまなかったね。メシでも食って、休んでくれ」
一緒に遺体を運んだ、整備員らしい男にシンはただ頷き、ルナはメイリンの所在を聞いている。
「シン、あたしメイリンに・・・」
ルナマリアがそう言いかけたところで、頭上のスピーカーから、そのメイリンの声がした。
『インフィニットジャスティス、帰艦します。気密シャッター解放。格納庫内の作業員は注意をお願いします。繰り返します。インフィニットジャスティス、帰艦します。気密シャッター解放。格納庫内の作業員は注意をお願いします。・・・・生存者、遺体の回収はありません』
「おうい！もう一仕事だ！」
整備員は声を上げ、あちこちで遺体を避けて歩く姿が見える。
「あたし、メイリンに会ってくるから。アンタもちゃんとアスランと話しなさい」
ルナはそう言って、格納庫の出口へ駆けて行く。
やがてシャッターが開いて、赤い機体が現れ、ハンガーに格納されて。
それを、シンは立ち尽くして見ていた。
下りて来る、見慣れないパイロットスーツ。
でも、ヘルメットを取ったその下は、よく見た藍色の髪だった。
「フリーダムは、一度アークエンジェルに行ってから戻るそうです。事前に連絡を入れるようには言いましたが、先に休んでいてもらってかまわないと」
「しかし何があるかわからないから、とりあえずコイツは出せるようにしておかないとな。・・・君は休めよ」
「はい。・・・すみません」
そうして、累々たる屍の向こうで。
その人は、シンを振り返った。
「・・・・・」
そうして、しばらく黙って。
遺体の間を通って。シンの側に、立って。
死んでしまった人たちを、一度、苦しそうに見下ろして。
それから。
「・・・お前は無事で、よかった」
そう言って、どこか懐かしい顔で、笑った。
シンの知らない、でも、見てみたいとずっと思っていた、穏やかな、笑顔だった。
「アス・・・っ」
思わずしがみ付いた体は、温度を遮断するはずのパイロットスーツ越しにもあたたかくて。
緩められた襟元からは、汗の匂いがして。
腕いっぱいに感じる、体の質感。手応え。
さっきまで運んでいた遺体とはまるで違う、生きている、人間の。
「シン・・・・」
頭の上で、やわらかな声。
髪の間に、吐息が染みて。
大きな手が、背中を撫でる。
手袋越しにもあたたかい。
「すまなかった」
何故、謝るのか。
何故、謝られるのか。
それは、どちらもわからなかったけれど。
「泣くなよ」
そう言われて、シンは初めて、自分が泣きじゃくっていることに気がついた。
それでも、涙を隠そうとは思わなかった。
結局、ちゃんと涙が止まったのは、アスランの部屋に連れてこられて、しばらく経ってからだった。
「すいません・・・・」
「いや」
やっとアスランのパイロットスーツを離したシンの頭に、まるで子供にするような、やさしい手のひらが下りて来る。
「あの、メイリンは」
上目遣いになって聞くと、彼の手に押されて降りてきた前髪の隙間、垣間見えた翠が、ふうっと笑んだ。
「彼女はなんともない。大丈夫だ」
「そう、ですか」
うつむくと、くしゃくしゃと髪をかき混ぜられた。
「とりあえずシャワー浴びて来い。俺は何かもらってくるから」
「あんたこそ、着替えた方がいいですよ」
「服はロッカーなんだ。ついでに取って来る」
離れていく手のひら。
それを名残惜しく見送るシンに、アスランはまた、笑ってくれて。
そうして戻って来た彼が、白いオーブの軍服を着ているのを見ても、不思議と怒りは湧かなかった。
そんなことよりも、もっと他のことでいっぱいで。
「食堂でルナマリアに会ったよ。彼女も元気そうで良かった・・・・シン？」
サンドイッチのトレイを持った手の、袖口をぎゅうっと掴まれて、アスランは首を傾げて。
それから、トレイを机に置くと、また、シンの頭を撫でてくれた。
だからシンは、また、その人に飛びついて。
生きていることを、確かめて。
「俺、あんたのこと、・・・殺したと思ってた・・・・・」
通信回線越しに声を聞いても、無理やり繋がれた映像が見えても。
それでも、本当には信じられずにいた。
シンが殺したこの人が、生きてまた、そこにいるなんて。
今だって。
腕に感じる確かなぬくもり。
死体とは違う、力のある体。
降りて来る、穏やかな声。
確かに。それを感じるのに。
この人は、生きているのだと。やっぱりまだ、信じられなくて。
何度確認しても足りないほどに、シンはアスランを欲していた。
「仕方なかったんだ。命令だったんだろう？」
暖かな手が、背中を撫でる。
