君のいる世界 １
青い空に、赤い機体。
見慣れていたクリアレッドではなく、もっと深い・・・ワインレッド。
それでも、その機体は。
スピーカー越しにもわかる、その声は。
「アスラン・・・？」
死んだはずの。
シンが、殺したはずの人のものだった。
彼は、強い。
そんなこと、何で忘れていたんだろう。
回避動作が間に合わない。
「シンっ！」
彼の絶叫と共に、ビームライフルを保持した、ディスティニー右腕が落ちた。
戦闘本能か、生存本能か。シンの持つそんなものが、すかさず、最後の切り札、パルマ・フィオキーナを向ける。
だって、この人あんまり役に立たなくて。セイバーなんか、ばらばらに切り飛ばされて。
頼みの掌底ビーム砲ごと、左腕も吹き飛ぶ。一発も外されないレーザービーム。あっちの機体の方が装備に乏しく見えるのに、そのひとつひとつに無駄がない。
装甲に負荷がかかり過ぎて、エネルギーがやばい。
しかし、エネルギー切れを待つまでもなく。
メインカメラダウン。頭部ごと飛ばされて、アンテナの類もまとめてオシャカだ。
「シ・・・・」
通信を拾えなくなったせいで、煩い声が聞こえなくなった。
それだけは、良かったけれど。
衝撃と共に、バランスが崩れた。
脚部のセンサーの反応が、ことごとく消えている。
今、ばらばらに切り飛ばされているのは、シンの機体。
あの時の、彼と同じに。
しかし、違うこともあった。
サブカメラの狭い視界に、赤い機体が間近に見える。
どこかに運ぼうとしているのがわかって、たった一基、生きていた背面のスラスターを全開にした。
一瞬の制動に、突き放された赤が、離れる。
とたんに始まる自由落下は当然の代償で、そうしてもう、エネルギーも推進剤もない。
叩きつけられるのは、地面か、海面か。
そう思って、シンはぎゅっと目をつぶった。
とたん、叩きつけられたにしては、妙に軽い衝撃ががくんとかかり。
それから、激しい衝撃に、ディスティニーのコックピットは揺さぶられた。
「―――――っ！」
それでも、落ちたにしては、軽い。
何か、引っかかるようなものがあったのだろうか。
そうとしか思えない落ち方に、シンは残されたサブカメラの画面を覗き込んだ。
緑の木々、青い空。
そして・・・赤い、機体。
「え？」
思ったとたんにエネルギーが完全に切れて、サブカメラの電源も落ちた。
とにかく自分は無事なのだ、状況を確認しなければ。
シンは、急かされるようにシートベルトを外し、コックピットを手動で押し開く。
とたん、流れ込む亜熱帯の空気。
オーブの。
シンの、故郷の。
そうして、その空気の中に、ディスティニーの胴体部分を抱え込むようにして、赤いMS・・・資料で見た、「ジャスティス」に良く似た機体が、横たわっていた。
それが意味するところは、明らかだ。
「俺を、庇った？」
他に、考えられない。
でも、今さっきまで、彼はシンの機体をばらばらにすることに専念していたのに。
彼は、もう、敵なのに。
そう思い、シンはやっと、逃げなければいけないと思い立った。
そう、彼は敵で。
自分は、敵に捕獲されたのだ。
慌ててコックピットに頭を突っ込み、サバイバルパックを引っ張り出す。
そうして、機体を飛び降りて・・・
ふと、赤い機体を振り仰いだ。
機体が落ちてから、もう数十秒は経過している。
なのに、この赤いMSは動く気配などまったくなく、コックピットも開かない。
そう、戦闘中はあんなにぎゃあぎゃあ言っていたのに、何故、彼は出て来ない？
逃げるなら、今だ。
でも。
足に根が生えたようだ。
動けない。
MSも動かない。
彼の姿が、見えない。
「ち、くしょ」
戻るために地を蹴ると、あんなに重かった足が軽々と動いた。
腹部のハッチは、ディスティニーにふさがれている。しかし胸部ハッチなら開くだろうと、赤い装甲をよじ登り、だいたいこの辺だろうかと、ハッチ解放の外部スイッチを探った。
この作り、やっぱりザフトのMSと同じだ。
苦い思いとともに、ハッチを開ける。
一応、銃を構えて。
恐る恐る、覗き込んで。
シートに、ぐったりと身を預けたまま、ぴくりとも動かない人を見つけて、仰天した。
「え、あ、アスラン！？」
呼んでも、答えはない。
アスランは、動きもしない。
自分の危険も忘れて、シンは狭いコックピットに体を突っ込んだ。
シートベルトを外し、ヘルメットを取る。
青白い頬には大きな絆創膏。藍色の髪の合い間に、白い包帯。
そうして、閉ざされた、瞳。
