かえりみち
ト、ト、ト、ト、・・・・と、心地よい振動で目が覚めた。
何か、いい夢を見た記憶があって、山下はどこか幸福なキモチで目を開けた。
が。
「えっ、あっ、も、森次さん！」
眠ってしまう前の記憶がよみがえり、慌ててシートから飛び起きて姿勢を正す。
最後の記憶は確か、空港のベンチだったはずなのに、今は森次の車のリアシートだ。
えっと、アメリカの技術提携先から派遣されて来るっていう技術者を迎えに行って、なかなか来なくて立ちっぱなしで疲れてしまって、座っていろと森次に言われて、じゃあ交代でと座って・・・それから。
「ミズ・キャルヴィンは長野で保護されたそうだ。明日の予定もあるからな。このままJUDAへ向かうぞ」
「なんで長野・・・じゃなくて」
思わず絶句してから、元から常識の通じる会社ではなかったことを思い直す。
何か、山下には想像もつかない、バカバカしい事態でも起こったのだろう。
それよりも。
「あの、すいません」
窓の外を、等間隔に並んだオレンジ色の明かりが通り過ぎていく。
ルームミラーに映る森次の表情は、眼鏡に移った光に遮られて、見えない。
「僕、寝ちゃって」
「かまわん」
そう、短く言い捨てられて。
思わずうつむくと、黒い色が目に入った。
幸せな夢の正体に気づく。
これ、森次さんのジャケットだ。
しかも、肩に掛けるどころか、ほとんどそれにくるまれていた。
かすかに感じる想い人の匂いに、不意に息苦しくなる。
いろいろな感情が胸の中でぐるぐるとして、なんだか凄く、泣きそうだ。
「すいません、これ、返します」
ジャケットを肩から下ろすと、ひやりと冷たい空気が入ってきた。
ふる、と、肩が震える。
ジャケットを掴んだままの指だけが、まだ、あたたかい。
「いらん」
しかし森次は、後部座席に一瞥もくれずにアクセルを緩めた。隣を、大型トラックが追い越していく。
この人は、普段は見かけによらず安全運転なのだ。
・・・人を乗せたときだけは。
「シートベルトをしていては、どのみち着られんからな。使っていろ」
「あ・・・そうです、ね」
シート越しに、滅多に見ることができない、ワイシャツ一枚の肩が見える。
その上をいつも覆っている、黒いジャケットは今、山下の手の中だ。
「そのまま寝ていろ。明日はアームブースターの調整があるだろう。今習志野ＩＣを越えたところだから、しばらくは眠れるはずだ」
「え、あ、でも、森次さんだって・・・」
確か、森次も明日は右目を補う補助モニタの試験があるはずだった。
しかも、ただ牧たちの言われるとおりにハインド・カインドを動かすだけの山下と違い、森次は技術部の仕事にも半分首を突っ込んでいる。かかる負担は山下の比ではないはずなのに。
「私とお前では、元からのスペックが違う。２、３日眠らなくてもどうということはない」
「・・・・はい」
・・・うん、わかってる。
この人、ほんとに僕のこと思って、こう言ってくれてる。
森次のジャケットで体をくるみ直し、リアシートにころりと横になりながら、山下は思った。
森次は、山下の体が、命を取るか、人生を取るかまで追いつめられていた頃のことを知っている。
元からのスペックとは、そういう意味だ。
ジャケットからは、かすかに森次の匂いがする。
今、これに包まれていない、意外と細い肩を想った。
「・・・あの」
「何だ」
「おやすみなさい」
「ああ」
強くなりたいな、と、山下は思った。
この強い人の横に、ちゃんと立てるくらい、強くなりたい。
ト、ト、ト、ト、・・・・
昼間の疲れと、心地よい振動。
それから、好きな人のいい匂いにくるまれて。
山下は、つかの間の眠りに落ちていった。
黒い固まりが、リアシートで動かなくなるのを確認し、森次はルームミラーから視線を外した。
東京湾の向こうへと。
家路を、ただ、急ぐ。