「俺も、ちゃんと言えなくて。お前にわかるように言えなくて。・・・すまなかった」
軽く引かれて、ベッドに腰が落ちる。
そうして、深く抱き込まれて。
また、涙がこぼれそうになって。
それでも、まだ、足りなくて。
もっと、ちゃんと。この人が生きていることを、確かめたくて。
でも、これ以上ちゃんと確かめるなんて、どうしたらいいかわからない。
「うーっ」
「だから、泣くなよ馬鹿」
背中の手のひらから、じん、と染み込んでくる、温度だけではない何か。
涙を、一生懸命こらえながら。
「泣いてなんか、ないです。・・・ねえ、あんたちゃんと生きてますよね」
「ああ」
「怪我、しました？」
「したけど、もう平気だ」
「どこ？」
「引っ張るな、こら」
軍服の襟を引かれて、しょうがない奴だと笑ったアスランとは裏腹に、シンはひゅっ、と息を飲んだ。
「これ」
「・・・ああ、たいしたことじゃない」
タートルネックのアンダーをほんの少し引いただけで、見えた喉元から下へと続く傷跡。
思わず見上げた翠の瞳。今までその光に惹かれて気がつかなかった。額から、髪の中へと走る傷。
「もう治ってる。忙しくて傷を消している暇がなかったんだ」
だから大丈夫だ、と、何でもないことのように言うアスランを、シンは問答無用で押し倒した。
「これ、どこまで・・・」
「馬鹿・・・こら、シン！」
まるで、犬でも叱るように怒られて、それでもシンはアスランの服を掴み締めたままだった。
「見せてください。俺が、やったやつ」
「・・・・俺は、あまり傷を消さない方だから。前の大戦でやったやつも多いんだ。お前のやったのがどれかなんて、そんなことわからないぞ」
「でも！喉とか頭とかなかったですよね！」
「そうだったか？ってこら！」
「・・・あんたって、ひとは・・・・・・・」
ベルトの隙間から引きずり出した服を無理やり引き上げると、古くない傷だとわかる、ぐしゃぐしゃに波打った皮膚に、今度こそ涙が出た。
それでも醜く引きつったそれが、アスランが息をするたびに、ゆっくりと上下するのに、安堵の息が洩れる。
「アスラン、さん・・・・・」
その時、シンを襲ったそれは、ひどく原始的な衝動だった。
ただ、その人が生きているのを確かめたくて。
その人の傷を癒したくて。
シンは、その傷に唇を押し当てていた。
直に感じる、シンの付けた傷の凹凸。
薄い肉のその下の、内臓の動きが、かすかにわかって。
でも、こんな酷い傷だ。内臓も無事では済まなかっただろう。
もう癒えているとこの人は言うけれど、それでも何かをしたくて、動物がするように、舌を押し当てて、舐めて。
「こ、ら。シン・・・・」
わずかにかすれたアスランの声。
垣間見えた、シンの知らない表情。
止まらなく、なって。
胸元まで引き上げたアンダーの下は、やはり酷い傷跡が続いていて、まるで当たり前のように、そこに順に唇を落としていく。
手のひらに、唇に舌に感じる傷跡と、対照的になめらかな皮膚。
そっちは、すごく気持ちいい。外でシャワーを浴びてきたのだろう。石鹸のいい匂いのする肌。
わずかに混じる甘さは、きっと、この人の肌の匂い。
引き剥がそうと、襟首を掴んでいた手のひらが、気がつくとシンの首にまわされて、引き寄せるように動いていた。
首筋に感じる手のひらの熱。
きゅっと力のこもる、長い指。
「んっ、あ・・・・」
そうして、聞こえた声に。
シンの背筋は総毛立った。
「うわぁっ！」
弾かれたように身を起こし、改めて見下ろしたその人は、しどけなく胸までをあらわにして、翠の瞳を潤ませていた。
「あ・・・・」
薄く開いた唇から、小さく、惜しむような声が洩れて。
「す、すいません！」
やばい。
そんなつもりじゃなかったのに、シンのしていたことは、まるきりソレと同じ行為だ。
しかも、あの声聞いただけで一気に勃った。
やばい。
やばいって。
焦るシンとは裏腹に、アスランは少しぽうっとしてから、ああ、と、なんでもないことのように呟いた。
「すまない。そういうつもりじゃなかったんなら・・・・」
そう言って、起き上がろうとしたアスランの、頬に掛かった髪の陰影に、目を引かれる。
う、わ。
そういうつもり、って。
「な、なかったですけど。でもあのっ」
言いかけて、言いよどんで。
困った顔の少年に、アスランはちいさく笑って手を差し伸べる。
「いいよ。ほら。・・・・確かめたいんだろう？」
一生懸命頷いたシンは、その手を取って。
少し、血の色の浮いていた爪の先に、そっとキスをした。