その時、シンの脳裏に浮かんだのは、ステラの死に顔だった。
こんなふうに、真っ青で。
生気の、ない・・・
「おいっ」
思わず強く揺さぶって、青ざめた唇から、かすかなうめきが洩れたのを聞き、酷く安堵する。
生きてる。
「う・・ぁ・・・」
震えた唇に続いて、閉ざされていた目蓋がふっ、と開いて。
鮮やかな、翠の瞳があらわになった。
「あ・・・シン・・・・・」
「アス・・・・っ」
名を呼びかけたところで、通信の受信を告げる、けたたましい音が鳴り響いた。
アスランは今まで気を失っていたとは思えない力で、ぐい、とシンを押し退けて、回線を開く。
「アスラン、大丈夫！？」
どこかで聞いた少年の声が唐突に空気を震わせて、アスランは以外にしっかりとした声で、それに答えた。
「ああ。そっちはどうだ」
「うー、えっと、大変？・・・でもすぐ迎えに行くから、座標これで合ってる！？」
「合ってるが・・・領海線ギリギリの島だ。ザフトが完全に撤退するまで、近づかない方がいい。まだエネルギーもある。撤退を確認したら、自力で戻るさ」
「本当に？」
その、声音。
ディスプレイを見ていないシンでもわかる。
彼を、心から心配している、声だ。
彼を、よく知る者の声だ。
こんな時の彼を・・・信用してはいけないことを、知っている者の声だ。
「何だか、すごい落ち方してたよね？」
「ああ、本当だ。でも・・・・そうだな、帰れなさそうだったら、こちらから連絡を入れるよ」
そう言って、苦く笑って。
「なかなか、お前みたいには行かないな」
「あんな真似なんかしなくていいよ・・・じゃあ、何かあったら、連絡して」
「わかった」
通信を切ると、アスランはシンを見て、大きくため息をついた。
まるで、それは彼がミネルバに乗っているときに、シンが何かをやらかした時のようで。
状況にそぐわない既視感に、シンが戸惑っているうちに、アスランはざっと計器類やレーダー、ディスプレイを見回すと、MSの電源を、落とした。
「あの、アスランさん・・・？」
「お前は・・・・」
それは、今まで通信していた声とはうって変わって、弱々しいものだった。
かすれて、途切れて。吐息に紛れて。
「何、が、欲し・・・・」
そうして、その声も消えて。
シンを映した翠の瞳が、何かを訴えるように瞬き。
それから、ふうっと光を失う。
「え、あ、アスラン！」
そのまま、また気を失ってしまったアスランを前に、シンは途方にくれてしまった。
救助は、さっきアスランが断ってしまった。
今、敵軍であるシンには好都合だが、どうやら負傷しているらしいこの人には、救助は必要だったんじゃないだろうか。
負傷？
それは、いつ負った傷だ。
そんなこと、決まってる。
シンが、彼を追撃したときの傷だ。
命が助かっても、まったく無傷だったわけがないのだ。
「・・・・っの！」
何故か、涙が出た。
意を決して、彼の体をコックピットから引きずり出す。
自分よりも大きな体は、なのに妙に軽くて。
シンは慎重に、それを地面まで下ろした。
「アスラン！」
呼んでも、返事はない。
とりあえず、体を締め付けているだろうパイロットスーツを緩めてやろうと、襟元を開いた。
とたん、目に飛び込んだ赤いもの。
べったりと、アスランの胸を濡らしている、血の赤。
その上に、シンの涙が落ちた。
これは、俺がやったんだ。
俺が、負わせた傷。
俺が。
「・・・・シ・・・・・」
それなのに、目を覚まさないまま、彼が洩らした声はシンの名を呼んで。
「っ！」
シンは、涙を拭ってサバイバルパックを開けた。
とにかく、早く手当てをしなければいけなかった。
雨の音で、目が覚めた。
亜熱帯のスコール。
地球に下りるまで知らなかった、天降る水のたてる、激しいリズム。
「ん・・・」
ぼんやりと目を開けると、ＭＳの背面装備が目に入った。
見覚えのある機体だ。
特徴的なフライトユニット。ああ、これはジャスティスの。
「あ・・・・」
誰かの声に、視線を向ける。
焚き火に照らされた、赤い顔。
赤い、瞳。
「アスラン！」
必死な声に、ふと笑う。
「呼び捨て・・・・してくれるんだな」
そんな暢気なことを呟かれ、死にそうなほど心配していたシンは、感情の向きを誤って、激昂した。
「呼び捨てしたから何ですか！？」
「ああ、嬉しいよ」
だから何なんだ、と重ねて怒鳴るには、そう言ったアスランの笑顔がキレイ過ぎて。
なんとか手当てした、彼の体が痛々しくて。
シンは、言葉を飲み込んだ。
雨音が、いっそう激しくなる。
アスランの機体と、岩場の間に出来たすき間でなんとか雨をしのいではいるが、長く降るようだったら、毛布で包んだだけで、地面に直接寝かせているこの人を、どこかに移動させないといけない。
シンはあたりを見回した。しかし、激しいスコールは、数メートル先の視界さえ奪っている。
彼の傷は、酷い。
「なんで、こんななのに救助断ったりしたんですか・・・」
彼の傷の手当ては、シンにとって、己の所業を突きつけられる作業だった。
よく、生きていたと思った。
なのに、こんな体でＭＳに乗って。
シンと、戦って。
「お前と、ゆっくり、話がしたかったんだ」
しかしアスランは、またそんな暢気なことを言って。
「俺はこんなだし、お前はザフトだし。オーブに連れて帰っても、今あそこは大変だし。話をするなら、今しかないと思ったんだ」
そんなことのために、こんな体でこんなところに残ったというのか、この人は。
オーブ領海内といっても、ここはギリギリの位置らしい。
もし、レイあたりがディスティニーの落下ポイントを記録していて救助に来たら、「裏切り者」彼の運命など、知れたものだというのに。
そう、裏切り者。
彼は、そして、彼女も。
「そうだ、彼女も生きている」
「え？」
シンの心を読んだかのようなセリフに、シンは言葉を失った。
「メイリンは無事だ。お前は、彼女に傷ひとつ付けていない。彼女は・・・元気だよ」
その言葉に、止まっていたはずの涙が、また、こぼれた。
殺していなかった、彼女は死ななかった。
ルナの妹を、俺は、殺さずに済んだ。
それが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。
「っ・・・」
力ない腕が上がり、シンの涙を拭う。
その腕に巻かれた包帯。
その下の、傷。
それを思い、更に涙を誘われる。
『それは、弱さだ』
そう、レイは言った。
そうだ、俺は弱い。
何故、強くなれない。
なぜ。
強くならなければ、何も守れないのに。
「シン」
翠の瞳が、瞬く。
それは、シンの熾した焚き火の光を映しているというのに、美しく澄んだ翠のままで。
「お前は・・・何が、欲しかったんだ・・・・？」
彼は、また同じ問いをシンに投げかけた。
「何が・・・って」
雨音が、不意に弱くなる。
「俺が、欲しかったのは」
妹の、千切れた腕。ステラの、血に汚れた頬。
あんなものを、二度と見なくて済むように。
「俺は、力が欲しかった。・・・強く、なりたかったんだ」
大切なものを、守るために。
「本当に？」
しかし、アスランは不自由な姿勢の中で軽く首を傾げ。頬にかかっていた髪が、はらりと落ちた。
「本当です！だって、強くなくちゃ守れない！！」
雨は、もうすっかり止んでいた。
切れ始めた雲のすき間から、夕暮れの光が差して来る。
「なら・・・お前はその力で、何を守りたかった？」
焚き火の光、夕日の光、取り残された雨粒が、キラキラと光る。
アスランの瞳が、穏やかに、光る。
シンは喘いだ。
握り締めた拳が痛い。
「マユ、を。ステラを・・・・」
大切な人、たちを。
それはもう、叶わないことだけれど。
「なら、今は？」
アスランの言葉は、静かだが容赦がない。
そして、シンは逃げられない。
もう雨も止んだ。「わかるもんか」と怒鳴り散らして、ここから駆け出して行くことなど、たやすいはずなのに。
マユ。ステラ。
指の間をすり抜けて行って、とうとう守れなかったものたち。
ミネルバ。レイ、ルナマリア。そうだ、大切な人たち。
大切な・・・
「大切な人たちが、幸せに生きていける世界・・・お前が守りたかったものは、お前が欲しかったものは、そういうものなんじゃないのか？」
大切な人たちが、幸せに。
幸せに、生きていける世界。
それは、例えば。
あったかくて、やさしい。
ステラの、行けなかった・・・・
「っ、く・・・・」
泣きじゃくるシンの頬を、アスランの手のひらがそっと撫でた。
そして小さく痛みをこらえる声を洩らし、救急用の目の荒い包帯に包まれた肘で、地面に敷かれた毛布を押して、起き上がり。
「お前が欲しいものも、俺たちが目指すものも、同じだ、シン」
そうして抱き寄せられた胸は、シンのせいで傷ついていて。
シンの塗りたくった薬の匂い、シンが不器用に巻いた包帯に包まれていて。
なのに、今まで降っていた、懐かしい、オーブの雨の匂いがして。
そこに縋って流す涙は、決して、辛いばかりのものではなかった。